
久しぶりの号外 新・辛口批評
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない古川氏についての批判 久しぶりの第八回 おい、裁判長の○○、おまいもしかして馬鹿なの?死ぬの? その1】→すぐ下に、その2もあります。
かつて長く取り上げた、自動車業界において偉大な研究をされ(事実)、さらにかなりの蕎麦通らしい(私にはよくわからない)のであるが、実は日本酒についての知識は、かなりの通であるとごく一部の勘違いの方からは思われているものの、実は玄人からカツラをとった磯野ナミヘイさんの頭を連想させるレベルで、日本酒業界に多大なる害毒を垂れ流している(業界関係者から数多くの証言あり。大不況のせいか、日当目当てに証人希望者多数殺到中なので、名誉毀損云々で文句があるならば、いつでも相手になってやるぜ!古川チェンチェイ)古川修氏(ここまで入力するの大変ですよ…編集者記)が、友里征耶氏に対して起こした訴訟についてであるが、過日第二審が行われ、以外にも古川氏、一部勝訴という(私としては)意外な結果に終わった。
過去に、以下のように記した(以下、第五回くらいか)。
とりあえずここまでまとめた内容から、古川氏は「井の中の蛙」(私見では、まだ好意的な表現と思われる)の「ヨイショ癒着ライター」であることは自明の事実であると私は判断するのであるが、みなさんはどう思われるだろうか。
古川氏、自分はヨイショライターでも癒着ライターでも井の中の蛙でもないと拳を振り上げたのであるが、司法の場においておそらくは、事実関係からして、ヨイショ癒着ライターであり、井の中の蛙と評されてもしかたがないだろ(♯ ゚Д゚)ゴルァ!!と裁判長に断ぜられることになろう。まあそうなれば自業自得な訳であるが……。
傍聴者の面前で、表現にはやや問題があるものの、友里氏の書いた内容はほぼ事実であると断ぜられ、茹で蛸のように真っ赤になりながら屈辱に耐えるであろう古川氏の姿、是非とも都合をつけてでも見に行きたいモンである。古川氏、訴訟取り下げとかはせずに、最後まで頑張っていただきたい。
(引用 終)
という認識でいて、(当時は書かなかったが、友里氏の記述は事実であっても、実質的に侮蔑行為にあたり、問題があるのは事実であると思っていたものの)私が過去に検証した内容から、「ヨイショライター」「井の中の蛙」「癒着ライター」であるという事実関係がきちんと判定されるのを恐れて、古川氏が訴訟を取り下げるのではないかと思っていた。しかし、なんと逆転一部勝訴ということになった。これにはさすがの私もびっくり!である。古川氏、裁判中に、私のHPを取り上げ、名誉毀損的な云々と述べられていたらしく、さすれば、次は私に矢が放たれるかもしれない。今回の賠償額、90万円らしい(高級鮨屋30回分くらい)ので、ゲンダイと私のHPの発信力を比較すると、古川氏に名誉毀損で訴えられ、おいらがうっかり敗訴すると、単純比較で、回転寿司屋2回分くらい古川先生にふんだくられそうである。北朝鮮からの攻撃に備え、核シェルターを至急購入しようと悩んでいる今日この頃、これはかなりイタイことになりそうだ。
小心者の私は、不安に震えている毎日である。
ということで、…(編集者注:関係者向けに業務連絡終了しましたので、削除しました)。
と、まずは私見。古川先生、一所懸命、というか、かなり必死にコメントを出されているのだが、金は多少ふんだくれても、名誉毀損を本気で考えているのならば、金よりも名誉回復、つまりは記事の削除、および謝罪文の掲載の条件を勝ち取れなければ、勝ちとはいえないだろう(大体、訴訟費用、弁護士費用とかどのくらいかけているんですかね)。
事実、古川氏は、ご自身のブログにて、「友里裁判での和解について」と題して、次のようにコメントしている。
(以下引用)
控訴人は,訴訟関係の記事だけでも被控訴人のブログから削除されれば,別訴を提起することなく,事態を収束させる方向で,平成21年2月24日付の上申書を提出いたしました。
ところが,被控訴人の同年3月2日付上申書によれば,控訴審の対象は平成19年1月の記事に限定され,それ以外のブログ上の表現の削除等は和解条件に関連し得ない,削除には応じかねるとのことです。
(引用終わり)
この上申書からすれば、古川氏の当初の目的はあくまでも最低限の名誉回復であり(これを読んだ限りでは、お金は要りません。お願いだからお詫びの記載はなくても、あとに残ってしまうから訴訟関係の記事の削除だけでもしてくれ、お願いします)であり、和解案が流れた以上、原点にもどって徹底して戦うべきだと思うのだが、「お金は多少もらえるが、記事の削除とか、訂正・謝罪記事は以後求めてはいけないよ」、という今回の判決、古川氏、納得がいくのだろうか。ここで引き下がって、「勝訴!勝訴!」と叫んでも、なにか、某日○将棋連盟の某会長(思い出しましたが、古川先生、灘は「大関」将棋道場の師範代であった某○本将棋連盟会長との、先生が自信を持っておられる塾成酒を交えての会談のあと、何か進みましたか。そういえば、吟醸酒ファンで知られるM理事は、その後に腸の病気で突然入院されましたよね。因果関係がなかったか、気にしております)とかと同じ香ばしい匂いがするのではないかと思えてならない、今日この頃である。
戦略的には、ここで友里氏が、この申し出を受け入れ、魚拓をきちんととった上で、関連記事を消去すれば、あとは私のHPの記事のみ残るという何か分けの分からない状況になっていたと思うのだが、ここで削除に応じていれば…ずいぶんと高くついたな、と、友里氏は頭を抱えているに違いない。
と、ネット上では、友里氏が上告するか否か、話題となっているようだが、とりあえず古川氏が、この結論に納得しないで上告するか否かを静観したい。(ところで、古川チェンチェイ、一応触れておきますが、名誉毀損と認識しながら、当の本人に全く訂正他の抗議を行わずに放置していた場合は、そのあとに名誉毀損と訴えても、ほとんど効力ないと思いますよ。弁護士の先生に、私から回転寿司屋2回分くらいの金をふんだくる手始めに、30分5000円くらい支払って相談してみてください)。
結局は金目当ての訴訟だったのか、名誉回復を切に願っての訴訟だったのか、近くその瞬間が訪れる。古川氏がいかなる人物か、それを判断するのは、私ではなく、皆さんです(以下続く)。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない古川氏についての批判 久しぶりの第八回 おい、裁判長の○○、おまいもしかして馬鹿なの?死ぬの? その2
〜 古川チェンチェイは、普通に考えて、平気で出鱈目をネット上に公開しているとしか思えないのだが。嘘つき、馬鹿、癒着ライター… いずれかに相当すると判断されるのが妥当では???】
実は過日(6月8日0時32分 こちらから発射)、古川氏に改めてメールを送ってみた。関連記事は、下のほうのその4(→3に直します)を参照。以下、そのまま引用する(フォントサイズは、一部手を入れてある)。
古川先生
かなり前に、問い合わせのメールを出していらい、
鮭野夢造改め、鮭野夢造将軍様です。
友里氏相手の訴訟、
とりあえずおめでとうございます。
しかし、私見ではありますが、
修正、そして削除無しではとても勝訴とはいえず、
くらいで喜んでいるのは、
です。金ではなく、名誉回復をとする、
書の趣旨からは大きく方針転換する内容ですね。
このまま、謝罪文他の、
しょうか。また、御自身のご都合で、
で情報を開陳し、相手を非難するのは、ひどく、
ん。
次に、過日質問いたしました件です。
「よいこのビール」他を提供されていた、名古屋の「京加茂」
過日、古川先生が「京料理の名店」と絶賛された、
ていたとされる、「丸治」について、
疑問を糾すためのメールを送りましたが、さてどうなのでしょう。
その後の調査では、「丸治」
先生が、ご自身が繰り返し訪問した店ではなくても、
で嘘出鱈目を言って賞賛される方(
確信いたしました。
とは、先生レベルの方では難しいかと。
私の確信が、事実誤認であれば、謝罪いたしますが、
京料理「丸治」についてのご認識、正確なお話、同時に「吉兆」
珍説をふるまわれたこともふまえ、
以上の内容、今後私のHPにてUPする予定です。
論がありましたらば、きちんと掲載いたしますので、
です。
かようなメールを送ったのだが、古川氏、どうも多忙ではなく、ご自分に都合の悪いことは一切無視する性格なのか、返事をいただけていない。
これだけだと、「偉大なる古川チェンチェイは、訳の分からない相手はあいてにしないんですよ!!」という、古川チェンチェイの腰巾着の皆さんが勘違いしてしまいそうなので、こちらから上記の内容について勝手に答えあわせを。
古川チェンチェイが、「京加茂」さんの修行経歴を絶賛(捏造?)するためにあげた「丸治」は、私の調査では、京料理の名店ではない。丸治は、亡き松本由次郎さんが一代で築き上げ、終えた浪速料理の店である。
松本さんのレシピ他も落手したが、これは京料理ではない(苦笑)。
以前記録した記事を、再び取り上げよう(以下、引用)。
その疑念とは、古川氏が書かれた次の記事である。出典は、古川氏の「スーパーグルメ術」の第470回である。そのタイトルが、「京料理と大阪の料理の違い」であることに、まず留意したい。以下の内容、「京加茂」の主人が、修行した先の大将が、「丸治」という店で修行していたという前提である。
「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、
かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ。
吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して、
丸冶は料理だけで勝負をしていたという。」
(引用終わり)
さあ、京料理とは何かを全くご存じない古川チェンチェイ、他人のことを、
とか、調子に乗ってこき下ろしているが、吉兆を京料理の名店と、素人でもわかる勘違いをしたまま、客観的な調査もせず、確たる証拠も持たないまま、一度訪問してほしいと依頼を受け、一度しか訪れたことがない店を自著で絶賛し、そのあとも機会があるにつれ、賞賛している。かようなことから判断すれば、古川氏、「大嘘つき」「提灯記事ライター」「井のなかの蛙」他、いろいろ形容する言葉ががついても、そのいずれかは事実であり、こうしたことを普段から行っていて、ちょっと事実を揶揄されると名誉毀損で訴えるというのは、あまりにもおかしくないだろうか。上の同じところで、
今回の提訴がグルメ批評の健全化への先駆的な一歩となれば望外の喜びです。
とか述べているが、古川氏、御自身のやっていること、はたして健全なことなのだろうか。
