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新・辛口批評業界にはこびる乞食ライター諸氏の無断引用禁止 笑)
 
【食中酒の役割 試論〜 鮨で考える】    8月2日 記
 
 前回の更新の後、たまたま講談社の「モウラ」HP内の、友里征耶氏のコーナーで寿司幸本店が取り上げられ、そのコメント欄にて、ちょっと鮨と酒との相性などが話題となっているのを発見した。そのコメント欄にちょっと参戦した都合上、食中酒についての私の独断もとに、鮨と酒との相性について簡単に触れたい。嗜好は人それぞれではあるけれども……。
 
 食中酒としての酒の理想のあり方は、なによりも「料理の味を引き立てる」ことが第一であろう。そして、料理の味を引き立てたうえで、酒の旨味も増すというのが理想的である。
 ところが、しばし「まりあーじゅ」などという気色悪い言葉とともに提案される組み合わせ、私の嗜好からすればとんでもないものが多い。まあ、結婚した新婚の夫婦の場合、ケンカが絶えない事例が多いからそのあたりを狙っているのかもしれないが…。
 
 さて、蕎麦で考えよう。蕎麦の場合は、吟醸系の香りが高かったり、あるいは味のインパクトが強いタイプの酒は、そうした素朴な風味を損ねるような気がする。具体的に言えば、香りの高い吟醸系のものとか、あるいは生系の原酒などがそうだ(余談ではあるが、とある蕎麦通・日本酒通と勘違いされてそうな人の好きそうな、ムレ香、老ね香のするような生原酒は問題外と断じておく)。個人的には、控えめな木香のするタイプの樽酒(樽の菊正とすぐに思う人が多いだろうが、内陸部のもののほうが良い)の燗が一番だと思う(余談だが、樽酒でもないのに木香のするような、技術という概念からほどとおい純米酒は対象にしない)。ただ、蕎麦屋の一品ものはやや調味料の味付けが濃いものが多く、原酒でも、火入れをして一定の熟成を経て、味わいの丸みを帯びたもの(生で寝かして味がだれたのは不可)ならば良いだろう。
 
 ところで鮨である。まずちょっとつまむ(場合の多い)刺身で考えるが、魚介系の刺身を美味しく食べるための食中酒は、ずばり甘口でない燗酒である。一口刺身を食したあと、酒を口にすることで、一度その口の中に残る魚の味を切り、もう一度新鮮な味わいを楽しむことができる。これが生の魚介系を口にいする際の食中酒としての役割である。とすると、甘口の酒は、飲んだ後に甘さの余韻が残るので不可である。酒は内陸のものではなく、海に近い所の酒がよい。私見ではあるが、白身系には個性の強くない淡麗なタイプ(新潟タイプ)が相性が良く、日本海の方の脂ののった赤身系の魚には北陸とかのやや味の乗った酒が、太平洋側のものには土佐鶴などの土佐の辛口酒、瀬戸内の小味のある魚には賀茂鶴とか、梅錦などの芳醇なタイプが私の好みであるし、無難な選択であろう(そうした酒の相性をまったく理解していない特異な味覚の持ち主の輩が、酒の知識やレパートリーが不足しているからか、マグロには「秋鹿」とか言ったりする。困ったモンである)。 現実的には、違う種類の刺身にあわせて、いちいち酒を変えるのは現実的ではないので、まあ以上に挙げたタイプの酒を、燗酒で楽しむのが現実的であろう。
 次善の策としては、冷や酒(冷酒ではない。為念)で、吟醸香のなるべくしないものを選びたい。味覚はある程度香りに引っ張られるが(鼻が詰まっているとき、味があまりわからないのは、皆さん経験しているだろう)、吟醸香は生の魚、そして刺身をつける醤油の香りとは相性があまり良くないと思う。また、生酒は魚の生臭さを強く引き出すことが多い(濾過をかけているものはその限りではないが)ので、好ましくない。
 ワインではあるが、赤ワインなどは、喉を過ぎた後も渋味とかが口の中に一定以上残るので、相性でいえば個人的には???である。白ワインの場合も、吟醸酒の場合と同様、ワインの香りとの相性で基本的に不可と考える。
 焼酎の場合は、常圧蒸留系の米や麦のお湯割りならば許容範囲。
 
 ところで、握りであるが、鮨の味わいを最大限に味わおうとするならば、ずばりやや熱めのお茶が最善。次善の策としては、燗酒になる。冷酒は追求すると、好ましくない。これには理由がある。
 熱めのお茶にしろ、燗酒にしろ、これは魚の脂を舌から洗い流す働きがある。皆さんご存じの通り、魚の脂は不飽和脂肪酸であり、合間に飲むものの温度が一定以上ある方が、より洗い流せるのである。刺身にも燗酒、焼酎の場合はお湯割りとした理由はここにもある。
 握りに冷酒は好ましくないとしたが、これは握りの酢飯との関係である。タネと酢飯の味が調和しているとはいえ、酢飯と冷酒、あわせてみると、冷酒の方の味わいは損なわれているのではなかろうか。わかりやすくいえば、酢飯をつまみに冷酒を飲んでも美味しくないだろう。その延長でいえば、酢飯と一緒にワインを飲んで、ワインを美味しいと思うだろうか。味覚には個人差があるが、ワイン経験の乏しい私には大いに抵抗のある所である。
 
 まあ味覚は、それまでどのような食生活を送ってきたかということに大きく左右されるので、一概にこれが正しいと決めつけることは出来ない。ただ、一般に言われている事に対して、疑問があった方には参考になるかも知れぬと思い、私見をちょっと開陳した次第。
 
 
【香り系大吟醸批判 への批判】       7月21日 記
 
 日本酒不振が叫ばれて久しく、かなり深刻な状況に陥っている今日である。その最大の要因は、私見では団塊の世代より年齢層が上の、一日四合以上(主に普通酒であるが)清酒を消費する大量飲酒層が、(ドクターストップなどの要因により)急速に日本酒を飲まなくなってきていることに加え、現在の若者がほとんど日本酒を飲まなくなってきていることにあると思う。それぞれの年齢層の人口などを考えれば一目瞭然であり、消費の落ち込みを一定レベルでくいとめたいのならば、日本酒を普段飲まない若手に、特定名称酒を中心にどれだけ効果的に普及するかが目下のところ、緊急の課題だと思うのであるが、どうも業界関係者の多くは、頭が固いのか足りないのか、そのあたりが良く分かっていないようである。
 そうした現状を正確に把握せずに、不振の責任の一因をなすりつけられているのが、大吟醸酒である。
 平成になり、セルレニン耐性酵母の開発(戦後の酒造史において、月桂冠の最大の業績の一つと考える)によりカプロン酸エチルの芳香高い酒が、鑑評会での好成績もあり、大流行した。
 そうした酒に対する批判として、芳香成分があまりにも高いために、飲み疲れしやすく、食中酒としても合わないという批判がされることが多い(最近、フルネットの企画で、地元でもかなり前から河村離れがささやかれている河村伝兵衛チェンチェイが同じようなことを話していたらしいが、静岡酵母の吟醸って食中酒で美味しいのかなあ。関連することは後述)。そして、例えば十四代のブームあたりから一時期トレンドになった、香味のボリュームがあるタイプを絶賛していた(自分の味覚よりもトレンド、ブームに敏感な)酒販店やらきき酒師やら、乞食ライターやらの連中が掌を返したように同じようなことをつぶやきだしている昨今である。
 では、香りぷんぷん系統の大吟醸が日本酒離れを呼び、日本酒消費にブレーキをかけたのだろうか。はっきり言おう。それは否である。
 少し考えればわかるが、市場に流通する大吟醸酒のすべてが、カプロン酸高生成の酵母で醸されていた訳ではない。一定以上の比率を占めるようになったのは確かなのではあるが、そうした酵母の大吟醸が、飲み疲れをするし、食中にも合わないと思った人は、無理にそうした大吟を選ばずに、従来型の9号や、10号酵母等で仕込まれた大吟醸を飲み続けたはずである。(流通段階での貯蔵管理がきちんとしていれば)むしろ入門酒として、一定の貢献を果たしたのではないかと思うのは私の勘違いであろうか。
 また、食中酒云々という批判に対してであるが、
 
そもそも大吟醸酒は、食中酒なのだろうか。
 
と疑念を提示しておきたい。そもそも大吟醸酒は酒造技術を競う酒であり、いうなれば観賞用の酒だろう。食事と無理に合わせる必要がないと思うのだが。むしろ、食前酒としてかるく一杯、ゆたかな香りを楽しむくらいがちょうどいいと思うのであるが。その延長でいえば、ちょっとした梅酒ブームで、多くの日本酒メーカーがせっせと日本酒ベースの梅酒を市場に出しているが、市場規模がすでに限界点にまで到達し、近く大量の売れ残りに頭をなやまされそうな梅酒をせっせと造るよりも、食前酒として大吟醸酒をどうですかという提案をなぜしないのか私には疑問である。
 