ということで、当事者からの反論のメールを待っているのだが、果たしてくるのだろうか。
ところで古川氏、ちょっと上で取り上げたが、「思い込みに固執して…」というのは、実はご本人の活動にそのまま当てはまる。次回以降、それを検証しておきたい。
【バックナンバー】
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない(注 この長い表記は、これから鮭野氏がものす事実認識を根拠に鮭野氏がつけているものです。古川さん、もし文句があるのでしたらば、こちらがこれから提示する事実認識に対して、一般読者にも説得のいく反論をまず送ってからにしていただければと思います。このHPは、どなたかのHPとは異なり、世間で何といわれようと、客観的真実と思われる内容をきちんと伝えることを目的としておりますので、もし古川さんから反論があった場合、古川さんからいただいたご指摘をすべて私のHPで掲載した上で、もしこちらの事実認識に誤りがあった場合は、該当箇所に限り訂正して、その点についてこちらの不明を深く感じ入り、真実と思われる事例をとりあげ、謝罪する所存でおります。お返事をいただければ幸いです)古川氏についての批判 序にかえて】
2007年 7月11日〜 記
さて、表題に掲げたように、今回からは場所を移動して古川氏に対する批判を。古川氏は、友里氏の日刊ゲンダイ掲載、及び友里氏の「店評価ブログ」で掲載した内容を問題視されて、名誉毀損の訴訟を起こされたとのことだが、友里氏の記事を改めて読み返すと、たとえば「宗玄」についての批判の記事については、その理由は大筋で理解出来るものの、やや筋違いと思われるのだが、古川氏に対するそれについては、一読者の視点として、全く違和感を持たなかった。これから、何回かに分けて、私がそうした読後感を受ける理由について述べたい。
古川氏は、友里氏のブログによると、記事の以下の点について、問題視し、腹を立てているとのこと(以下、黒字は友里氏による説明)。
3、「副業ヨイショライター」
「副業」と「ヨイショ」にご立腹です。ネガティヴな表記で、原告の評価を下げるとか。
4、「癒着ライター」
これにもかなりご立腹なようです。「癒着」とは、あるべき関係をこえて、不正に深くつながり合うことを意味すると主張しています。
5、「井の中の蛙」
当人が広い見識を持たない、独りよがりになっていると決めつけることに他ならない、と主張しています。
以上の点、古川さんの某コラム(編集者注:私のスーパーグルメ術。以下、編集の都合上、出典が同コラムであっても、連載回数を明示した上でいちいちハイパーリンクをはらないことがある…… 面倒だから)の連載を暇なときにつまみ食いして読んでいた私の視点からすれば、友里氏の反論はごく一部を除いてごもっともであり、そうしたことを指摘されて訴訟まで起こす古川氏は、腹を立てるべき対象はまだ未熟であった御自分に対してであり、大きな「勘違い」していないかと思われる。古川氏、私がこれから指摘する点については、熟成不足で飲めない酒と同様、ご自分の書いたものは未熟な読者には過大な評価をされるかもしれないが、目の肥えた読者にはまだ読むに耐えないものに過ぎないと反省し、研鑽を積み、書きためた上でそれが熟成してから世に訴えて欲しいと切に願う。何せ、特異な味覚の持ち主で、その存在は貴重ですから……。
ではこれからしっかりその根拠を次回から述べたい。
【以下、酔っぱらいの戯言 編集者もUPする際に泥酔してました】
と、ここまでで終わると、「なんだ、鮭野、面白そうなネタの場合はいつも引き延ばしにするな」と苦情がくるので(編集者注 私が加工するのに手間がかかるので、すいません)とりあえずこの前一寸気が付いたこと。
古川氏、コラムの終了の際に、「まとめ」としてこれまで採り上げた店と、短評を羅列しておられる。失礼を承知でややうがった見方をすると、訴訟を意識しているのではないだろうか。目算で日本国内では、700回のコラムで136件の店を採り上げたとされ、短評をつけている。「特定業者と癒着している」と非難されたがそれは嘘で、これだけ多くの店を採り上げましたよとアピールするのが目的と思わず勘ぐってしまった。数字を表面上だけ見ていると、そう説明された場合納得がいくが、たとえば、京都の日本酒バーは、終了の際に4件短評をつけている(第728回)。
京都「日本酒バー あさくら」 感じのいいマスターの選ぶ日本酒は旨い。
京都「日本酒バー ヨラム」 夜だけ日本酒バーになる面白い店。
京都「日本酒バー たかはし」 気さくなマスターとの会話が癒しになる。
京都「日本酒バー 膳」 常温熟成の地酒が愉しめる。
「まとめ」という表現をつけると、これまでにいろいろ紹介した内容をもとに、要約したという気が一瞬してしまうが、これらのバーに対するコメントは、以下だけである(Qサイトの過去記事検索で、日本酒バーで以下がヒットした)。
(456回)
京都は最近、日本酒バーが次々と開店している。
今回は昨年の秋口にオープンした「あさくら」を訪問。
日本酒を堪能した。
(464回)
京都の日本酒バーは3軒訪問。
以前メイルで京都在住の麻生さんから
「たかはし」という日本酒バーを勧められていたが、
インターネットで調べても分からなかったので、
こちらは次回へ持ち越し。
「あさくら」「膳」「ヨナム」と訪問して、日本酒を堪能した。
(714回)
四条烏丸の近くの日本酒バー「たかはし」を初訪問。
麻生玲央さんから勧められていて、
前から一度行ってみたかった店だ。
旭若松、竹鶴などの熟成酒を愉しむ。
落ち着いていて、地酒の品揃えもなかなかで、確かにいい店だ。
蕎麦の話など、高橋さんと盛り上がる。
いやあ古川さん、ご自分が普段推奨している銘柄である「旭若松」「竹鶴」がある「たかはし」だけは、どうにかしてとりあげようとご熱心ですね。「旭若松」は、業界地獄耳の異名を持つ俺様ですら、古川さんのコラムで当時知ったくらいのマニア向け銘柄だと思うのですが……。この店だけ「落ち着いていて、地酒の品揃えもなかなかで、確かにいい店だ」とまで、(爆笑)。「前から一度行ってみたかった」という表現、「前から一度吹聴しなければいけないと思っていた」と失礼を承知で、酔いに任せて読み替えてしまったのは俺様だけでしょうか。他の店は「堪能した」だけ書いて、最後にコメントだけというのは一寸……。他の店で何をお飲みになり、どのような感想をおもちになったのか、一寸知りたいところである。
こんなのでは、特定業者と「癒着」と言われても恥ずかしくて文句は言えないのでは。
酔ったついでに、もう一つお笑いネタを。
漁師の村公一さん、古川氏のコラムで登場したのは第7回である。その時は、「友人で鳴門と鱸と若布にこだわっている村公一君という漁師がいる」とあったが、その後第32回では「こだわりの漁師」に出世し、331回では「鳴門のカリスマ漁師」、そして497回では「鳴門の若きカリスマ漁師」と、鱸同様(また、そのあとに「こだわり漁師」に格下げしてあったりするように、時期により表現がかわるあたりからしても)、出世魚のように表現が変わっている。コラムでとりあげる店、村さんの鱸を取り寄せている店は結構多いし、他の店よりも字数を多く述べる店の多くが村さん関係である。第198回で「酒飲みの聖地」とまで誇大表現をしてとりあげた「きく家」さん(ここの女将が書いた本を以前読んで、あまりのひどさに思わず立ちくらみがした)には、古川氏本人が紹介したと述べているし。まあ、普通の読者から客観的に見れば、古川氏、村さんとはきわめて極めて特別な関係にあると見なされるのは自然であろう。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない古川氏についての批判 その1】
では、前回、古川氏と鳴門の漁師である村氏の関係をふれたが、それよりも極めて密接な関係にあると思われる事例についてまずは触れたい。それは名古屋に存在する「京加茂」なる店である。
「京加茂」は、古川氏のコラムの第226回目に「極上の懐石」として初登場。以下、やや長くなるが引用する。
名古屋に『京加茂』という懐石料理屋があり、
いい料理と酒が楽しめる。
地下鉄東山線「八田」が最寄駅で、
住宅街のまんなかに佇んでいる。
ご主人の土方さんとは、
実はこのコラムを通じて知り合いになった。
読者のメイルとして、励ましの言葉をもらったのが最初だった。
昨年の秋に一度お店を訪問して、
その料理の質の高さにびっくりしたが、
今回、初夏の時季にまた訪問する機会ができた。
訪問したら、拙書『世界一旨い日本酒』が
数十冊も棚に飾られているのにびっくり。
しかも、日本酒の銘柄が本で推薦している、
秋鹿、奥播磨、るみ子の酒、神亀、悦凱陣、宗玄などに
変っていたので、嬉しくなる。
古川氏、初登場の店で『「いい料理と酒」が楽しめる。』としている。関係が生じたきっかけについては、ここでは「実はこのコラムを通じて知り合いになった。読者のメイルとして、励ましの言葉をもらったのが最初だった」とだけ触れている点に、とりあえず留意していただきたい。そしてそのいい酒についてであるが、「(古川氏が本で推奨している)秋鹿、奥播磨、るみ子の酒、神亀、悦凱陣、宗玄」などに変わっていたので、嬉しくなる。としているが、要するにこの所、「自分が推奨した酒に変えてくれた、だから読者の皆さん、ここではいい酒が楽しめるんだよ。」という意味ではなかろうか。そして、次は料理の紹介としては298回、299回に登場。該当箇所を、引用しよう。
第298回
そして、その後名古屋に行き、「京加茂」を訪問。
土方さんのしっかりと調理された懐石料理は王道を行き、
奇をてらったものはない。
当たり前のことを当たり前にやるという、
美味しさについて改めて考えさせられる。
この件は別途、紹介したいと思う。
。第299回
あとに続く旨さ
名古屋の懐石料理の名店である「京加茂」を久しぶりに訪問した。
ご主人の土方さんとは、
出版記念パーティに来ていただいて以来の再開。
お昼をいただいたが、あいかわらず食材を厳選して、
しっかりとした正統の調理をしている。
褒め殺しという言葉があるが、まさにそうした言葉を想起させるような表現である。ところで、連載の最後の方、710回目になって、
三重大のある津に移動する途中では、
久しぶりに名古屋の八田駅近くにある「京加茂」に寄った。
ここはもともと、
このコラムを読んでいただいて親しくなった店。
日本酒選定のアドバイスをしたことがきっかけ。
と、ようやく真相に近い話が出てくる。この流れを見ると、なんか連載開始当初にメールをいただいた。酒に関して自分で助言した所、店の主人がその品揃えにしてくれたので、こりゃ積極的に宣伝しないといけないと思って採り上げた」と勘ぐられても仕方ないだろう。そうした視点から、226回目のコラムを読むと興味深い。皆さんで、いろいろ妄想に励んでいただきたい。