 日本酒の不振の要因、冒頭に掲げた私見以外で、あえていうならば、乞食ライターを中心とした、日本酒に関して情報を発信する皆さんの味覚が、どうもいかがわしいことによるような気もする。喫煙の合間にきき酒をしてコメントを述べたり、普段日本酒は飲んでいないようなのに「日本酒業界の救世主」とか自称しているソムリエ系の問題外の連中も多い(与太話であるが、某有名蔵の吟醸に、京都のちょっと知られたソムリエの人が、「この酒は醸造アルコールの甘さを感じるのが気になる」とか意味不明の感想を述べたという話もある。ソムリエは異常味覚者集団なのであろうか 苦笑)が、その最たる例が、せっかく雑味が少なくなるように磨かれた米で仕込まれ、その一部として、主目的は換金用に出荷される生原酒をあえて常温で放置し、味をダレさせ、ムレ香、生老ね香がでたものを「本物の味わい」と賞賛している輩(あえて実名はあげないが、皆さんわかりますね)と思うが、いかがであろう。
 
 と、軽く悪態をついたところで、次回は食中酒の考え方を軽く述べたい。
 
 
【バックナンバー】
 
【租特措置法はとりあえず乗り越えたが…まだまだ続く業界の危機】                   4月10日 記
 
 昨年11月末に、中小蔵の危機について触れた。その時に取り上げた租税特別措置法の、清酒などに関する税率の特例については、暫定的な延長が国会の会期ぎりぎりで決められ、酒類関係の件については民主党も基本的に、特例措置について賛成であるから、まあ何らかの形でしばらく延長するだろう。ただし、本当に減免処理が必要なのかどうか、議論が必要なのはいうまでもない。この件については、時期を見て論じ直したいと思うが、現在、清酒業界が置かれている危機的状況は、この問題以外でも加速している。以下、いくつか考察することにする。
 まずは原料米である。スーパーの店頭などで見る米の価格は、サブプライムに付随する他の食品の値上げの影響からか、下落に歯止めがかかったという印象を受けるが、酒造好適米は、むしろ価格が上がる状況下にある。
 酒造好適米、気象の影響を受けやすかったり、反収を求めにくいなどさまざまな理由で農家があまりつくりたがらないし、さらに気象の影響を受けやすいし、昔から酒米を生産していた生産者が、高齢化して生産を止めるということもある。また、購入申し込みをしていたにもかかわらず、諸事情により突然キャンセルする蔵とかも最近は続出しており、そうしたことからか生産することに対する不安もあるようだ。他の酒類と比較すると、原料にかかるコストの比率が大きいのが日本酒である。
 米でいえば、米自体の品質が年々落ちている。これは温暖化の影響による高温障害によるものであり、栽培技術だけでは補えない大きな要素である。ある名醸蔵の酒の味が量産の影響からか落ちたとか、よく知ったかぶりの雀どもが口にするが、数量とかの影響(量産で味が落ちるという現象は、近年の場合は消費量の落ち込みで在庫が増えて、濾過がややきつくなるとかの要因の方が大きいのではなかろうか)よりも、原料米の品質の影響の方が大きいと思われる事例が多い。
 ともあれ、需給バランスでいえば、米余りといわれながら、好適米についてはむしろ不足する傾向にあるのが今日この頃である。必然、価格に反映する。 また、最近の原油高による諸々のコストの上昇も見逃せない。自社で精米機を持っていないところは、委託して精米することになるが、米のように重量のあるものは輸送コストもかかるし、さらに精米歩合を上げることは、それだけ精米機を、エネルギーを費やして稼働させることになる。必然、コストも上昇する。自社精米の場合でも、精米機、そろそろ耐用年数を過ぎている所がかなり多いはずだ。この手の機械、コンピューターの部分その他がいかれてしまうと、あまりにも古いために換えの部品が無かったりして(わかりやすくいえば、今の時代にPCー9801とかを使っているようなモノ)、どうにも手の打ちようがなくなったりする。
 原油関係の話でいえば、米を蒸す場合にも、燃料は必要である。原油価格がこれだけ高騰すれば、必然的にそのコストも増える。
 原油関係で、あまり触れられてはいないが、醸造アルコールの価格の問題もある。バイオエタノールに注目があつまり、それに付加価値が付くことで、必然的に醸造アルコールの価格も上昇する。これは経済酒への影響が大きい。
 という状況をかんがみれば、日本酒は値上げの一巡したビール以上に、値上げが必要なのだが、消費の減衰トレンドが継続する以上、(九州の一部のメーカーが値上げを決定したものの)なかかか口に出せない。
 ところで、読者の皆さんは、今の私たちは、二昔前と比較すると、とてつもなく好条件で高品質の酒を飲めることに気が付いているだろうか?
 亡き穂積忠彦先生が編集に携わった日本酒辞典の初版とかをつらつら眺めると、当時(20年くらい前)の贈答用の大吟は、精米50%のものがほとんどであった。当時の相場でいえば、山田50%の大吟で、一升5000円がまあ当たり前。山田50で、一升一万円する大吟も散見される。まあ、山田の栽培地が今ほど広がっていなかったり、価格も異なるとはいえ、今の価格が適性なのか、ちょっと考えてみる必要があろう。
 親しい所だと、特級酒の白鷹の極上が、当時は精米58%で、一升5000円。今は一時期ほ比べてちょっと精米歩合が落ちているが、現在の白鷹の超特選が、同じ生もとで仕込んで、一升約3000円。米は吉川町の山田で変わりない。そうした状況、ちょっとおかしいとは思いませんか。
 この現状を作り出した大きな要因の一つが、実は租特措置法であり、機を変えて論じたい。ところで、日本酒の消費が減っている各メーカーの現状は、洗面器に水を張って、そこに一斉に顔をつけて、一定数が苦しくて顔を上げるのを待っているようなものであろう。それが異常なまでに続いているという感がする。そして、私が何よりも懸念しているのが、気が付いたらば、皆さんが洗面器に顔を埋めたまま気を失っているのではないかと。
 ということで、いろいろ思うのだが、とりあえず私から読者の皆さんに提案。酒販店の皆さんも、是非営業トークで使ってください。
 
 外で飲むと思って、自宅でちょっといいお酒を月に一度、飲みませんか。外では、原価の3倍くらいの価格で、いつ封を切ったかわからない、劣化しきった酒をキンキンに冷やして飲まされる訳です。さらに地酒バーとか、多くの場合、訳のわからないところに行くと、知ったかぶりのいい加減な蘊蓄とかをきかされてぼったくられる訳ですから。地酒バーとかに行くならば、仲間であつまって、吟醸酒他を数本集めて丁寧に鑑賞する方が、よっぽど楽しめますよ。外で正一合、特別純米とかを飲むと650〜700円。大吟ならば、4合2500円でも、1合換算で625円です。それで、ちょっといい豆腐とかをつまみながら飲む方が、酒の楽しみ方としては有意義ではないでしょうか。
 
 そういえば、昨日放映のNHKのスタジオパークからこんにちわでは、片岡鶴太郎さんが出演し、ナイトキャップにワイングラスで、大吟醸を楽しむということをおっしゃっていたらしい(同じ事を昔からしたりしているが、私は鶴太郎氏と同一人物ではない。為念)のだが、「優雅な吟醸酒の楽しみ方」とかの普及を、もう少し業界として試みる必要があったのではなかろうか。
 業界に対して苦言をあえて呈すと、「負け組は、いくら頑張っても負け組の発想しか思いつかないし、長期的にはまず成功しない。勝ち組になろうとするならば、現象の本質を認識した上で、ブームの初動段階で効果的な仕掛けを行うこと。それは、数少ない成功体験に追随することではなく、成功した現象の本質をつきつめたうえで、需要の拡大に努めること」である。梅酒ブームに便乗しようとして、見事に在庫の山を抱える蔵の経営者の人には、きちんと認識して欲しい。
 
 
 
【付け香についての為になるお話 その1】  2月14日〜記
 
 去年、あることを再び調べていて、ちょっとインターネットで検索を掛けていたところ、あるブログを発見した。ちろりちょこ氏による日本酒復権への第一歩」というタイトルのブログである。このブログの記事、半端な内容ではない。今後の日本酒がどうあるべきかという(青臭い青年の主張レベルの)主張はいろいろネット上で見うけられるが、ちろり氏は私も未見の多くの一時資料などにも丹念にあたっておられ、自らの豊富な経験にも基づいて議論を展開していて、非常に勉強になる。ろくに酒の勉強をしていない酒販店主やきき酒師、節操という概念が無さそうな知ったかぶりの酒のライターや漫画家、そして勘違いすることはなはだしい頭の足りなさそうな大学教授がネット上で垂れ流している下らない文章や万巻の愚書を読むよりも、氏のブログを熟読する方が勉強になると思われる。ここに強く推奨しておきたい。
 ただし、読者の皆さんがちろり氏の主張を盲信してしまうといささかまずい点についてここで指摘しておく。ちろり氏は蒸米にこだわりすぎるあまり、その議論において秋山裕一氏や山田正一氏がかなり悪者になってしまっている。戦後のある時期から、きちんと米を蒸すことがないがしろにされてしまった(秋山氏提唱の短期蒸米理論)のは事実であるが、戦後の酒造史を振り返れば、秋山、山田両氏が華々しく活躍された時期は、旨い酒を醸すことよりも(何せ当時は三増酒が主流)安全醸造が第一であり、旨い、不味いというよりも商品としてきちんと売れる酒を造ることが至上命題であった。生化学的な研究が進むことによって、安全かつ安定した酒質が期待出来るようになった(その最たる一例を挙げればキラー酵母の解明。)のは事実であり、両氏を代表とする研究者の諸先生方が酒の業界に大きく貢献されたことはいうまでもない。ちろり氏のブログは「蒸米」の重要性を伝えたいがあまりに、秋山、山田両氏をその業績をきちんと評価していながらも、蒸米の重要性を重視しておられなかった点をふまえてどちらかといえばネガティブに記述し、善・悪の二項対立の図式を強調しすぎているきらいがある(一部、ちろり氏から私信でいただいたメールの表現を使いました)が、読者の皆さんはそのあたりのことをふまえて読んで欲しい。酵母、酵素の研究がここまで進んだ上で、「究極の日本酒」を目指す上で、あえてもう一度、原点にたちもどり原料処理、特に蒸米の重要性を考え直す必要性がある、という文脈で読めば、底抜けに(徒然亭小草若風)有益な記事が多い。
 と、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に。
 ちろり氏のサイトを通読していると、「ヤコマン」が話題となっていた。ヤコマンについては、ちろり氏は山田先生の特別講演を紹介されていたが、ヤコマンの歴史背景を知るにはちょっとこれだけでは問題がある。そこで、久しぶりに本気を出して(ということはいつもは手抜きなんですね……編集者注)、あまり知られていないヤコマンの背景について次回語りたいと思う。
 