なお、226回目のコラムにて、
訪問したら、拙書『世界一旨い日本酒』が数十冊も棚に飾られているのにびっくり。
とあるが、読者もびっくりする前に常識的に考えれば、古川氏、「京加茂」に著者割引で回していると思うんだが……。(余談だが、著者割引はありがたい。私も、老舗のI書店にはかなりお世話になっている)。
HPの進行の事情で、京加茂と古川さんの関係についての突っ込みはやや後回しにする予定だが、熱心な読者の方に、おまけ。
古川氏、「京加茂」について、「いい料理と酒が楽しめる」とあり、古川氏のコラムの内容からすればものすごい格調の高い店と、多くの読者は錯覚認識してしまうだろう。ところで、「京加茂」、一寸前のメニューならば、一応ネット上で公開されている。酒采アラカルトを見ると、「軟骨の唐揚げ」など、懐石、京料理という看板から随分ずれるメニューがあって微笑ましい。村上重の千枚漬けとかもよくわからないが……(こうした店の場合普通、自分の所で漬けないか)。さらに、「うまい酒が飲める」とのお酒のメニューであるが、さらに香ばしい。古川氏が第22回で、「炭酸水に近い味」と酷評されたスーパードライが主力商品だし、焼酎は……。銘柄選択、激しく笑わせてくれますなあ。古川氏、貴様そうした所をきちんと助言するのは基本だろ。まあワインは一応目をつぶるが、まともな日本料理屋で、サワー類(レモン、青リンゴ、ライチ……)出すのか?さらに新発売!の「よいこのびいる」まで(爆笑)。黒豆ココアは、お客様の健康を考えてであろうか。こうしたものを飲む客を横目に見ながら食事をするお客様について考えたことがあるだろうか(私が料飲店を指導する場合、まずこうしたものを無くせ、その意志がないならば一切助言はしないと申し渡しているんだが)。この指摘について、「お前はまだ青い!」と思うのでしたらば、古川さん、土方さん、このHPで掲載いたしますので、感想を待ってま〜す。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない古川氏についての批判 その2】
さて、その古川氏であるが、何を勘違いしたのか、「世界一旨い日本酒 〜熟成と燗で飲る本物の酒」(光文社新書)なる日本酒の本まで出している。この本、たまたま世に出てすぐに本屋で立ち読みしたのだが、すぐに立ちくらみがした。今もたいして変わらないだろうが古川氏、醸造についての知識がきわめてあやしいまま、何ら恥じらいもないまま、知ったかぶりで自説、否、香ばしい(鮭野注:この「香ばしい」、とは当然のことではあるが、加齢臭を意味する表現ではない。為念)珍説を開陳しているのである。自信過剰というかなんというか、思いこみとは、極めて恐ろしいものである。
「いや、自分も読んだが一応まともな部類に入る本じゃないか」と思ったあなたはかなり甘い。まあこの手の本ではいつものことであるが、参考文献の内容をリライトしたりしている箇所はまあ、それほど間違いはない。しかし、自説が入ってくると、訳のわからない方向に話が突っ走る。しかしながらこうした珍説、知識の乏しい、普通の読者からすれば、妙に説得力を持ってしまうのだから困ったモンである。ある意味、あの蝶谷大チェンチェイより質が悪い(というか、もしかするとあの蝶谷チェンチェイをはるかに越える大物の悪寒がしてならない。馬や鹿を越えた蝶の存在は経験したが、それ以上の……以下自粛)。
次回から、古川氏がどんな勘違いをしていたか、そして本が出る段階で、氏の酒についての知識がどの程度いい加減であったか検証することにする。
今回のお・ま・け
古川氏のQコラム第117回「紹興酒と日本酒の造りの違い」には、次のようにある。一応警告しておきますが、吹き出すといけないので、何か飲食している最中には読まないでください。また、笑いすぎて、腹筋をつらないように気を付けてください。
日本酒と紹興酒はともに米を原料とする醸造酒だ。
その醸造方法の違いは何だろう?
原料とする米が日本酒と紹興酒ではまず違う。
紹興酒では粘りのあるもち米を使う。
しかし、紹興酒と日本酒の醸造方法の最大の違いは麹造りだ。
麹の種類がまず違う。
日本酒ではアスペルギルス・オリゼー(黄麹カビ)を用いるが、
紹興酒はリゾーブスカビ(クモノスカビ)を主に用いる。
黄麹カビには糖化力しかなくて、アルコール化はできないが、
紹興酒のクモノスカビは糖化とアルコール化の
両方の能力を持っている。
…………
黄麹カビには糖化力しかなくて、アルコール化はできないが、
紹興酒のクモノスカビは糖化とアルコール化の
両方の能力を持っている。
すいませんどなたか、ご存知ならばこの説の出典を教えていただきたいのですが。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思えない古川氏についての批判 その3】
さて、前回、「次回から、古川氏がどんな勘違いをしていたか、そして本が出る段階で、氏の酒についての知識がどの程度いい加減であったか検証することにする」と予告したが、諸般の事情につき、後回しにして(データを保存していたHDがクラッシュし、改めて執筆してもらうことにします…編集者記)、今回は第一回に引き続き、ヨイショの件などについて。古川氏がヨイショしまくりの、「京加茂」を題材に考察すれば、真実がいろいろ見えてくるだろう。
「京加茂」、古川氏はなんども取り上げているが、どのような店であるかについて、かなりブレがある。あの「出世魚」こと村公一さんの事例のようにである。
・226回では、「名古屋に『京加茂』という懐石料理屋……
・298回では 「その後名古屋に行き、『京加茂』を訪問。土方さんのしっかりと調理された懐石料理は王道を行き、奇をてらったものはない」
と、ここまでは懐石料理屋なのだが、第316回では
・名古屋の割烹料理屋である京加茂さんから紹介されて
と、突然割烹料理屋に変貌する。その後に、545回では
・名古屋の良心「京加茂」さん
とまでもちあげ(余談だが、酎ハイはおろか、よいこのびいるまで提供するような店を、「王道を行き」をはるかに通り過ぎて、勝手に「名古屋の良心」とまで祭り上げるなど、古川氏、書いていて多少なりとも恥ずかしいという概念が無いのだろうか。私には、名古屋のそれなりの料理屋すべてを馬鹿にしているとしか思えないのであるが。古川氏、貴様にもし反論があるならばメールをくださいませ。)、その次の回では、
・しっかりした京料理に能勢の酒が合う
と、京料理の店に変貌をとげる。「京加茂」自体は料理に変貌を遂げたようではないので、まあ、この経緯を見れば、古川氏は「京加茂」がどのような料理屋であるか、禿しく推奨しながら、実はきちんと認識していないか、「懐石」「会席」「割烹」「京料理」の区別が出来ていないかのどちらかであり、後者の可能性がきわめて高いだろうことは容易に想像がつく。
ところで、「京加茂」が古川氏が絶賛するレベルの店なのか。それほどの店ならば、ブログの時代、ものすごい多くの人が取り上げているのではないか……と、検索をかけたところ、あまり紹介されていない……。そうしたなか、京加茂を絶賛している、希少価値の高いそのうちの一つ「A'N'F」氏のものを取り上げて見よう。訪問せずとも、「京加茂」がどのような店なのか、判断する一つの材料にはなろう。
この方、オーストラリアにお住まいのようで、日本に戻られた時に、訪問されたらしい。そして、「古川氏の著作でも紹介されている」と前置きした後に、ものすごい感動された模様をリポートされている。
http://sea.ap.teacup.com/fishing/66.html
まずどなたにもすぐにわかる事例をつっこんでおくが、「秋の旬の素材の炭火焼き」で、松茸(これはモロッコ産か?)が出ているのに対して「ま、松茸」と興奮されているが、どうみても輸入モンの松茸でこれだけ喜ぶ方、今時いるのだろうか…、清水の魚市場の「おがわ」あたりに行くとものすごい感動し…否、実にほほえましい。
ところで、その前に触れている「明石の鯛の吸い物」について、「かつおの出汁で生き返る思い」と述べている。この「かつおの出汁で生き返る」について、古川氏あたりのレベルではまずわからないと思うものの、鋭い方はすぐにご理解いただけると思うが、鯛の吸い物は、懐石の場合、箸洗いの役目を果たす場合は、清楚高雅な味に仕立てるため、昆布出汁で潮煮にする。ところが、煮立てていて、鯛の持ち味が強くなりすぎると、「あくどい」味になってしまう(参考文献 「煮炊きもの」辻嘉一著 東大路師匠の書斎から勝手に借りたのであるが、辻師の署名入りの初版ものだったりする。余談であるが、うちの編集者は宮崎市定氏の旧蔵書を少し拾っていたりする。さらに余談であるが、三狂人トリオの中心人物である私はこのまえ、丸田明彦氏の旧蔵書をうっかり拾えた)。このあたりのニュアンスは鯛の好きな方はよくわかっていただけると思うが、味が「あくどく」なると、それなりに味を加えることになる。「鰹節の力を借りる」ということ、この一点をもとに「京懐石」にあらず、「自称京懐石のせいぜい会席料理風」であると看破出来る人は鋭い。
余談であるが、この方が召し上がられたメニューを見ても、とても「懐石料理」とは思えない。これは「会席料理」である。「懐石」とは、茶懐石をもとにする食事であり、本来は文字通り「石を懐く」くらいの、空腹を忘れるくらいの軽い食事である。ところが、営利主義がはびこり、「京」とか、「懐石」をつければ客足がのびるという打算のもと、茶の作法すら知らないような「(京)懐石」を名乗る、「似非懐石」店が結構多い。私の目には、「京加茂」は京懐石を名乗っているが、評価に値しない「似非懐石」の一店にしか見えない。
熱烈な古川ファン他、ごく一部の方は、こうした指摘をすると腹立たしく思うかもしれないが、まともな懐石料理店、こうしたメニュー(お刺身クロワッサンは意味不明だが、天むすとか。私には理解不能)まで用意するだろうか。
http://homepage2.nifty.com/kyokamo/sakusaku/2_1.html
そうした店を、古川氏は、「土方さんのしっかりと調理された懐石料理は王道を行き、奇をてらったものはない」とか褒めちぎっているのであるが……。
古川氏、友里氏に「副業ヨイショライター」と評価されて激怒されているようであるが、まあ常識的な目線で古川氏の書いているものをみると、先にあげた「カリスマ漁師」の件も含めて、「ヨイショライター」と評されてしかるべきであろう。さらに、「懐石」と「会席」、そして「京料理」の定義も知らずにのうのうとうんちくを垂れておられているようであるが、これでは訴訟を起こす要因となった、「井のなかの蛙」という好意的な表現を通り過ぎて、たんなる無知蒙昧な輩と評されても文句はいえないだろう。まあ普段ヨイショされることになれていて、批判されることに対する免疫がないから過剰反応を示したのかもしれないが、「ヨイショライター」と書かれて立腹するなど、古川氏、「勘違い」も甚だしいのではなかろうか。