(おまけ)ヤコマンが、なぜかアル添よりネガティブに捉えられている状況、以前ある掲示板に投稿した記憶があるが個人的にはよくわからない。醸造用アルコールの添加は「異物を添加」するのであるが、付け香の場合は、(守られているかどうかは別として)原則としては「元に戻す」訳であって、生理的にはアル添よりも受け入れられやすいと思うが。さらに余談だが、下手な付け香は分かるが、上手に処理された場合は、条件が整わない限りきき分けは私レベルでもかなり困難である(鑑定官でもだまされたのでE/A比などを昔は調べた訳だが)。たとえばひやおろしとかで付け香などが分かった時に、「お、演出優れているな」とにやりとする位が大人の対応だと思う。あと、付け加えていえば、よく酒屋さんを中心とした知ったかぶりの人たちが「あれは付け香、これは付け香」とか言っている場合、かなり間違いが多い。付け香していない酒を自分の知識不足で「付け香」と断じている有力酒販店も存在するが、止めて欲しいもんである。まあ例えばある業者の甲信越地方の販売極秘リストとかを持ってあれこれ言うのならば別なのだが、と余計なことを書くと夜道で刺されそうなのでこのくらいにしておく。
 
【付け香についての為になるお話 その2】
 
 さて、本題の付け香(ヤコマン)についてである。ヤコマンについては、いろいろな本で語られ、ネット上でもいろいろな記事が見受けられるが、ある研究ノートについてコメントされている事例は管見の限り見受けられない。今回はその研究ノートの紹介である。
 
 その研究ノートは、日本醸造協会雑誌第61巻3号に掲載された、「合成清酒の香気増強について」(菰田快、山田正一)である。以下、このノートをもとに内容をまとめる(以下、引用箇所は基本的に青字で表記)。
 まず、冒頭。
 「近年、合成清酒の品質は次第に改良されて、良好の製品が一般にみられるようになった。しかしどうしても合成清酒に欠けているものは清酒がもつような芳香な香りであるといわれている。清酒の香りそのものが非常に複雑で分離が困難であったためそれらを取り出し、または合成清酒の香気として応用することもむずかしい問題であった」。
 この当時(昭和41年頃)の時代背景を考えよう。経済成長につれて、日本酒の消費量が右肩上がりであり、他方合成清酒は、昭和35年は13万7千キロリットルまでその生産量が伸長したものの、昭和40年には7万4千キロリットルまで消費が落ち込んできた(余談だが、昭和末〜平成にかけて、2万キロリットルまで消費が落ち込んだ合成清酒が、現在は6万キロリットル強まで生産量が戻ってきている)。数量はかなり落ち込み、その分以上に清酒が伸長しているので、酒税的には問題はなかったが、別に消費志向が本物志向に移行していた訳ではなく(当時の清酒はほぼすべてが三増タイプの酒)、まあいろいろな事情があったはずである。一定以上の情報が手に入る現在の消費者の視点からすれば、「偽物は淘汰されてもやむなし」と思うかもしれないが、時代には時代の事情があった。合成清酒であれ、品質の維持、向上への一定の努力は、酒税対象商品である以上、必要であった。
 続いて、「これまでに、飯田、東等(注、飯田茂次、東恒人氏)は清酒の香気成分として知られた諸物質及びその存在が推定される化合物を合成清酒に添加して香気を検したが満足すべき結果を得ていない。最近山本(注 山本淳氏)は清酒中より検出したロイシン酸エチルやα−ケト酸類のエチルエステルを合成清酒に添加して自然感のある清酒様芳香を付与することができたと報告している」。
 まあ当時としては必死であったわけである。そこで、
 「筆者らは清酒もろみ高泡の芳香を捕集する目的で行なった発酵ガスからの香気捕集法により極めて高い芳香を持つ香気液を得ることが出来た。この方法によると、清酒香気の各成分を単一に分離して取り出すことなく、これまで大気中に放棄していた清酒香気を総合的に捕集するため、自然感のある極めて濃厚な香気液を得ることができ、これを微量清酒または合成清酒に添加することにより芳香な香りをもつ製品を造ることができた。特に合成清酒はさきにも述べたように香気が少ないことが欠点とされていることから、本香気液の添加による品質改良について試験を行なった」とある。そして普通清酒もろみを使用して、試験を行うのであるが、この項目は省略しておこう。なお、この香気捕集法は、ビールやワインなどの発酵工程においても試験されていたことは、当時の農芸化学会誌にその成果が投稿されていた(と記憶している)。
 そして、結論及び考察として、
 「市販合成清酒に清酒もろみより捕集した香気液を添加した場合、明らかに品質の向上が認められることがわかった」としたうえで、その考察を述べたうえで、「なお本補修装置は実験的に簡単なものを使用したが、筆者らは目下高能率の補修装置の製作を検討中である」としている。
 まあ、要するに、ヤコマンは誕生当初は、技術として、総合的には品質的には商品として成立しないようなものを商品として成立させるための画期的な技術であったということになる。そうした後ろめたさがあり、さらに鑑評会出品酒におけるヤコマン使用などの問題もあって、アル添より負の評価を与えられているのが現状である。
 ただ、読者の皆さんには、この引用の「これまで大気中に放棄していた清酒香気」ということに留意していただきたい。無駄なく再利用、と、米とは異物の添加、どちらに軍配を挙げるか……。(実は自分のところでやっていながら)アル添を認めて付け香を否定する、という一定数以上の蔵のスタンス、おかしいのではなかろうか。個人的には、感覚が麻痺しているとしか思われない。 ついでながら改めて私の見解を記すならば、アル添を技術として認めるならば、文化的背景をふまえて最低綱領(この表現は吉本隆明風ですね)として米アルコールを使用すべき、そしてアル添ならばその必然性を示現する水準の商品を提供すべき、ということになる。それならば、単に純米を売りにして、杉樽貯蔵でもないのに杉のような香りがぷんぷんする、米の無駄遣いとしか思えない技術とは無縁の純米酒よりも評価したいということになるが。
 次回は、ついでに柱焼酎についての蘊蓄も改めて少しまとめようと思う。アル添肯定派(こちらは圧倒的に多いですね)、否定派(これは通称「アル中先生」こと、知ったかぶりとしか思えない上原浩氏の論点は本当にひどいとおもいますが)どちらも、私レベルの文化人の視点からすればとんでもない低次元での議論をやっていることを示せたらと思う。
 
【付け香についての為になるお話 その3】
 
 さて、柱焼酎である。アル添の起源を柱焼酎に求める説明は多い。そして童蒙酒造記の記事を引いて説明されることがあるのであるが、まず改めてその記事を確認しよう。
 
 根拠となる記事は、「童蒙酒造記」巻三「伊丹流之事」にある
 
「醤酎(焼酎)を薄く取り、揚(上槽)前五三日前に一割程●(左が酉で右が「立」の下に「口」、もろみのこと)の中に入る也。依之、風味洒(しゃん)として足強く候。醤酎香は●(もろみ)に除く也」。
 
である。この記事をもとに、いろいろと発言される方が多いのだが、気を付けなければいけないのが、ほとんどすべての人が、引用される「童蒙酒造記」のこの箇所だけを読んで、さらにその説明を読んで分かったつもりになって言いたい放題言っているのである。では、解説しよう。
 「足強く」という表現、これがまず誤解を招いているが、「童蒙酒造記」巻一「酒言葉之事」に、「酒の足とハ、酒の性の事なり」とある。この酒の性とは、酒の貯蔵性のことである。「足強し」とあれば、腐りにくい、「足弱し」とあれば腐りやすいことを意味する訳であり、それ以上の意味はない。「足弱き」酒が良くない酒であったとは必ずしも言えない。片白の酒や小米酒などは確かに「足弱き酒」であり、諸白の寒仕込みの辛口の酒は「足強き酒」であり、諸白でも甘口は「足弱き酒」であったが、当時は甘い酒であるからといって、商品価値が低いわけではなかった。「風味洒(しゃん)として」云々というのは、ただ「味わいがさっぱりして、貯蔵性が高くなる」ということなだけであり、品質が向上したという見方は意図的な誤認である。
 また、「灘の酒用語集」(灘酒研究会)の柱焼酎の項目を読んでみよう。「灘では明治初期までもろみの末期や槽掛けして新酒を入口桶に受ける時に焼酎を添加混合した。また囲い桶の殺菌を兼ねて桶の内面・底に焼酎を散布したこともある。清酒に焼酎を加えた量は文献によれば1%程度で、特例として貯蔵中に火落ちし第二回目の火入れ(二つ火)を行う場合に清酒量の17%に当たる焼酎を入れた記録がある」。
 この後半部であるが、要は貯蔵中に火落ちして痛んでしまった酒を、矯正して商品とする為に柱焼酎を添加した訳であり、矯正して商品とするという考え方としては、合成清酒に対する付け香と次元は変わらないだろう。そもそも現在のアル添酒が主流となるきっかけのひとつは戦後に起きた大腐造の際の救済処理であった訳であるし。
 ところで「腐造」という言葉、現在では発酵途中の醪の異常と、貯蔵中の火落ちの両方の意味で混用しているが、本来ならば前者を腐造、後者を腐敗と使い分ける必要があるだろう。もし使い分けた場合は、江戸時代の柱焼酎というのは、その効用は後者の腐敗防止に有益ということである。
 さらに余談であるが、上原浩氏は「純米酒を極める」(光文社新書)にて、「柱焼酎=アル添の詭弁」として、「腐造」という言葉を、もろみの酸敗などというニュアンスの意味で言葉を使う文脈で、
 
 ・(童蒙酒造記の)「足強く」というのは、腐造しにくくなることを表しているが、前述の通り、安全醸造の進歩とともにこの効用の意味はなくなった。
 
としているが、どうも上原氏、醸造協会の「清酒入門」や「清酒製造技術」の受け売りから思いこみをまくしたてているようで、きちんと一次資料を読んでいないようだ。詭弁とまで言い切るならば、きちんと一次資料にあたって論じてほしいものである。
 
 結論としては、以上に述べた事実関係から、アル添を是認するならば、付け香も是認するというのが筋であり、付け香を否定するならば、アル添も否定すべきではないかということになる。アル添を積極的に認めようと言う酒造家や消費者は、付け香について肯定的に語る必要があろう。
 私としては、どちらもその効用を「技術」として消極的に認めながらも、やはり「日本酒は純米酒に戻らないといけないと考える」。なるべく、純米系できちんとしたものを選びたい。
 
 
【未納税取引再考 その1】        12月13日〜記
 
 結構前(とはいっても5年くらい経つ。換言すれば、このネタは当時書くつもりだったのだが…)になるが、ある事情で稲垣真美氏の「本物の日本酒選び」1977年 三一書房刊)を読み直した。稲垣氏に対しては、業界で様々な評価があり、その評価は(業界の裏表をそれなりに知る私からすれば)それぞれそれなりに事実に基づいた根拠のあるものであり、ここで詳しくは触れない。ただ、負の評価はともかく、地酒ブームの初期に、ここで取り上げた「本物の地酒選び」や、「ほんものの名酒百選」(三一書房)「ふるさとの名酒と焼酎」(新潮社)の著作で、日本酒の啓蒙にきわめて大きな役割を果たした方(まあ本当の意味での功労者)であることは、ここで一応触れておきたい。
 さて、本題に入るが、ここで触れたいのは同書で取り上げられている、「ある伏見の大手酒造が、全国各地の桶取引先の蔵元へ配布した、昭和五十一年度の酒造要項の指令書」(同書71頁〜)である。この項目では、、大手や中央酒類審議会による、桶買いは大手にとっては未納税取引は非経済になり〔極めて重要な点であるので記憶にとどめられたし。為念〕現在の三千の業者がすべて今後存続することは困難であり、現状を温存するような行政は批判を免れないとの指摘に対して、稲垣氏は桶取引が大手の寡占的高度成長を許し、結果として酒の味が画一化し、まずくなったものが我々に押しつけられたという前提のもと、この資料を取り上げられている。この稲垣氏の(まあ正確には穂積先生の、なのだろうが)歴史観が、地酒ブームの歴史を語る上での前提となっていると思う。(余談であるが、最近、なんか田舎の小さい蔵が、現在の純米酒中心の流れを形成したという誤った歴史観がはこびりだしているので困ったモンである。そうした歴史観を唱える連中、さっさと北朝鮮にでも逝って同国の広報活動にいそしんでいただきたいと思うのは私だけだろうか)。
 と、余談はさておき、その指令書の内容が、先入観からちょっと離れた視点で読むと結構おもしろかったりする。のである(この項続く)。
〔補足〕稲垣氏のこの著作は、日本酒の流通、消費の歴史を考える上で非常に重要な資料であるので、未読の方は是非ご一読いただきたい。 
 
【未納税取引再考 その2】
 
 今回は、前掲の稲垣氏の「ほんものの日本酒選び」を再読した時、大手の指令書として引かれているものについて、いくつか取り上げることにする。以下、かなり暴力的に省略しているので、可能な方は同書をご参照いただきたい。
 
 
 「昭和五十一年度の未納税移出清酒製造要項」
 
(1)酒質の目標…
 注意(ハ)… もろみの酸度が3.0を越えることは好ましくない。もろみ多酸の原因には種々あるが、3.0〜3.5程度となるものは野生酵母による汚染またはもろみ初期の過溶解に起因する場合が多い。
 前者については酒母室、仕込室の清掃殺菌と酒母純度の向上(終始酒母水麹に協会酵母の多量添加)に努め、後者については後述する原料処理、麹の老弱、乾湿、ならびに仕込み温度等に留意する。
 注意(ニ)アミノ酸度が過多の場合は、雑味の多い鈍重な酒質となり、また貯蔵中およびびん詰め後に濃色、過熟となるおそれある。
 粗精白、多湿麹、老麹、もろみでの過溶解、発酵緩慢、長期もろみ、もろみ末期の高温経過、およびアル添後上糟までの長期放置等はこの原因となる傾向があるから注意が肝要である。
 (3)精米歩合 平均75%以下とする
 注意(イ)吟醸、特、一級仕込等を実施する場合に庫内平均の精米歩合が75%以下であっても、未納税移出予定酒の精米歩合が75%以上であってはならない。
(ニ)重量精米歩合(見掛けの精米歩合)は同一であっても、玄米品質の良否、および精米技術の巧拙によって真精米歩合にはかなりの変動が生じる。従って精米管理に留意して真精米歩合と見掛け精米歩合との差(無効精米歩合)を減少させ、併せて脱芽、除溝に努める。
(8)もろみ仕込み歩合
○ アルコールまたは調味液の添加および上
 普通酒もち米四段の場合は、四段掛後3〜4日目(留後19〜20日目くらい)にアル添する。……若いもろみにアルコールまたは調味液を添加して上槽まで長く放置すると、香味を害することがあるので好ましくない。
(10)火入れ、貯蔵
 火入前に炭素濾過(炭酸使用量1キログラム当り300〜500グラム)を行い、さらに火入れ時に1キログラム当り100〜200グラムの炭素を投入する(鮭野注。おそらく、1キログラム→1キロリットルの誤り)。
 なお、火入後(タンク密封後)数時間を経てからタンクに水を掛けるか、あるいは通風によって冷却を速かにすることは、酒質の過熟を防止する意味で好ましく、とくに大型タンクの場合は必要なことであるが、貯蔵タンクに入れる前に二重蛇管などによって清酒を冷却すること(いわゆる瞬間殺菌または交換火入れ)は、タンクの殺菌が完全に行われ難く、火落ちの危険があるので実施しない。
 夏季の室温が25℃以上にもなると、非常に過熟(着色及び老ね香の顕著な発生)となるので、極力低温に保持するよう留意する。
 
 
 この、色を変えている所などに留意して読んでいただきたい。きちんとした酒を醸すために、今では常識となっていることであるが、こうした点について注意がなされている。注意事項があるということは、すなわち注意が必要ということである。見方を変えると、普通の地酒蔵の場合、こうした注意事項を守らないで酒を造っているところが一定数以上存在したとも見ることが出来よう。
 未納税取引というと、どうしても地方の酒から個性を抜いた云々とか、いろいろネガティブな評価しか一般にされていないようであるが、実際の所は、地方蔵の酒造技術の維持・向上といったプラスの面も大きかったことも知っておく必要があると思う。
 地酒ブームが勃興し、名をさほど知られなかった多くの蔵から名杜氏が多く輩出したが、名杜氏のルーツをたどると実は未納税がらみであったという事例は結構多い(例えば、菊姫が宝酒造ではなく、他の蔵と未納税で付きあっていたならば、農口さんは山廃を覚える機会があっただろうか)。立つ位置や高さをちょっと変えると、眺める風景が一変することがある。歴史もまた同様である。
 
【混迷する政局の影響、気付いている人は実はそれほどいないが、中小蔵存亡の危機に今あることについて その1 その2もあります】  11月25日記
 
 参議院選挙の民主党の大勝利を受け、政局が混迷している。国際平和というよりも、アメリカの国益のための、給油活動についての補給支援特別措置法がかなりひっぱり、(まあ無いと思うが)年明けの解散までささやかれる始末である。そうした不安定な政局が、実は中小の日本酒及び焼酎、泡盛メーカーにかなり深刻な打撃を与えるかもしれないことに気が付いている人は、一般の飲兵衛の方、ほとんど存在しないのではなかろうか。もっとも、一般はおろか、当事者も、最近複数の方とお話ししたところ、売れ行き不振の目先の数字に頭がいっぱいで、気がついていないようだ。
 その問題とは、租税特別措置法の、「清酒などに関する酒税の税率の特例」である。興味のある方は、国税庁のHPの下記項目をきちんと読んで欲しいが、
 
http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/kaisei/aramashi2003/pdf/08.pdf
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kihon/sake/3.htm#a-02
 