今回のおまけ
せっかくの機会なので、「A'N'F」氏が賞味した記述をもとに、土方氏の料理を懐石と称するにふさわしいか、そして会席であった場合どうであるかについて、とりあえず私なりに添削しておこう。私の添削(編集者注 東大路老師の代筆では?)を無料で受けることができるなど、土方氏、めったにない機会であるから、熟読するように。まあ懐石と称しながら向附、ご飯、汁の三点で出さないことは世間一般の風潮であると軽くとばしておいて、前菜はまあいいと思うのであるが、そのあとに吸い物を出すのがどうか。昼のメニューとはいえ、造りの後に、箸洗いとして出すのが手順であるとおもうが。焼き物がメインである場合 吸い物→刺身→焼き物 というよりも、刺身→吸い物→焼き物として、刺身を賞味したあとに一呼吸おいていただくためにこの順で出すのが、特殊な意図が無ければ常法。あとで椀物を出していないようなのでなおさらである。そして、その合間の吸い物は、刺身の味を切り、焼き物を新鮮なもので味わっていただくために、淡い味のものが。そして刺身であるが、大トロを使うのは失格。確かに贅沢な素材であるが、大トロを使うと、かなりよい鮃であったにしても、大トロのねっとりした味わいが、もしその大トロの素材がよければ良いほど、鮃の味わいを半減させてしまう。使うならば本マグロの赤身だろう。素材をもし吟味していた場合、その吟味した素材がマイナスにはたらくような組み合わせは好ましくないのは、自明の理である。
酔ったついでに、古川氏のブログに掲載されているものとかについても言及したいが、土方氏、たとえば京都の普通の店のレベルと比較しても、盛りつけにかなり問題がある。具体的に指摘しておくが、たとえば↑のハイパーリンクで張ってある古川氏のブログの、前菜に相当するもの、葉に盛っているのであるが、豆の色がこれだと映えない。あえて盛りつける葉をそのまま使用し、豆を添えるのならば、やや中央に据えると、一応見栄えはするのであるが。その下の方の天麩羅とかにしても、写真技術をかんがみても、全く旨そうに見えないのだが……。 土方氏は、京加茂のHPを見ると、美とかよりも経済の方に興味が強いと思われるのだが、土方氏や、素材さえよければ楽、(レベルのきわめて低い)プロも簡単に越えられると単純に思いこんでいると思われる井のな… の古川氏には、湯木貞一師の、料理と器の関係について述べた次の言葉を噛みしめてもらいたい。
「日本料理は材料さえよかったならあとは楽だと言われますが、そのうえに鍛え抜かれた努力が必要です。日本料理をする者は、日本の歴史から、有名な絵巻物、古典などできるだけ勉強して、おおよそにてもその原点を把握する積み重ねがにじみ出るような修行、十年、さらに五十年、私は命数の限りを勉強に意欲を続けたいと思います」(「定本日本料理」会席春夏 昭和五十四年 主婦の友社刊)
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思 えない古川氏についての批判 その4(→3に直します)】
ところで、古川氏には以前、その内容について疑念があり、質問するメールを公開の形で出したところ、今のところ返事がきていない。納得のいく説明をしていただきたかったんだが、(注:実は直後に、「裁判の最中なんで、その関係でちょっと返答できません、あしからず」という趣旨のメールをいただいていました。見落としていましたので、ここに深くお詫び申し上げます)、
その疑念とは、古川氏が書かれた次の記事である。出典は、古川氏の「スーパーグルメ術」の第470回である。そのタイトルが、「京料理と大阪の料理の違い」であることに、まず留意したい。以下の内容、「京加茂」の主人が、修行した先の大将が、「丸治」という店で修行していたという前提である。
「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、
かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ。
吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して、
丸冶は料理だけで勝負をしていたという。」
まあ、多少まともな読者ならば、この記述を読んで、「この田舎者、どうしようもないアホだな(爆笑)」、「京加茂をヨイショするために、よくもここまで大嘘をつけるモンだ」と思うであろう。2chあたりだったら、優れた匿名氏から「古川、こいつどうしようもないアホだな、氏ね」「逝ってよし」という類の賛辞が送られるのではなかろうか。
「類は友を呼ぶ」ということわざもあるが、古川氏を取り巻く、プロではなく、趣味で酒を造っている蔵のみなさんとか、きき酒師のみなさんの中には、古川氏と同じようにおもう方も多いかもしれない。そうした人には、居心地の良い世界に引きこもったままでいていただきたいのだが、この記事を読むだけで、古川氏が井の中の蛙どころか、何もしらないただの酸っぱい親父ではなかろうかと思うのが日本の常識であってほしい。
以下、簡単に根拠を述べたい。
まず、「丸治」であるが、それほどの名店であるならば、まさかとは思うが、知らなかったのは私だけで、結構知られているだろうと思い、人脈を駆使し、かなりご年輩の文化人を始めとして、料理人、雑誌関係他のさまざまな筋に一応聞いてみたところ、誰も知らなかった(爆笑)。、古川氏が、私が聞いた範囲の人物は「小物ばかりで、そんなことはないはず。吉兆とならぶ京料理の名店であったはずだ」とあくまでも主張されるのであれば、小物一同として、名誉毀損で古川氏を訴える所存である。
次に、吉兆である。まず、問題にしたいのは、「吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して」、という記事、これは何を根拠にしておられるのであろうか。嵯峨野の「吉兆」の場合、歴史的経緯から、お客さんの要望にあわせて、かつては西陣あたりの芸者を呼んだりしていたことはあったかもしれないが、創業者の貞一師はあくまでも料理一筋、そして自己表現である料理を、料理にふさわしい器との取り合わせを考え、美味と佳器との交錯する雰囲気の妙快を味わっていただきたいと器にもとことんこだわり、そうした雰囲気を醸すために、季節やお客様への配慮の上に、掛け軸や自己流の生け花までこだわった、名料理人である。その総合力によって、不世出の料理人として名を残された訳で、わけのわからない店との対比で、「芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていた」というのは、吉兆の歴史を侮辱する記述に他ならない。古川氏が友里氏へ一千万円の名誉毀損でしたことをふまえれば、軽く●億円くらいの名誉毀損の賠償請求をされてもおかしくはないと思うのだが、古川氏、そのくらいの覚悟をしたうえで記述されたのであろうか。是非、感想を聞かせていただきたい。
そしてさらに、「京料理と大阪の料理の違い」と題した上で、「吉兆と並ぶ京料理の名店」という記事が、古川氏の無知蒙昧ぶりを自ら示していて嗤わせる(「無知蒙昧」という表現、事実と異なるならば、名誉毀損で訴えて、勝ち目のない戦を挑んでこい。俺様は喜んで受けて立つぞ)。吉兆は、日本料理の頂点に値する名店であるが、良く知られるように、そのルーツをたどれば大阪料理である。以下、私の妄想である。古川氏は、嵯峨野が吉兆の本店であると勘違いし(嵯峨野は京都吉兆の本店。ここまで呼んでも古川氏をまだ「先生」とヨイショして呼びそうな馬鹿者のために念のために言っておくが、吉兆グループの総本店は高麗橋である。これは基本中の基本)、日本料理の頂点に相当する名店であるからつまりは京料理の名店である、「京加茂」のルーツをそこと並べれば、読者は自分が酒について助言している、サワーやこどものびいるまで用意している「京加茂」を名店と思ってくれるのではないかと思って書いたのではないかと(事実誤認であったならば、何を根拠にそのような記載をしたかを知らせていただければ、その内容をもとに、その箇所については訂正するので、古川氏、メールをください)。
とりあえずいったん、上に述べられなかったことを含めて述べて、この項を締めくくりたい「吉兆」は日本料理の代表的名店であり、京料理の名店とはいえない。ただし、嵯峨野店は、京都にある以上、地の利を活かした、「京都における日本料理」として、立派な京料理を出しているのも事実である。そうした事情をふまえれば、古川氏の記事は思いこみの激しい人が、単なる妄想を連ねたのか、あるいはある目的のもと、意図的に事実関係をねじ曲げて述べたものではなかろうか。古川氏の反論を待ちたい。古川さ〜ん、お返事をおまちしてま〜す。
次回は、ちょっとはずれて、京料理について述べたい。
今回のおまけ
古川氏と秋鹿の関係について、友里氏は癒着と揶揄し、それが名誉毀損の一因であるとして古川氏は激怒していたようだが、古川氏、ご自身のHPで、秋鹿の『クレマンドノセ』という商品、「多酸酵母を使った甘酸っぱいシャンパンのような発泡酒を企画提案し、ラベルに秋鹿さん所有のコスモスの丘から見た能勢の田園風景を描きました」と、そのただならぬ親密な交友ぶりを自ら公開している。まあ、世間一般の常識からすれば、「癒着」と非難されてもしかたがなかろう。古川氏ならば、「いや、一所懸命に買いあおり……否、応援しているだけだ」と弁明されるかもしれない。
その秋鹿であるが、関西地区でかなりのシェアを持つ某DSチェーンで、在庫処理が目的なのかよくわからないのだが、秋鹿のワンカップのみが、廉価で販売されていた。売れ筋の商品ならば、こんなことをする必要はないと思うのだが(特殊工作員による激写を、以下に添付する)。
古川氏、買い煽……、否、応援がまだまだ足りないようである。今後も、これまで以上に頑張って、秋鹿の買いあ…、否、応援をしてほしいモンだ。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思
えない古川氏についての批判 その5】
さて、京料理である。京料理の定義はさまざまであり、広義では、京都で作っていれば、お好み焼きでもラーメンでも京料理という見方(確か菊の井の村田氏がどこかで書いていた記憶あり)もあるが、ごく常識的な見方としては、辻調理師専門学校のHP(下記URL参照)に掲載されている、小西重義氏の京料理談義で、ほぼ語り尽くされていよう。