まあ掲示板の2ちゃんねるでの読み書きくらいしか出来ない人でもわかるようにごくおおざっぱにまとめると、現在、酒税に関しては、一定の減免処理がなされていて、200キロリットルまでは、本来国に納める酒税の25%が免除される、ということである。200キロリットルといわれても、なかなか具体的に思い浮かびにくいが、製造石数でいえば、1100石強の量にあたる。更に、細かく数字を挙げよう。現在の所、酒税は15度の酒の場合、1キロリットルあたり、12万円。1升では、216円である。この四分の一が減免されるとなると、一升あたり54円、減免されているということになる。
 この租税の減免処理、これまで延々と延期されてきたが、国会で延長する法案が通らない限り、平成20年3月31日に自動的に停止する。つまりは、各蔵はこれまで減免されてきた酒税を納めなければならなくなる。
 では、どのくらい影響があるか考えてみよう。例えば、製造石数が1000石程度(今では1000石でも中規模になってしまった)の中規模の蔵で考えてみよう。単純に計算すると、54円×100000本で540万、昨年比でよけいに酒税を払う必要が出てくる(アルコール度数の関係で実際にはもっと多くなるのだが)。二人ほど、若手社員に首になってもらわないといけなくなる。
 このように数字を挙げると、結構深刻な問題であることは、ほとんどの読者の方には容易に想像が付くと思われる。
 この特別措置法、廃止になった場合、石数が一定規模以下の蔵にダメージが大きい事は容易に推察出来る。最近、雑誌などで結構いろいろと話題になる蔵の場合、製造石数が200〜300石であることが多いが、そうした蔵は、措置法で減免処理を受けている分を原料米に充てていた事例が多い。さらに酒販店への直接取引をすることによって中間マージンを無くし、精米歩合他のスペックからしたらかなり「お買い得」の特定名称酒を武器に、展開していた事例が多々存在する(さらにいえば、小さいロットで生産するには非効率である普通酒とかを他社から「桶買い」している事例も多々見受けられる)。減免処理が無くなれば、原油高の影響もあり、「値頃感」のある商品を同じ価格、そして同じスペックで商品を醸す事は極めて困難である。よって、値上げに踏み切るしかないと思うのだが、値上げに踏み切った場合、日本酒の消費量が急速に落ち込んでいる上、このサブプライムの影響で消費減退傾向が見えている状況ではたして商品が売れるだろうか(ついでにおまけであるが、米の代金を確保するためにファンドを組んだ某蔵、売り上げ数量に対する受け取り額をご立派にシュミレーションしているのだが、納める酒税が上がったらこうはいかないだろう。以前、ある方に出資すべきか相談を受けたのだが、リスクの項目の3でこのことをきちんと書いていないし、金融商品としてはこんなインチキくさい所に出資するのは配当目当てに、二階堂さんの所を敵に回したグッドウィルの株を買う株主を馬鹿に出来ませんよと説明したところ、妙に納得していた。もちろん、金融商品ではなく、信者がお布施として納めるので有れば、一応恩恵を受けられるらしいし、それはそれで良いと思うのだが)。 
 まあ概略はこのあたりにして、次回は特別措置法の是非について論じたい。
 
【混迷する政局の影響、気付いている人は実はそれほどいないが、中小蔵存亡の危機に今あることについて その2】  12月10日UP
 
 さて、特措法である。正直な印象、酒税の減免処理が無くなれば、多くのメーカーがかなり厳しい状況に陥るのを承知で個人的な意見を以下述べるのだが、はっきりいって、さっさと無くなってしまった方がいいと思う。自由経済の社会においては、補助金に頼る事が前提となっている業界は確実に衰退の一途をたどっている。日本酒業界もその例外ではない。この業界、日本酒の消費量が確実に減少しつつある中、どれだけ有効な手だてを行ってきただろうか。確かに需要喚起の為に、いろいろな試みがなされてきた。しかしながら、そうした試み、どれだけ需要喚起に役立ったであろうか。需要喚起の為、何かイベントを行うにしても、試飲会が中心であり、そうした試みが費用対効果で、どれだけ有効であっただろうか。また、少しでも宣伝してくれればありがたいと、業界にとって有害な情報を垂れ流すような連中(いわゆる自称日本酒通の乞食ライターなど)を甘やかしすぎてはいなかっただろうか。
 ここ4〜5年の状況を見ていると、ともかく一度、きちんとしたふるい落としをして、一定数の蔵が淘汰されないと、本当に残るべき蔵まで残らなくなってしまう、そんな懸念を懐いている。とりあえず、地酒ブームの初期から、酒質向上などによる自社ブランドの確立に努め、未納税取引からいち早く自立して一定の石数を造って頑張っていた所が、何ら努力もせず桶売り中心でだらだらやっていて、平成になり大手から未納税を切られ、突然「手造りで頑張ってまっせ」と技術による酒質ではなく造石数の少なさと、コストパフォーマンスの高さで勝負をしだした所に足を引っ張られる構図は、私の感覚ではおかしいとしか思えない。
 それに、租措法の恩恵がなければ生き延びられなかった後発の地酒銘柄関係者が、大手の酒の悪口を言っている場面に結構出くわすことが多いのだが、そうした連中のために陳情に行く中央会とかの幹部は、だいたい大手の皆さんである。必要無くなっても未納税で買い続け、会社経営は道楽ではないためやむを得なくなって切りすてて、その逆恨みで悪口言われていても、そうした連中のために頭を垂れに奔走するなど、いやあ大旦那の血筋を引く皆さん、本当にお人好しである(苦笑)。換言すれば、さんざん未納税取引でお世話になっていたくせに、大手の悪口を平気で言うような蔵は、租措法に頼らずやっていく位の気概が欲しいものである。
 ということで、次回から少し未納税取引の闇に、違う視点から光を当てたい。
 
 
【ボジョレーヌーボーのブームは完全に終焉か】                             11月17日 記
 
 多忙を理由に、ずいぶんと更新をさぼっていると、以前書いていたネタ、手を入れて公開しようとする間に古くなり、後悔している今日この頃である。何を書いていいのかちょっと迷うが、まあとりあえず、解禁日が直近であったので、ヌーボーについてまず書いてくることに。
 ヌーボーの輸入量、前年比で20%ほど減少だったらしいが、今年は昨年以上に苦戦だったようだ。京都あたりでは、解禁日の翌日に、四条の高島屋の売り上げがかなり悪かったという情報が流れていて、在庫を少しでも整理したい問屋があちこち打診して回っていた(ようである。余談だが、昨年の場合は、S県の問屋が、船便到着前に懸命に空輸便を船便価格で追加で処分しようとしていた事例とかあったが、今年はどうだろうか)。試飲する機会のあった数点についても、いまいちのような印象。まあ、(所詮は安ワインという)本当の意味でのヌーボーらしいといえば、「当たり年」であったともいえるが。
 まあヌーボーがかつてあれだけ火がついたのは、サントリーを始めとする大手の広告戦略が功を奏したという面もあるが、もしかすると、日本人が潜在的に持つ白人に対するコンプレックスがそれを増長したのではと勘ぐっている(そうした視点で考えると、日本人の「初物好き」という民族性?を理解し、巧妙にくすぐってきたフランスのワイン流通関係業者は、「名より実を取る」ことを徹底したという意味で、なかなかしたたかだったとも言える。このあたりのことは、ソムリエの世界大会を日本で開催したあたりからの流れを考えていただければ、良く分かると思う)。しかしながら、無理な仕掛けは、景気に対する見方とかも後押しとなり、さすがに息切れが見えてきたようだ(地域によっては、「ヴィノスやま○き」さんの買い煽りが今年は足りなかったという噂もあるようだが、とりあえずコメントは差し控えたい)
 サブプライム問題の深刻さが実感として認知されるようになり(当時一部の関係者の方にはメールで事の深刻さを知らせたが、10月22日にサブプライム債の格付けが下げられた段階で、為替で円ドルが100円台の攻防とか、日経平均14000円台の攻防とか、六月くらいまでには考えても見なかったことが年内に見られるかもしれないというのに、危機感を感じている人がほとんどいなかったのが個人的に不思議である)正直なところ消費者の手が出なくなってきたのでは、というのが率直な印象である。そもそも、初物好きというだけで、多くの人が1本2000円強の出費を払うには、品質的に満足のいく商品ではないだろう。なんか訳がわからないまま、ブームになっているという理由でとりあえず手を出す消費者がここ数年存在したが、さすがに多くの無知な消費者が気が付きだしたというのが理由の第一であろう。さらに、少し待てば船便が半額程度で発売される(去年、大量の船便のヌーボーが余っているはずなのだが、どこに逝ったんだ?)し、遅くとも去年などは空輸便も年が明けるとデパートなどで半額以下の処分売りがされたりしていて(余談であるが、私が確認した空輸便の最安値は1本735円)、まあよほどのファンで無い限り、空輸便に飛びつく下地は崩れてしまったという印象を受ける。マーケットが急速に大きくなりすぎた結果、収束するのも早いということに近くなる、という印象を改めて受けた。
 まあヌーボーもそれなりに役割は果たしたし、それなりのワインファンが、品質はともかく、「縁起物」として購入する価値は今後もあると思う。ただ、船便が流通するようになっても、スーパーやコンビニで在庫管理の悪いまま空輸価格で販売されているような状態が継続するようならば、その行く末は約束されたようなものであろう。
 日本酒であれ、ワインであれ、流通の末端をきちんと見ていないと痛い目にあうこと必死と思われる。
 
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判】                        7月2日 記
(以下に続く項目の関連項目はここに移動)。
 
 過日、ある読者の方からこの件についてどう思われますかというメールがとどいた。「この件」とは、その文章を読むと、私見では、日本酒についてどうも素人に多少毛が生えたような知識しか持っていないとしか思えないくせに、なぜか日本酒の本まで出してしまった古川修氏が、名誉毀損で友里征耶氏を訴えた事例である。この件について詳しい経過については、友里氏のブログを閲覧していただきたいが、問題となった記事(同氏店評価の2007年1月20日)について、ちょっと見過ごす訳にはいかない批評が見受けられたので、ここで指摘しておきたい。
 友里氏は、該当記事において、次のように述べている。
 
 この店には彼が宣伝しまくっている「宗玄」と言う日本酒があるのですが、この会社はタレントの「魚住りえ」とのコラボの日本酒を売り出しているのですから、その志は知れているというもの。こんな浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか。
 
 記事の該当箇所について、宗玄について批評されているが、まず気になるのは
 
・ 友里氏は宗玄を店で賞味したのか、そしてそのときの感想を述べているのか。
 
 記事を読むと、どうも店で宗玄を賞味せずに批判されているような気がするが、もしそうだとすれば、ただの感情論、思い込みだけで批判しているのでありいただけない。
 もし店にて宗玄を賞味していたにしても、酒の場合、提供する温度や、開封してからの日数、さらにいえば店に届くまでの流通の影響などで随分印象が異なる。本当に優れた酒であっても、料飲店で飲むとまったく別物の酒が出てくることがしばしあるのは、このHPの読者の皆様もしばし体験しているはずだ。きちんとした流通管理のされた、実際に店で提供しているのと同一の商品を実際に事前に飲んで、比較して批判をされるのならばまだわかるが……。あと、酒の場合、酒と相性のよい旨い料理と飲むと味わいが増すが、どうみても納得のいかない料理と飲むと、旨い酒もさほど旨く感じられないのも事実である。また、店の雰囲気、例えばとなりでジュースを飲みながら刺身をつまんでいる子供を見ると不味く感じられることも多いはずだ。
 さらに「魚住りえ」という女性がコラボして売り出していることを根拠に、「浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか」という批判をされているが、日本酒業界の現状をご存知なさ過ぎる。低迷する現在の日本酒業界、猫の手を借りても商品を売りたいという状況にある。それなりに広告効果のある、魅力のある話で有れば、とりあえず乗ってみたいというのは醸造元として当たり前の発想であろう。さらにいえば、そうした話を決めるのは会社の経営する側であるが、造り手にはあまり関係のない話である。
 問題となっている氏の記事は、それなりに納得のいく内容であるが、以上の件については個人的に違和感を感じたので、ここで指摘しておきたい。なお、この件については、もう少し触れたい事例があり、その事例について調べた後、この続きか、あるいは別項で触れる予定。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのA いろいろと、訂正 その1】
               7月8日 記(7月10日、一部表記を訂正)
 
 さて、前回更新した内容についてであるが、少し疑問に思ったこともあり、友里氏に問い合わせのメールを出してみたところ、すぐに返事をいただいた(お忙しい中、こちらの疑問に対して迅速に対応していただき、恐縮しております)。今回から二回にわたり、その際のやりとりから新たに分かったことなどを付記し、こちらの批判の行きすぎた所を訂正しておきたい。
 
 私は友里氏が
・いつ頃、訪問されたのか。
・そして、実際に店で賞味していたかどうか。
の二点について一寸疑問に思った。友里氏は鱸、子持ち鮎の有馬煮、松茸の味についてブログでコメントされているが、友里氏のブログの日付は1月20日であり、いつくらいに訪問されて記事にされたかで随分印象がかわってくる。古川氏の宴会は9月2日であった。
 この点についてであるが、友里氏が「こびき」を訪問したのは、同じ料理を頼むため、時間をあまり置かないように◎△月××であったとのこと。これならば友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外大筋でその内容に納得がいく。鱸は旬の終わりごろになるが、まあそれほど劣らないだろうし、子持ち鮎もこれから、そして使用されている松茸は恐らくモロッコあたりの外国産(国産で去年の9月頭の松茸なんて、そりゃもう……。それを認識した上で、古川氏はベタ褒めしていたのだろうか)だろうから問題ない。友里氏のそれぞれの料理についての味についてのコメントも、説得力がある(余談であるが、古川氏の味わいについての表現、結構嗤ってしまうモノが多い。たとえば、その時の宴会にて、新潟の岩がきについて、「食べたとたんに、日本海の潮の香りがテーブルに漂うという、古川氏が教えている芝浦工大の優秀な大学生レベルではもちろんのこと、今時の高校生や2chネラーでも恥ずかしくて書けないような、小学生の夏休みの作文のような表現をされている。食べた途端に誰かがテーブルに吐き出さないと、そのタイミングではテーブルにはそうした香りはしないと思われるのだが。どうせライターもどきの臭い表現を目指すならば、小泉武夫先生を真似て「一口かみしめた刹那、舌全体に牡蠣の濃厚な旨味がどさっと襲いかかってきて圧倒された。同時に俺様の鼻腔から豊かな潮の香りがふんわり抜け、脳裏に広大な日本海がザザッと押し寄せ」くらいの味わいのある表現をしてほしい。そのあとに牡蠣と日本酒を同時に口に含み、「牡蠣と日本酒が一体となったところは、本当に両方の味がさらに昇華されて幸せいっぱい」とか、生原酒あれをやると、潜んでいた牡蠣の生臭みが前面に押し出て気持ち悪そうな……。まあ、味覚は個人差はあるし、古川氏は生酒の常温熟成を得意とされており、生老ねとか、そうした香りへの許容度は極めて高そうなので美味しいと感じるのかもしれないので、このことをもとに味音痴だとか評しようかとは一切思わないが)。
 ところで、先に「友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外は大筋でその内容に納得がいく」と書いたが、「では、古川氏について、そして『こびき』についてはどうなんですか」という突っ込みがきそうなので、とりあえず「こびき」についての私見。古川氏は絶賛し、友里氏は居酒屋料理という判断を下しているが、私見では友里氏の方に軍配を挙げたい。その理由はいろいろあるが、酒以外でとりあえず。古川氏が絶賛するようなレベルの店であると多くのお客さんが認めるならば、なぜわざわざぐるなびでクーポンまで発行して客集めをしようとするのか。それに、本業が寿司屋であるのに、川魚である子持ち鮎の有馬煮を出すのかという点に大いに違和感がある。
 さて、とりあえず余計なことを書いてしまったが、次回は友里氏からいただいたメールをもとに、友里氏のコメントのどこに問題があるかなどについて、一介の酒飲みの立場から検証したい。そしてあの人は…… とりあえず動物園で飼育しようかな。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB いろいろと、訂正 その2】
                     7月8日 記
 
 (前回の続き)
 さて、次はいよいよお酒の話。友里氏からは、宗玄は店で飲み、押切さんのコラボ酒も購入して飲んだとのこと(こちらも一応予想はしていたが、友里氏によれば公表した段階では紙数の制約もあり、そこまで触れることが出来なかったとのこと。なるほど、であるが、せっかくご自分のHPで再録されているのだから、必要以上に誤解されることを避けるために、補注を付けても良いのではないかと思われる)。店では古川氏の宴会の時に出ていた宗玄、秋鹿の純米無濾過生原酒を飲み、「ワインと違い日本酒の素人なので、普通の一般客としての感想」という断りのうえ、古川氏の宴会の時に出ていた宗玄純米無濾過生原酒(山田錦、雄町)、秋鹿について
 
 「確かに米によって味が違うが、どれも原酒で味が濃い。冷や(キンキンに冷えた冷酒であろう 鮭野注)しかなかったが、常温だとさらにしつこいかも。55%精米であるが、先入観からか苦手な吟醸香のようなものを感じた。こんなまったり系の酒、最初から最後まで食事に合わせるものではないと素人は考える」という主旨の感想を持たれたとのことだった。
 