http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/kyoto/home.html
まあ細かい点は小西氏の話で確認してほしいのだが、一カ所だけ引用したい。上記サイト内の、「誤解されてる!?京料理」の項で、小西氏は次のように語る。
真似ばっかりしてたら自分のものはできへんいうことや。それは、料理人に知恵がない、いうねん。様式ばっかり真似して味はかけ離れてる、いうのが多い.で、名前だけ「京料理」つけたらいいと。箱根の山の中で京料理やなんて、アホカ、言うねん。東京行って京料理、北海道行って京料理、鹿児島行って京料理、ニューヨーク行って京料理(笑)。
ええか、これはね。京都でとれた材料を京都の水で処理して京都でだすさかいに、京料理いうねん。京都の料理つこて東京でだすんやったら「京都風東京料理」てぬかせ、て。ね、ほんま。(笑)
文化的背景など露とも知らず、軟骨のから揚げやとあえず枝豆(笑)、そしてよいこのびいるまで提供する「京加茂」を「しっかりとした京料理を出す」とまで言い切る古川氏は、小西氏の語る京料理の定義を読んで、何ら恥じらいを感じないだろうか。また、小西氏の語る京料理の定義を読んだ方は、古川氏と、名古屋の「京料理」の名店(笑)の主人が、「長々と日本の食文化の後退、さらにはそのうち滅亡するかもしれないと話し込んでしまった」(グルメ術第299回)と記事を読むと、何か悪い冗談のように思えてしまうのではなかろうか。
ところで、嵯峨の吉兆について、その歴史的経緯とはなんぞやという、読者の方からの質問がきたので、ついでにここで触れておく。
かの地の吉兆は、もとは大阪の骨董屋の小島氏の別荘であった。小島氏亡きあと、その別荘をどうするか、大阪の財界人が相談し、財界人の紳士倶楽部にしようという方向で話がまとまったが、湯木貞一師がその別荘の灯籠がどうしても欲しかったのがきっかけで、伊藤竹之助氏のところに訪ねたところ、吉兆にまかせようという話になり、山本為三郎氏が金銭面で世話をして、吉兆の店になったというのが、その歴史的経緯である。長い歴史を持つ京料理の店とは、その成立の背景は異なる。
さらに余談であるが、京料理の名店ならば、その歴史、格からしてまず「瓢亭」を第一にあげなければならないだろう。古川氏、「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ」と述べていたが、そうした出鱈目を仮に聞かされても、「吉兆」が京料理の名店であるという馬k……否、「井の中の蛙」をはるかに通り越した無知なること極まりない思いこみをしていても、「丸冶」が「瓢亭」を越える店だと思っていたのであろうか。是非その根拠をうかがいたいものである。
とりあえずここまでまとめた内容から、古川氏は「井の中の蛙」(私見では、まだ好意的な表現と思われる)の「ヨイショ癒着ライター」であることは自明の事実であると私は判断するのであるが、みなさんはどう思われるだろうか。
古川氏、自分はヨイショライターでも癒着ライターでも井の中の蛙でもないと拳を振り上げたのであるが、司法の場においておそらくは、事実関係からして、ヨイショ癒着ライターであり、井の中の蛙と評されてもしかたがないだろ(♯ ゚Д゚)ゴルァ!!と裁判長に断ぜられることになろう。まあそうなれば自業自得な訳であるが……。
傍聴者の面前で、表現にはやや問題があるものの、友里氏の書いた内容はほぼ事実であると断ぜられ、茹で蛸のように真っ赤になりながら屈辱に耐えるであろう古川氏の姿、是非とも都合をつけてでも見に行きたいモンである。古川氏、訴訟取り下げとかはせずに、最後まで頑張っていただきたい。
今回のおまけ……軽い蘊蓄
京料理談義で、では友里氏が名店とする、西氏の「京味」は、「京都風日本料理」ではないかという疑念をもたれる方も存在すると思うが、京味の場合、京都で調理するのと同じ条件でという点に配慮している(たとえば春には昼取りの洛西の筍を取り寄せる。朝掘りではないのがミソ)ので、京料理と名乗っていても違和感はない。以上、ちょっとした蘊蓄である。
【さて、問題はかなりのグルメかつ日本酒通と世間で一応思われている方で、ところがどっこい、ネットで公表されている事実関係からうがった推測すると、どう好意的に見てもかなり中途半端なグールメかつ私のレベルからすれば似非日本酒通の方としか思 えない古川氏についての批判 その6】
この連載?を開始してから、結構いろいろな業界関係者と話をする機会があったり、メールをいただいたりした(存じ上げない、技術系の方から以前挙げた麹の件で結構メールをいただいてちょっとびっくりした)。技術系の方から、「鮭野さんのHPをこれまで読んできて、まさに目から鱗。これまでの、日本酒に関する疑問がずいぶんと氷塊しますた」とお世辞に過ぎない感想をいただくと、お知りかじり虫に尻をかじられているような、妙に居心地の悪い気持ちがする。どうかお世辞の挨拶はやめていただきたい。
さて、そうした会話やメールでのやりとりで、かなりびっくりしたのが、
「古川氏、実はあまりその存在を知られていなかった」
という事実である。一応、2万部くらいは出版社から取り次ぎに出ているらしく(どのくらい裁断機にかけられているかはわからないが)、まあそれなりに知られているとは思っていたのだが、私が連載を開始してから知った関係者が結構多いのに驚いた。「おかげさまで、本当にしっかりした造りの酒は生で常温熟成するとおいしくなるからわかる、とか酒屋からすれば迷惑千万なこと言う基地外、いやお客様が最近異常発生しておりましたが、情報の出所がつかめました。これで対処できます」というメールをいただくと、これまでの内容だけでも、それなりに公益性はあったかもしれない。
また、古川氏の存在を以前から知っていた方からは、「よくぞ言ってくれた!叩きのめしてやってくれ!」という意見も結構いただいたのだが、「私の意見に異を唱える方からのメールはまだ来ていない(しかしまだ日本酒に関する本題に入る前なのに…… まあ率直な世間の評価なのかもしれないが)。古川氏ファンの方(ファンは、不安の当て字ではない、為念)、是非これまでの内容について、感想などをいただけたら幸いである。その場合は、「これまで古川氏の書いたもの、ちょっとおかしいなと思いながら信じていましたが、目から鱗が落ちました」というお世辞を使っていただいてもかまわない。事実は事実として厳粛に受け止めたいと考えている今日この頃である。
ところで、ちょっと誤認されている方も多いので、一応「京加茂」について触れておきたい。「京加茂」、古川氏の物差しで測れば「極上の懐石」を出す、「京料理の名店」なのかもしれないが、古川氏の物差しの目盛りはかなり怪しいを通り越したレベルであることは、これまで指摘した通りである。断じて京料理の店とはいえないし、子供向け飲料とか見れば、少なくとも心構えは、(私の物差しでは)割烹の名店ではないことも明らかである。ただし、料理屋は提供する料理と、価格との釣り合いが大事であり、「京加茂」はそうした意味では、そこまで高額な店ではない。コースまで提供出来る割烹風居酒屋という視点で割り切れば、私見では、今のところそれなりのコストパフォーマンスの店ではないかと思う。淘汰の激しいこの業界で潰れずに頑張っておられることも、その判断の根拠である(一定レベルに満たなければ潰れているのではないか)。私見では、盛り付けに難があると思うが、そうした要素を克服するために、経済よりも日本の歴史、古典などを学び、京料理ではなく、日本料理の名店を目指して頑張って欲しいと思う(まあその為には酒のメニューを考え直すことが第一であるが)。
あと、一点、読者から質問が来たので答えておきたい。
Q:京料理ですが、「京味は京都の水を使っていないので、京料理とはいえないのでは?京都風東京料理ではないですか」(おつむの足りない粘着君 様)
A:まあ、京都の水云々は微妙な所ですが、他の要素を満たしていて、とりあえず軟水を使用していれば問題ないと思います。第一、京都の料理屋が使用している水、地下水を汲む料理屋も多いのですが、水道水を(濾過して)使っている料理屋の方が多数です。水道水、立地からしてほとんど蹴上を経由した琵琶湖疎水の水ですからね。せっかくですので、柴田書店の「定本日本料理 会席秋冬」から、西さんのコメントを引用しておきます。揚げ足を取ろうとする際に「京都風日本料理」と質問できない程度の足りないおつむでも、西さんの店が京料理の店として評価してよいことは、ご理解いただけると思います。
「店の名前どおり、東京で京都のおいしいものを召し上がっていただくのが願いでございます。十年前の開店にあたって、東京のことは西も東もわからないもので、京で修行中の知り合いやら、遠縁を頼って、魚は姫路から、野菜もんは京の八百屋から、山のものは丹波にいる親父や身内から送ってもらうようにしました。今にして考えますと、ほんまの京の味がお出しできて、かえってよかったと思っております。今では航空便や深夜のトラック便で、京の夕掘りたけのこは翌朝には届きますし、まつたけも摩気の太くて足の短いものがさっそくに使えます」(同書202頁)。
今回のおまけ……
古川氏が、商品を企画提案したりする「秋鹿」、ここ数年各種提灯メディアへの露出が結構多い。では、その酒の実力はどれほどのものであろうか。最近目にしたものの中では、京滋地区を中心に急速にその勢力を拡大(自転車操業と見なす業界関係者のいるのだが)しつつある、DSのリカーマウンテンが、「純米酒を斬る」というテーマで商品を集め、社員がブラインドでガチのきき酒をして、その結果を公表している(下記サイト参照)。
http://www.likaman.co.jp/cavatappi/30/jun_01.html
古川氏と懇意にしている蔵としての実力を存分に示し、18位入賞。見事なモンである。
……と、それはさておき、上原浩氏が生前指導した蔵として知られ、その名が特定のグループから頻繁に出てくる「神亀」や「秋鹿」といった地方蔵の酒、味わいについては最終的には個人の好みなのでとやかくは言いたくないが、技術的にどうなのだろうか。上原氏が長年手塩にかけて育ててきた鳥取の「諏訪泉」や「鷹勇」あたりと比較すると、技術的には一定の差があるのではないかという印象をきき酒からは受けるのであるが……。
【さて、問題はかなりのグルメかつ(中略)古川氏についての批判 その7〜 癒着とは?業界を取り巻く癒着の状況を、加藤茶ではないが、ちょっとだけよと書いてみる】
さて、号外も結構長引いてしまったので、とりあえず一旦小休止することにしたい。「おっと、お酒関係の話はまだ?」というつっこみが入りそうなのであるが、動物園のコーナーで深く論じたいと考えている。ところで、小休止する前に、軽くまとめ。癒着ということについてである。
古川氏が、どこかと癒着の関係にあるか否かについて、まあ私のみならず、普通の読者の方ならば、古川氏がネット上で連載していたコラム、「私のスーパーグルメ術」を頭から読むと、すぐに疑念を懐くと思う。第四回あたりで、
もし、素人が商売を抜きにして自前で振舞うことにすれば、
同じ予算では専門料理店の3倍の値段の
いい食材を仕入れることができる。
美味しさの原点は食材のよさであり、
しかも、いい食材は単純な調理が適切だから、
素人の料理でも美味しいものが作れるのだ。
と古川氏、正論を述べているのであるが、その後に一度ではなく、しばし登場する店、なぜか古川氏が推奨し、しかもご自分で取り寄せ、自分で調理することが可能な食材である「村さんの鱸」、「西崎ファームのバルバリー鴨」といった食材をおいている店をいろいろと紹介している場合が多い。食材を自分で取り寄せられるならば、わざわざ店に出向いて、良く知った食材を高い金を払って食べる必要はないだろう、というのが普通の感覚である。どうせ金を払うならば、「井の中の蛙」でないよう、自分の知らなかった食材とかをいろいろな店に行って探索したい、とは思わないのだろうか。そうした先入観が入ると、自分が懇意にしている食材の提供元を吹聴する為にいろいろ書いているのではないか、と勘ぐってしまうのが普通であり、そうした視点で読み直すと、いろいろなものが見えてくる、ではなく見えてきてしまう(苦笑)のである。
ここまで納得出来た方に是非、新刊ではなく、古本屋で入手して欲しい本がある。それは上野敏彦氏による「闘う純米酒〜神亀ひこ孫物語」である。
この本、興味対象以外への取材不足か、筆者がいいかげんなのかよくわからないが、「神亀とその愉快な仲間達以外」へは全く配慮のない出鱈目な記述も見受けられ、まあ普通の方には読むことをおすすめできない。まあ業界で「神亀教」と揶揄される皆さんにとってはバイブルの一つともなる著作なのであるが、この著作の意義は、「神亀」をとりまく、さまざまな人間関係が描かれていて、そうした意味では「業界のタブーを破った」興味深い本である。
たとえば、酒関係のライターとして知られる、古川氏ともお友達である藤田千恵子さんが「神亀にはいつもご飯を食べさせてもらった」といっていたという趣旨のことが書いてあったり(これから、藤田さんが神亀や関連する所の記事を読む場合は、そうした前提があることを皆さん、念頭に置きましょうね。記事を依頼する雑誌の皆さんも、そう思われることを念頭に依頼しましょう。受ける人には受けますので、売り上げ維持につながると思います)、たとえばその藤田さんと雑誌「オレンジページ」の編集が懇意の関係だったりする(つい最近、TBS系で村公一さんの特集が出た関係で、ネット数が増えたが、この前までネット上で、「村公一」で検索をかけると、古川氏から情報を得た所以外では、オレンジページのHPくらいヒットしなかった)。まあほかにも香ばしい話はいろいろあるが、皆さんの自習課題として、是非古書で購入の上、調べていただきたい。
ところで、皆さん頑張って調べても、わかりずらそうな件について。
連載開始の「序にかえて」で、以下のようなことを記した。かなり長くなるので、再掲する。
《以下、長いが再掲内容》
【以下、酔っぱらいの戯言 編集者もUPする際に泥酔してました】
と、ここまでで終わると、「なんだ、鮭野、面白そうなネタの場合はいつも引き延ばしにするな」と苦情がくるので(編集者注 私が加工するのに手間がかかるので、すいません)とりあえずこの前一寸気が付いたこと。
古川氏、コラムの終了の際に、「まとめ」としてこれまで採り上げた店と、短評を羅列しておられる。失礼を承知でややうがった見方をすると、訴訟を意識しているのではないだろうか。目算で日本国内では、700回のコラムで136件の店を採り上げたとされ、短評をつけている。「特定業者と癒着している」と非難されたがそれは嘘で、これだけ多くの店を採り上げましたよとアピールするのが目的と思わず勘ぐってしまった。数字を表面上だけ見ていると、そう説明された場合納得がいくが、たとえば、京都の日本酒バーは、終了の際に4件短評をつけている(第728回)。
京都「日本酒バー あさくら」 感じのいいマスターの選ぶ日本酒は旨い。
京都「日本酒バー ヨラム」 夜だけ日本酒バーになる面白い店。
京都「日本酒バー たかはし」 気さくなマスターとの会話が癒しになる。
京都「日本酒バー 膳」 常温熟成の地酒が愉しめる。
「まとめ」という表現をつけると、これまでにいろいろ紹介した内容をもとに、要約したという気が一瞬してしまうが、これらのバーに対するコメントは、以下だけである(Qサイトの過去記事検索で、日本酒バーで以下がヒットした)。
(456回)
京都は最近、日本酒バーが次々と開店している。
今回は昨年の秋口にオープンした「あさくら」を訪問。
日本酒を堪能した。
(464回)
京都の日本酒バーは3軒訪問。
以前メイルで京都在住の麻生さんから
「たかはし」という日本酒バーを勧められていたが、
インターネットで調べても分からなかったので、
こちらは次回へ持ち越し。
「あさくら」「膳」「ヨナム」と訪問して、日本酒を堪能した。
(714回)
四条烏丸の近くの日本酒バー「たかはし」を初訪問。
麻生玲央さんから勧められていて、
前から一度行ってみたかった店だ。
旭若松、竹鶴などの熟成酒を愉しむ。
落ち着いていて、地酒の品揃えもなかなかで、確かにいい店だ。
蕎麦の話など、高橋さんと盛り上がる。
いやあ古川さん、ご自分が普段推奨している銘柄である「旭若松」「竹鶴」がある「たかはし」だけは、どうにかしてとりあげようとご熱心ですね。「旭若松」は、業界地獄耳の異名を持つ俺様ですら、古川さんのコラムで当時知ったくらいのマニア向け銘柄だと思うのですが……。この店だけ「落ち着いていて、地酒の品揃えもなかなかで、確かにいい店だ」とまで、(爆笑)。「前から一度行ってみたかった」という表現、「前から一度吹聴しなければいけないと思っていた」と失礼を承知で、酔いに任せて読み替えてしまったのは俺様だけでしょうか。他の店は「堪能した」だけ書いて、最後にコメントだけというのは一寸……。他の店で何をお飲みになり、どのような感想をおもちになったのか、一寸知りたいところである。
こんなのでは、特定業者と「癒着」と言われても恥ずかしくて文句は言えないのでは。
《以上、再掲 終わり》
この時、旭若松について私が触れたこと、当時わからなかった方も多いと思う。旭若松、社長は農大出身、つまりは神亀の同窓であり、娘さんは神亀で修行していたとのことが、上野氏の先の著作で出てくる。古川氏が、執拗に「たかはし」を取り上げたかった理由が、何となく想像出来てしまわないだろうか。ちなみに旭若松、正確には存じ上げないが、現在の製造量、40〜50石らしい。一升瓶4000〜5000本である。神亀つながりでない限り、古川氏が知る機会を得るのはかなり難しい酒ではなかっただろうか。まあこうした事情とかもふまえると、友里氏の「癒着ライター」との指摘、的を得ているとしか思えないのであるが。
業界を取り巻く話とかは一旦ここまでにしておいて、古川氏の酒の知識については、「動物園」のコーナーにて論じたいと考えている今日この頃である。
・せっかくなので最後のおまけ。
まあちょっとだけ業界におけるパンドラの蓋をちょっとだけ開けたので、ついでに。別にこの業界で飯を食わせてもらっているわけでもない立場にいると、遠慮無く好きなことを言えたりする。
ダンチュウとかの、いわゆるグルメ雑誌は、特集が組まれる場合、わかりやすくいえば、「執筆記事」と「広告記事」がある。日本酒の場合だと、「執筆記事」は、世間で良く知られたライター、換言すればその方面で飯を食っておられる方が、依頼されたテーマで自由に書き、「広告記事」の場合、会社側が広告として掲載してもらう為に、ライターに依頼したり、企画をたてたりしてまとめられる記事である。後者の場合、その代表的な事例として、T酒造のホワイト壁蔵関係の記事とか、思い当たる方も多いだろう。こうした広告記事、結構高額だったりするんだが、広告記事の場合、どうしても掲載して欲しいという意図よりも、業界で特集を組んでいただくので、協賛しよう、ついでに少し宣伝になれば(取り上げられても、どこで売っているのかわからない会社の商品とは異なり、販路が大きいため、一定の広告効果が認められる)という、資本力のある太っ腹な蔵の姿勢にある場合が多い。まあ、広告記事が一定ないと、次からはなかなか特集を組んでもらえない(とすると業界のさらなる衰退につながる)訳で、世間の常識で考えれば、「執筆記事」で取り上げられたメーカーは、広告記事を出しているメーカーに対して足を向けられない(のに、大手がまずい酒を出しているから云々とたわごとを言っている馬鹿者が多い。大手には未納税でさんざん世話になって、地酒ブームの頃、いつまでもこの関係は続けられません。頑張って自立してくださいといわれながらなかなか自立出来ずに、無理をして最後までつきあってもらいながらである。大手の側の視点からすれば、飼い犬に噛まれるという表現が適切ではなかろうか)。
まあそれはそれとしてであるが、問題は執筆記事の方である。最近、特定の会社の商品が取り上げられることが多いと、皆さん気付くであろうか。それは、ライターの数が限られていて、どうしても取り上げる対象が偏りがちになる。わざわざ取材に行かずとも、普段懇意にしているところを記事にすればまあ楽であるし。そうした所から、自分たちは認識していないが、世間の常識で言ういわゆる「癒着」が生じるのである。
ところで、酒の本関係で出版するだけで、出版記念会をする人が業界では結構存在する。酒の本を出してもたいして売れない(一時期、酒の本ではない印税が収入の大部分を占めていた生活をしていたこともある私だからはっきり言うが、印税で100万以上の収入を得るのはなかなか困難である)し、普通の場合、パーティを開くと、赤字で補填の為に、印税をつぎ込むことになるのでやりたがらなかった。ところが、そうした癒着の関係が生じると、パーティーの会費を高く設定しても、今後のことも考えて参加する所が結構多かったりするので、今や出版記念パーティーが政治家の政治資金集めのような趣旨で開かれることも多いようだ。このあたりの事情は、酒ジャーナリストの山本祥一朗さん(私見ではまあ、業界でまともな方は、この方と篠田次郎さんくらいではなかろうか)が触れているので、興味のある方は、以下のリンク先を参照していただきたい。パーティーにも、お祝いする相手が人脈が広く、長く懇意にしている人たちが多数集まり、結果として赤字にならない場合もあるし、それはそれでいいんだが、ほとんどおつきあいの無かった人が結構登場する場合は、それなりの理由があるのであろう。蔵の皆さんには、「おつきあいも大事だが、相手を選びましょう」とだけ言っておきたい。