 この友里氏の感想は、酒意地の汚い、酒は量を飲めれば良しとするアル中に限りなく近い人は別として、まともな味覚を持つごく普通の人ならば、かなりの確率で同じように思うのではないかと思われる。では、解説しよう。
 純米無濾過生原酒であるが、まず、アルコール度数が高い。大体17度前半である。通常の日本酒が大体15度前半の度数設定である。アルコール度数が高いお酒は、体への負担が大きい。特に夏場など、気温が高い時期には、結構きつかったりする(最近は13度前後の商品も増えてきたのも、そうした理由からである)。無濾過系の生原酒は、味わいも濃厚で香りも管理が良ければ(生老香が出ていなければ)火入れをしていないことにより、吟醸系のエステル香もそれなりに残存していて(私の豊富な経験則では麹香は落ち着いている事が多い。ただ、友里氏が感じた香りはセメダイン臭の可能性あることは指摘しておきたい)、確かにインパクトは強いが、量を飲むには向かないないだろう。
 余談であるが、私の記憶(東大路師から聞いた話)では「つきじ田村」(余談だが、癒着ライターと揶揄されてご立腹されている古川さん、自称食通レベルの方ではないはずですから、「こびき」など足元に及ばぬ名店である「つきじ田村」、当然何度か訪問していますよね。その昔訪問した際の感想などを是非ご自分のブログもしくはHPで公開してください。まさかとは思いますが、もしブログもしくはHPにて公開できない、つまりは訪問していないければ、そのことを根拠に古川さんを自称似非食通と認定させていただきます。あしからず)の田村平治氏は、修行中に「瓢樹」の西村氏に、料理の味付けの要諦として「濃い素材には濃く、淡い素材には淡く」と指導されたと回顧されていたそうだ。この「淡い素材には淡く」とは、薄くではなく、素材そのものの味わいを引き立てるようにとのことである。一部例外はあるが、この原則は料理と酒との相関にもあてはまる。無濾過系の生原酒の場合、旨味(アミノ酸)が強い、火を当てた料理や珍味の一部には相性がよい(鴨の鍬焼きとか、それこそ味噌漬けの焼き魚とか、ぬたあえ他)と思うが、夏場にはしんどいだろう。さらに、冷蔵であれ、夏場まで寝かしていると、無濾過系の生原酒の場合、残存する酵素の影響でアミノ酸がさらに多くなり、味がよりダレて(重くなって)しまう。ポテトチップなど平気で一袋空けてしまう、味の素世代のおこちゃまな味覚の持ち主ならば何ら違和感を持たないかもしれないが……。さらに一ついえば、生魚と合わせるならば基本は老ね香や柿熟香の強くない、控え目な香りの純米か本醸造の燗酒(産地は内陸ではない。間違えても秋鹿とか、神亀ではない)がベストだと思われる。生原酒や吟醸酒の多くは、どんなに魚の鮮度がよくても、魚の生臭みを強調してしまうことが多々ある(魚をいじっている人にとっては閾値以下であっても、普通の人にはそうではない)。スーパーの鮮度の良くない魚に慣れているレベルの客は気にしないだろうが、店の方には気を付けて欲しい。
 ここまで書きながら思い出したが、宗玄の無濾過生の場合、金沢酵母を使用していたと思われる。金沢酵母は数値ほど官能的に酸味を感じず、つまりはアミノ酸の味がかなり前面にでていたはずで、時期がやや遅れて訪問した友里氏にとっては、味わいがより重たいという印象を持たれたのではなかろうか。
 要は、店で出す料理と酒の相性、そして味が熟れすぎていた酒を提供されたことにより、友里氏が良い印象を受けなかったのだと思われ、またそうした友里氏の印象はごく普通のものだったと思われる。
 しかしながら、蔵に対する友里氏のコメントは、日本酒に対してそれほど詳しくない友里氏に責任はないが、筆が滑ってしまったという印象で、やはりややいただけない。私は以前から飽きるほど述べているが、日本酒の場合、流通段階で痛んでしまう事が多い。さらに、料飲店だと、流通段階の管理が良くても、ボトル単位で注文されることが多いワインとは異なり、封を切ってから結構時間が経過したものが提供されることが多い(私の乏しい経験では、もとの味わいを留めていないものが、座席数比で商品アイテム数の多い料飲店では極めて多い。ごくまれな例外として、大量の自家消費で商品の品質を維持している模範的な料飲店も確かに存在するが、そうした採算を抜きにした、本当に酒のことを愛する、プロ意識の高い料飲店が極めて少ないのも事実である)。つまりは、外で飲む酒の場合、飲んだ酒に対して不満に思ったならば、その料飲店に対する批判をするならば良いが、そこから蔵の批判をするのは、その料飲店が直接蔵から商品を購入していたとしても的はずれになってしまう(まあ結局は、日本酒の流通および管理はどうしようもない場合が多く、それを消費者は平気で飲んでいるという恥ずかしい結論に陥ってしまいそうだが)。
 この項の最後に、一応付記しておきたいことがある。今回、疑問点があり、友里氏にメールを送ったのだが、すぐに対応していただいたおかげで(深夜に送った内容に対する返事を、その早朝にいただいた)私の疑問点も全て解決した。友里氏の公表されている店評価は、私の乏しい体験とは一致しない点も見受けられるが、それは個人の嗜好の違いに過ぎない。友里氏の辛口コメント、批判はかなり多いらしいが、自分の体験とあわせて、是は是、非は非という形で、自分と嗜好が異なる場合は、「いやあしょうがないな」と軽く流して気楽に読むのが健全な読み方であろう。今回、友里氏に誠意ある、迅速な対応をしていただいたが、それは友里氏が、ご自分で書かれたことに対してきちんと責任を持とうとする姿勢による。日本酒関係でものす連中の中には、自分の書いたことに責任を持とうとはしない、抗議をしても相手にしない、都合の悪い批判には目をつぶり、あるいは過剰反応をし、自分を褒めそやす相手には「よくぞわかってくれた」と擦り寄る輩が多い。私はそうした輩を「乞食ライター」と蔑視することにしている。そうした輩をマスコミが甘やかす(某宗教団体に買収されるのではないかとごく一部で噂をされている一応全国紙が、かつて講座の講師に招いたりしていたから困ったモンである)のもいけないのだが、日本酒関係のライターの皆さん、是非友里氏の姿勢に見習っていただきたい。私も、HPの内容について問い合わせのメールをいただいた時に、多忙を理由に返信がやや遅れることがあるが、友里氏にすぐにメールをいただき、深く反省した次第である。
 書いていて一寸面白くなってきたので、次回からは、料理や古川氏について触れてみたい。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB とりあえず追記】
                     7月11日 記
 
 前回の更新のあと確認したが、友里氏のブログが更新され、私のHPの更新についてとり上げていただいている。そこで、一応追記などを。
 友里氏は6日のブログにて、「関西で日本酒と食の造詣が大変深い方だと思われる方から」と、私のHPをとり上げていただいているが、私の日本酒への造詣については長年このHPを読んでいただいている方や、実際にお目にかかった方ならば、どのくらいのレベルであるか(まあわかりやすくいえば、いわゆる一般のきき酒師のはるか雲の上)推測は出来るであろうし、まあそのように言われても違和感は無いが、食については外食をほとんどせず、せいぜい年に一度、滋賀の知人の奥さんの山菜料理他を味わうのを楽しみにしているくらい(編集者注 その奥様、確か辻留の花板だった方から長年指導を受けていた方ですよね)の井の中の蛙である。食材へのこだわりはどうか。例えば京都に長年住んでいながら、野菜を古川さん絶賛の、錦の有名店「かね松」で買い物をしたことは一度もない。せいぜい、時間が有ればその半値程度で、とりあえず鮮度だけははるかに良いものが手に入る上賀茂のある野菜の直売所とか、西陣の筍酒店さんに野菜を買いに行くのが楽しみというレベルである(余談であるが、普通の京都人、普段「かね松」で野菜を買うのだろうか……。確かに野菜の品質はかなり良いが、費用対効果でやたら高いという印象)。
 あと、9日更新の内容で、友里氏は「私が彼に返事を出したことをある分野の人は裏取引をしたとか言っているそうですが、お答えしたのは「『こびき』へ行った時期と『宗玄』をその場で飲んだかどうかだけであります」とのことだが、これはやや不正確。私が質問したのはその二点であったが、ついでに、注文したメニューの一部、および飲んだ印象も教えていただいてしまったことは先の更新であきらかであろう。私がこれから更新する内容は、現在進行中の訴訟にも一部影響を及ぼす可能性があり、ここに付記しておく。
 ただ、訪問時期を当時うっかり明示してしまったのは私のミス。一応訂正したが、友里氏にご迷惑をおかけしたことを、この場でお詫び申し上げたい。
 
 あと、古川氏に対して、私がメールを出したということが友里氏のブログにあったが、変に誤解を招くといけないので、どのようなメールを古川氏に出したか、(差し障りのないよう加工したうえで)下に付しておく(まあ読者の皆さんには、公開質問状ととっていただいてもかまわない)。古川氏、自称ではなく本当に本職は一応研究者らしいので、所属する大学に出すのが一番確実と思い、古川氏の大学のメルアドに出してみたのだが、無視されたのか、調査に時間がかかっているのか(コメントが何を根拠にしているのか、調査をするまでもないはずなのだが)、ご自分の余りにも馬鹿丸出しとしか思えないコメントについて、説明できないのかまだ返事はこない。
 ということで、古川さん、返事を待ってま〜す。こっちも、HPの更新結構手間がかかっておりますので(内容によっては、久しぶりに公開する前に弁護士の目を通さねばならぬ案件ですから、それなりに気を遣っております)、よろしくおねがいします。
 
 
送信元 鮭野 夢造 <sakenomuzo@××××.livedoor.com>  
送信日時 2007/07/06 00:53 (+0900)
TO <furukawa@sic.shibaur×-it.××.jp>
 
件名 グルメ術の記事について 問い合わせ
 
古川 様
 
初めまして、知りすぎた消費者、鮭野夢造と申します。
 
古川さんが友里さんに対して起こした訴訟について、思うことなど私のHPで一寸触れはじめており
(私のHP)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/
(の新辛口批評をご参照ください)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/newkarakuti.html
件の事例について友里さんに対する批判は一応行いました(一昨日夜に友里さんにメールを出した所、返事をいただき、この内容は一部訂正する予定です)。
それに関連して、古川さんにうかがいたいことがあります。
 