ついでながら、興味のある方は、下記サイトの吉村さんの放談の中の下の方、「酒蔵の寄生虫産業の話をしてください」とかを読んでいただければ、まあ大まかに造り手が考えていることとか、業界の現状(吉村氏の放談の上の方の記事は、ちょっと見解の違う所もあるが)とかがわかっていただけると思う。
〜過去の関連記事 〜
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB とりあえず追記】
7月11日 記
前回の更新のあと確認したが、友里氏のブログが更新され、私のHPの更新についてとり上げていただいている。そこで、一応追記などを。
友里氏は6日のブログにて、「関西で日本酒と食の造詣が大変深い方だと思われる方から」と、私のHPをとり上げていただいているが、私の日本酒への造詣については長年このHPを読んでいただいている方や、実際にお目にかかった方ならば、どのくらいのレベルであるか(まあわかりやすくいえば、いわゆる一般のきき酒師のはるか雲の上)推測は出来るであろうし、まあそのように言われても違和感は無いが、食については外食をほとんどせず、せいぜい年に一度、滋賀の知人の奥さんの山菜料理他を味わうのを楽しみにしているくらい(編集者注 その奥様、確か辻留の花板だった方から長年指導を受けていた方ですよね)の井の中の蛙である。食材へのこだわりはどうか。例えば京都に長年住んでいながら、野菜を古川さん絶賛の、錦の有名店「かね松」で買い物をしたことは一度もない。せいぜい、時間が有ればその半値程度で、とりあえず鮮度だけははるかに良いものが手に入る上賀茂のある野菜の直売所とか、西陣の筍酒店さんに野菜を買いに行くのが楽しみというレベルである(余談であるが、普通の京都人、普段「かね松」で野菜を買うのだろうか……。確かに野菜の品質はかなり良いが、費用対効果でやたら高いという印象)。
あと、9日更新の内容で、友里氏は「私が彼に返事を出したことをある分野の人は裏取引をしたとか言っているそうですが、お答えしたのは「『こびき』へ行った時期と『宗玄』をその場で飲んだかどうかだけであります」とのことだが、これはやや不正確。私が質問したのはその二点であったが、ついでに、注文したメニューの一部、および飲んだ印象も教えていただいてしまったことは先の更新であきらかであろう。私がこれから更新する内容は、現在進行中の訴訟にも一部影響を及ぼす可能性があり、ここに付記しておく。
ただ、訪問時期を当時うっかり明示してしまったのは私のミス。一応訂正したが、友里氏にご迷惑をおかけしたことを、この場でお詫び申し上げたい。
あと、古川氏に対して、私がメールを出したということが友里氏のブログにあったが、変に誤解を招くといけないので、どのようなメールを古川氏に出したか、(差し障りのないよう加工したうえで)下に付しておく(まあ読者の皆さんには、公開質問状ととっていただいてもかまわない)。古川氏、自称ではなく本当に本職は一応研究者らしいので、所属する大学に出すのが一番確実と思い、古川氏の大学のメルアドに出してみたのだが、無視されたのか、調査に時間がかかっているのか(コメントが何を根拠にしているのか、調査をするまでもないはずなのだが)、ご自分の余りにも馬鹿丸出しとしか思えないコメントについて、説明できないのかまだ返事はこない。
ということで、古川さん、返事を待ってま〜す。こっちも、HPの更新結構手間がかかっておりますので(内容によっては、久しぶりに公開する前に弁護士の目を通さねばならぬ案件ですから、それなりに気を遣っております)、よろしくおねがいします。
送信元 鮭野 夢造 <sakenomuzo@××××.livedoor.com>
送信日時 2007/07/06 00:53 (+0900)
TO <furukawa@sic.shibaur×-it.××.jp>
件名 グルメ術の記事について 問い合わせ
古川 様
初めまして、知りすぎた消費者、鮭野夢造と申します。
古川さんが友里さんに対して起こした訴訟について、思うことなど私のHPで一寸触れはじめており
(私のHP)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/
(の新辛口批評をご参照ください)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/newkarakuti.html
件の事例について友里さんに対する批判は一応行いました(一昨日夜に友里さんにメールを出した所、返事をいただき、この内容は一部訂正する予定です)。
それに関連して、古川さんにうかがいたいことがあります。
古川さんが過去に、「スーパーグルメ術」にて掲載された内容についてです。
古川さんのお書きになること、得心のいくこともありますが、結構疑問に思うことが多いのも事実です。まあ、その多くは勘どころが付きますので、古川さんの知識不足による思いこみ、勘違い他ではなかと思うのですが、それほど食に対する造詣は深くはない私からしても「さすがにちょいとこれはないぜ」というものに、古川さんの京加茂についての記事があります(この件をもとに、古川さんにからんで、次の記事をものす予定であります)。
第470回「京料理と大阪の料理の違い」
にて、
「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、
かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ。
吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して、
丸冶は料理だけで勝負をしていたという。」
と古川さんはコメントされておりますが、このコメントは何を根拠にされているのでしょうか。
食に対する造詣など乏しい、私の知識程度では、このようなコメントはまずありえないので、現在、乏しい人脈を駆使して、「丸治」関係について、調査を始めましたが、古川さんに直接うかがうのがとりあえずてっとり早いとおもい、失礼を承知でメールを差し出した次第であります。
日々研究でお忙しいとは思いますが、なるべく早い時期にお返事をいただければ幸いです。なお、お返事をいただけない場合は、一定期間を経たあとに、こちらの判断のみにて記事をまとめますので、こちらがどのような形でまとめたとしても、こちらの内容について事実誤認が無ければ、大人としてご笑諾いただければ幸いです。 鮭野 拝
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB いろいろと、訂正 その2】
7月8日 記
(前回の続き)
さて、次はいよいよお酒の話。友里氏からは、宗玄は店で飲み、押切さんのコラボ酒も購入して飲んだとのこと(こちらも一応予想はしていたが、友里氏によれば公表した段階では紙数の制約もあり、そこまで触れることが出来なかったとのこと。なるほど、であるが、せっかくご自分のHPで再録されているのだから、必要以上に誤解されることを避けるために、補注を付けても良いのではないかと思われる)。店では古川氏の宴会の時に出ていた宗玄、秋鹿の純米無濾過生原酒を飲み、「ワインと違い日本酒の素人なので、普通の一般客としての感想」という断りのうえ、古川氏の宴会の時に出ていた宗玄純米無濾過生原酒(山田錦、雄町)、秋鹿について
「確かに米によって味が違うが、どれも原酒で味が濃い。冷や(キンキンに冷えた冷酒であろう 鮭野注)しかなかったが、常温だとさらにしつこいかも。55%精米であるが、先入観からか苦手な吟醸香のようなものを感じた。こんなまったり系の酒、最初から最後まで食事に合わせるものではないと素人は考える」という主旨の感想を持たれたとのことだった。
この友里氏の感想は、酒意地の汚い、酒は量を飲めれば良しとするアル中に限りなく近い人は別として、まともな味覚を持つごく普通の人ならば、かなりの確率で同じように思うのではないかと思われる。では、解説しよう。
純米無濾過生原酒であるが、まず、アルコール度数が高い。大体17度前半である。通常の日本酒が大体15度前半の度数設定である。アルコール度数が高いお酒は、体への負担が大きい。特に夏場など、気温が高い時期には、結構きつかったりする(最近は13度前後の商品も増えてきたのも、そうした理由からである)。無濾過系の生原酒は、味わいも濃厚で香りも管理が良ければ(生老香が出ていなければ)火入れをしていないことにより、吟醸系のエステル香もそれなりに残存していて(私の豊富な経験則では麹香は落ち着いている事が多い。ただ、友里氏が感じた香りはセメダイン臭の可能性あることは指摘しておきたい)、確かにインパクトは強いが、量を飲むには向かないないだろう。
余談であるが、私の記憶(東大路師から聞いた話)では「つきじ田村」(余談だが、癒着ライターと揶揄されてご立腹されている古川さん、自称食通レベルの方ではないはずですから、「こびき」など足元に及ばぬ名店である「つきじ田村」、当然何度か訪問していますよね。その昔訪問した際の感想などを是非ご自分のブログもしくはHPで公開してください。まさかとは思いますが、もしブログもしくはHPにて公開できない、つまりは訪問していないければ、そのことを根拠に古川さんを自称似非食通と認定させていただきます。あしからず)の田村平治氏は、修行中に「瓢樹」の西村氏に、料理の味付けの要諦として「濃い素材には濃く、淡い素材には淡く」と指導されたと回顧されていたそうだ。この「淡い素材には淡く」とは、薄くではなく、素材そのものの味わいを引き立てるようにとのことである。一部例外はあるが、この原則は料理と酒との相関にもあてはまる。無濾過系の生原酒の場合、旨味(アミノ酸)が強い、火を当てた料理や珍味の一部には相性がよい(鴨の鍬焼きとか、それこそ味噌漬けの焼き魚とか、ぬたあえ他)と思うが、夏場にはしんどいだろう。さらに、冷蔵であれ、夏場まで寝かしていると、無濾過系の生原酒の場合、残存する酵素の影響でアミノ酸がさらに多くなり、味がよりダレて(重くなって)しまう。ポテトチップなど平気で一袋空けてしまう、味の素世代のおこちゃまな味覚の持ち主ならば何ら違和感を持たないかもしれないが……。さらに一ついえば、生魚と合わせるならば基本は老ね香や柿熟香の強くない、控え目な香りの純米か本醸造の燗酒(産地は内陸ではない。間違えても秋鹿とか、神亀ではない)がベストだと思われる。生原酒や吟醸酒の多くは、どんなに魚の鮮度がよくても、魚の生臭みを強調してしまうことが多々ある(魚をいじっている人にとっては閾値以下であっても、普通の人にはそうではない)。スーパーの鮮度の良くない魚に慣れているレベルの客は気にしないだろうが、店の方には気を付けて欲しい。
ここまで書きながら思い出したが、宗玄の無濾過生の場合、金沢酵母を使用していたと思われる。金沢酵母は数値ほど官能的に酸味を感じず、つまりはアミノ酸の味がかなり前面にでていたはずで、時期がやや遅れて訪問した友里氏にとっては、味わいがより重たいという印象を持たれたのではなかろうか。
要は、店で出す料理と酒の相性、そして味が熟れすぎていた酒を提供されたことにより、友里氏が良い印象を受けなかったのだと思われ、またそうした友里氏の印象はごく普通のものだったと思われる。
しかしながら、蔵に対する友里氏のコメントは、日本酒に対してそれほど詳しくない友里氏に責任はないが、筆が滑ってしまったという印象で、やはりややいただけない。私は以前から飽きるほど述べているが、日本酒の場合、流通段階で痛んでしまう事が多い。さらに、料飲店だと、流通段階の管理が良くても、ボトル単位で注文されることが多いワインとは異なり、封を切ってから結構時間が経過したものが提供されることが多い(私の乏しい経験では、もとの味わいを留めていないものが、座席数比で商品アイテム数の多い料飲店では極めて多い。ごくまれな例外として、大量の自家消費で商品の品質を維持している模範的な料飲店も確かに存在するが、そうした採算を抜きにした、本当に酒のことを愛する、プロ意識の高い料飲店が極めて少ないのも事実である)。つまりは、外で飲む酒の場合、飲んだ酒に対して不満に思ったならば、その料飲店に対する批判をするならば良いが、そこから蔵の批判をするのは、その料飲店が直接蔵から商品を購入していたとしても的はずれになってしまう(まあ結局は、日本酒の流通および管理はどうしようもない場合が多く、それを消費者は平気で飲んでいるという恥ずかしい結論に陥ってしまいそうだが)。
この項の最後に、一応付記しておきたいことがある。今回、疑問点があり、友里氏にメールを送ったのだが、すぐに対応していただいたおかげで(深夜に送った内容に対する返事を、その早朝にいただいた)私の疑問点も全て解決した。友里氏の公表されている店評価は、私の乏しい体験とは一致しない点も見受けられるが、それは個人の嗜好の違いに過ぎない。友里氏の辛口コメント、批判はかなり多いらしいが、自分の体験とあわせて、是は是、非は非という形で、自分と嗜好が異なる場合は、「いやあしょうがないな」と軽く流して気楽に読むのが健全な読み方であろう。今回、友里氏に誠意ある、迅速な対応をしていただいたが、それは友里氏が、ご自分で書かれたことに対してきちんと責任を持とうとする姿勢による。日本酒関係でものす連中の中には、自分の書いたことに責任を持とうとはしない、抗議をしても相手にしない、都合の悪い批判には目をつぶり、あるいは過剰反応をし、自分を褒めそやす相手には「よくぞわかってくれた」と擦り寄る輩が多い。私はそうした輩を「乞食ライター」と蔑視することにしている。そうした輩をマスコミが甘やかす(某宗教団体に買収されるのではないかとごく一部で噂をされている一応全国紙が、かつて講座の講師に招いたりしていたから困ったモンである)のもいけないのだが、日本酒関係のライターの皆さん、是非友里氏の姿勢に見習っていただきたい。私も、HPの内容について問い合わせのメールをいただいた時に、多忙を理由に返信がやや遅れることがあるが、友里氏にすぐにメールをいただき、深く反省した次第である。
書いていて一寸面白くなってきたので、次回からは、料理や古川氏について触れてみたい。
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのA いろいろと、訂正 その1】
7月8日 記(7月10日、一部表記を訂正)
さて、前回更新した内容についてであるが、少し疑問に思ったこともあり、友里氏に問い合わせのメールを出してみたところ、すぐに返事をいただいた(お忙しい中、こちらの疑問に対して迅速に対応していただき、恐縮しております)。今回から二回にわたり、その際のやりとりから新たに分かったことなどを付記し、こちらの批判の行きすぎた所を訂正しておきたい。
私は友里氏が
・いつ頃、訪問されたのか。
・そして、実際に店で賞味していたかどうか。
の二点について一寸疑問に思った。友里氏は鱸、子持ち鮎の有馬煮、松茸の味についてブログでコメントされているが、友里氏のブログの日付は1月20日であり、いつくらいに訪問されて記事にされたかで随分印象がかわってくる。古川氏の宴会は9月2日であった。
この点についてであるが、友里氏が「こびき」を訪問したのは、同じ料理を頼むため、時間をあまり置かないように◎△月××であったとのこと。これならば友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外大筋でその内容に納得がいく。鱸は旬の終わりごろになるが、まあそれほど劣らないだろうし、子持ち鮎もこれから、そして使用されている松茸は恐らくモロッコあたりの外国産(国産で去年の9月頭の松茸なんて、そりゃもう……。それを認識した上で、古川氏はベタ褒めしていたのだろうか)だろうから問題ない。友里氏のそれぞれの料理についての味についてのコメントも、説得力がある(余談であるが、古川氏の味わいについての表現、結構嗤ってしまうモノが多い。たとえば、その時の宴会にて、新潟の岩がきについて、「食べたとたんに、日本海の潮の香りがテーブルに漂う」という、古川氏が教えている芝浦工大の優秀な大学生レベルではもちろんのこと、今時の高校生や2chネラーでも恥ずかしくて書けないような、小学生の夏休みの作文のような表現をされている。食べた途端に誰かがテーブルに吐き出さないと、そのタイミングではテーブルにはそうした香りはしないと思われるのだが。どうせライターもどきの臭い表現を目指すならば、小泉武夫先生を真似て「一口かみしめた刹那、舌全体に牡蠣の濃厚な旨味がどさっと襲いかかってきて圧倒された。同時に俺様の鼻腔から豊かな潮の香りがふんわり抜け、脳裏に広大な日本海がザザッと押し寄せ」くらいの味わいのある表現をしてほしい。そのあとに牡蠣と日本酒を同時に口に含み、「牡蠣と日本酒が一体となったところは、本当に両方の味がさらに昇華されて幸せいっぱい」とか、生原酒あれをやると、潜んでいた牡蠣の生臭みが前面に押し出て気持ち悪そうな……。まあ、味覚は個人差はあるし、古川氏は生酒の常温熟成を得意とされており、生老ねとか、そうした香りへの許容度は極めて高そうなので美味しいと感じるのかもしれないので、このことをもとに味音痴だとか評しようかとは一切思わないが)。
ところで、先に「友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外は大筋でその内容に納得がいく」と書いたが、「では、古川氏について、そして『こびき』についてはどうなんですか」という突っ込みがきそうなので、とりあえず「こびき」についての私見。古川氏は絶賛し、友里氏は居酒屋料理という判断を下しているが、私見では友里氏の方に軍配を挙げたい。その理由はいろいろあるが、酒以外でとりあえず。古川氏が絶賛するようなレベルの店であると多くのお客さんが認めるならば、なぜわざわざぐるなびでクーポンまで発行して客集めをしようとするのか。それに、本業が寿司屋であるのに、川魚である子持ち鮎の有馬煮を出すのかという点に大いに違和感がある。
さて、とりあえず余計なことを書いてしまったが、次回は友里氏からいただいたメールをもとに、友里氏のコメントのどこに問題があるかなどについて、一介の酒飲みの立場から検証したい。そしてあの人は…… とりあえず動物園で飼育しようかな。
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶に対する批判】 7月2日 記
過日、ある読者の方からこの件についてどう思われますかというメールがとどいた。「この件」とは、その文章を読むと、私見では、日本酒についてどうも素人に多少毛が生えたような知識しか持っていないとしか思えないくせに、なぜか日本酒の本まで出してしまった古川修氏が、名誉毀損で友里征耶氏を訴えた事例である。この件について詳しい経過については、友里氏のブログを閲覧していただきたいが、問題となった記事(同氏店評価の2007年1月20日)について、ちょっと見過ごす訳にはいかない批評が見受けられたので、ここで指摘しておきたい。
友里氏は、該当記事において、次のように述べている。
この店には彼が宣伝しまくっている「宗玄」と言う日本酒があるのですが、この会社はタレントの「魚住りえ」とのコラボの日本酒を売り出しているのですから、その志は知れているというもの。こんな浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか。
記事の該当箇所について、宗玄について批評されているが、まず気になるのは
・ 友里氏は宗玄を店で賞味したのか、そしてそのときの感想を述べているのか。
記事を読むと、どうも店で宗玄を賞味せずに批判されているような気がするが、もしそうだとすれば、ただの感情論、思い込みだけで批判しているのでありいただけない。
もし店にて宗玄を賞味していたにしても、酒の場合、提供する温度や、開封してからの日数、さらにいえば店に届くまでの流通の影響などで随分印象が異なる。本当に優れた酒であっても、料飲店で飲むとまったく別物の酒が出てくることがしばしあるのは、このHPの読者の皆様もしばし体験しているはずだ。きちんとした流通管理のされた、実際に店で提供しているのと同一の商品を実際に事前に飲んで、比較して批判をされるのならばまだわかるが……。あと、酒の場合、酒と相性のよい旨い料理と飲むと味わいが増すが、どうみても納得のいかない料理と飲むと、旨い酒もさほど旨く感じられないのも事実である。また、店の雰囲気、例えばとなりでジュースを飲みながら刺身をつまんでいる子供を見ると不味く感じられることも多いはずだ。
さらに「魚住りえ」という女性がコラボして売り出していることを根拠に、「浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか」という批判をされているが、日本酒業界の現状をご存知なさ過ぎる。低迷する現在の日本酒業界、猫の手を借りても商品を売りたいという状況にある。それなりに広告効果のある、魅力のある話で有れば、とりあえず乗ってみたいというのは醸造元として当たり前の発想であろう。さらにいえば、そうした話を決めるのは会社の経営する側であるが、造り手にはあまり関係のない話である。
問題となっている氏の記事は、それなりに納得のいく内容であるが、以上の件については個人的に違和感を感じたので、ここで指摘しておきたい。なお、この件については、もう少し触れたい事例があり、その事例について調べた後、この続きか、あるいは別項で触れる予定。