古川さんが過去に、「スーパーグルメ術」にて掲載された内容についてです。
古川さんのお書きになること、得心のいくこともありますが、結構疑問に思うことが多いのも事実です。まあ、その多くは、勘どころが付く、古川さんの知識不足による思いこみ、勘違い他ではなかと思うのですが、それほど食に対する造詣は深くはない私からしても「さすがにちょいとこれはないぜ」というものに、古川さんの京加茂についての記事があります(この件をもとに、古川さんにからんで、次の記事をものす予定であります)。
 
470回「京料理と大阪の料理の違い」
 
にて、
 
「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、
かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ。
吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して、
丸冶は料理だけで勝負をしていたという。」
 
と古川さんはコメントされておりますが、このコメントは何を根拠にされているのでしょうか。
 
 食に対する造詣など乏しい、私の知識程度では、このようなコメントはまずありえないので、現在、乏しい人脈を駆使して、「丸治」関係について、調査を始めましたが、古川さんに直接うかがうのがとりあえずてっとり早いとおもい、失礼を承知でメールを差し出した次第であります。
 
 日々研究でお忙しいとは思いますが、なるべく早い時期にお返事をいただければ幸いです。なお、お返事をいただけない場合は、一定期間を経たあとに、こちらの判断のみにて記事をまとめますので、こちらがどのような形でまとめたとしても、こちらの内容について事実誤認が無ければ、大人としてご笑諾いただければ幸いです。                  鮭野 拝
 
 
 
 
【ビールが面白くなってきた! キリン・ザ・ゴールド】
                      3月24日 記
 
 キリンビールが創業百周年を記念して、世に問うたビール。それが「キリン・ザ・ゴールド」である。キリンのキャンペーンで発売直前プレゼントを公募していたので、とりあえず応募したら厳正な抽選の結果当選し、商品が3本送られてきた。この手の新商品の公募に応募して当選するとやはりちょっとだけ嬉しい(昨年は確実に当選すると思っていた月桂冠の某商品の公募に落ちたこともあり、感慨ひとしおであった)。せっかくいただいたので、とりあえずものがいまいちであったら酷評させていただこうかと思い、口にすることにした。 例によって味が良く分かるよう、ややぬるめで口にすることにする。まずは鮮度が良いこともあり、泡立ちが綺麗だ。香りの面でいえば、オフフレーバーはなく、またホップ由来の香気が華々しいわけではない、おとなしい感じ。味わいはやわらかく軽快。軽やかな味わいであるが、決して薄いわけではない。苦みが目立たない分、やわらかい甘味や酸味、旨味が調和して感じられる。しかも味わいのキレが軽やか。従来のビールではアルコール感やホップの苦みをきっちり効かせて切れるタイプが多かったが、このビールは違う。「隠し苦味」によるらしく、技術的にどうしてこうなるかということは分からないのであるが、今までに経験しないようなおとなしい味切れである。いろいろ思いをはせながら、三本の缶を飲み干した。
 この商品、開発のコンセプトの一つとして、これから高齢化が進む日本において、健康飲酒と言うことがあったのではないかと推察する。アルコール度数が低めに設定してあるのがその証左になると思う。度数の高いビールは、確かに飲み応えがあるが、アルコール度数が高いビールは体への負担が大きい。見てくれの飲みやすさでごくごく飲んでしまうと、やはり体へはよくない。度数が低ければ、同じ量飲んだ場合、代謝の際の負担もそれだけ軽くなるし、摂取するカロリーもやや低くなる。副原料を使用せずに、素材の持ち味をおだやかにではあるがきちんと引き出すことによって、味わいの調和を目指したのであろう。
 ただ、食べ合わせを考えると、味の厚みとか、ホップの効かせ具合とかの要因で、ドイツ料理とか、洋食と合わせるには微妙に物足りない気がする。ただ、そうした料理にはキリンではハートランドもあるので問題なかろう。一寸喉が渇いて喉を潤したい時とか、夏の昼とかに飲むのに最適なビールであると思う。
 いただいたサンプルに添付されていた商品案内で、技術開発部の今井健夫氏は、「世界最強のピルスナーを目指しました」とするが、とりあえずビールの分類でジャパニーズピルスナーという分野が存在するならば、その分野での一つの頂点の存在を垣間見させるだけの商品であることは間違いないだろう(到達点という表現はあえて使わない。極めて完成度が高いので正直、イメージが出来ないのだが、造っている方はこの商品を足がかりに、さらに水準の高いものを目指しているに違いないからだ)。キリンの本気を存分に感じることが出来た。出来れば近いうちに、サーバーで飲みたいと思う。
 最後になるが、一人の酒徒として、この商品の開発に携わった皆さんに最大の敬意を表したい。ありがとうございました。
 
 
【急速な市場の変化を考える】(その1。その3まであり)
                       2月1日記
 
 年末に東京の大きいスーパーをいろいろと散策してみた。まあ市場調査であるが、気が付いたこと。
 棚割りでいえば、焼酎の比率が下がってきている。これはブームが一段落したことにもよるだろうが、スーパーが売れる商品、つまりは回転率の高い商品にしぼりこんだこと、そして利益率にあろう。焼酎の場合、定価販売をしたとしても、もともと単価が安く、さらにアルコール度数が高いこともあり、棚面積に対する利益率という意味では、回転が悪い商品は淘汰される対象となる。結果的に、強い商品しか棚を確保できなくなる。その分、日本酒に回ってきたようだが(というよりも、日本酒が喰われていた分を戻しただけという考え方もある)、その日本酒の棚に傾向として異変がある。
 日本酒の陳列、大手のパックやら、地酒やらごったになっているが、地酒の陳列を見て、複数のスーパーにおいて気が付いたこと。地酒の場合、本醸造はおろか、アル添酒がほとんどないのである。地酒は地方銘柄の純米酒と、純米吟醸。アル添はほとんど新潟系大手のみというスーパーが複数見受けられたのである。東京のスーパーであるが、たとえば地元の澤の井あたりでも純米がベースで、本醸造は片隅にという事例があった。これは消費者の指向が純米化した結果だろうか?私見では違うと思う。
 業界紙その他で適当な間隔をおいて出てくる流通の統計資料、最近は日本酒の消費が落ちながらも、純米系だけが数字を維持、もしくは伸びている。この数字、統計資料の見方を知らない馬とか鹿とかと親しそうな単純な人とか、脳波が一寸普通の人とは異なる電波系の人ならば、「日本酒全体の消費が減る中、純米酒は伸びている」「消費者の選択肢が純米酒に向けられていることの証明である」と声高らかに宣言してしまうが、数字の変化の第一歩は、酒税法の改正により、大手を中心とした「米だけの酒」の多くが純米酒に昇格(笑)したことによる。この傾向は昨年度も継続し、月桂冠や黄桜がコシヒカリを主原料にした純米を出し、数字を押し上げるだろう。
 数字の第一歩は違う原因からであるが、その意味を正確に捉えられる人がマーケットを積極的に形成する人には少なく、統計の数字だけを鵜呑みにして、結果としてトレンドをつくってしまっただけではないか。結果として純米傾向に傾斜するトレンドが出来るのは個人的には大いに賛同したいのだが、実は非常に深刻な問題がここに隠されているのではなかろうか。タイトルを変更するかどうかは考えているが、次回から考察を深めることにする。
 
 
【急速な市場の変化を考える】(その2)
                       2月5日記
 
 今後の日本酒の消費動向を考えると、純米吟醸酒はほぼ現状維持、純米酒は今後、大手を中心にやや伸びるが、本醸造酒や普通酒(これから雑酒に該当するその他の雑酒は無視)が急速に落ち込むのではないかと思われる。しかし、シェアの大部分は未だに普通酒や本醸造である蔵がほとんどであり、主力商品の落ち込みによる経営への影響は当然大きいだろう。また、吟醸系の商品、純米系統しか売れないとなると、贈答用の商品としての大吟醸の売れ行きにかなり響いてくる。出品規格の商品が贈答用商品としてお歳暮で出てくれれば良いのだが、贈答用商品のターゲットが純米吟醸、純米大吟醸あたりにシフトすると、商品の単価は落ちるし、アル添系の商品の在庫はたまる。新酒の仕込みに必要な米の代金を、年末に売り上げた利益に依存する蔵はかなり多い。そろそろ悲鳴がいろいろな所から聞こえてきそうな気がしてならない。
 また、中期で考えれば、環境問題の影響が大きそうだ。今年のような記録的な暖冬の場合、もろみの温度管理がかなり難しくなる。仕込み数量の減少により、仕込み時期が前倒しになっている蔵がかなり多い(11月に仕込みを開始するも、1月中に甑倒しをしている事例は結構見られる)が、気温的には不利な状況での仕込みである。普通酒、本醸造酒あたりを仕込むのに、外気温に頼らず強制的に温度を下げる必要があったところ、西南日本を中心に多々あったはずである。今後温暖化が進むと、普通酒でもサーマルタンクで仕込む必要が出てくるかもしれない。
 また、飲酒運転の取り締まりの影響も見逃せない。飲酒運転の取り締まりが厳しくなった結果、外食産業の競争が一層激化している。そうなると価格競争がそれなりに生じるが、団体の客が店を選ぶ際の一つの基準として、飲み放題の価格設定がある。飲み放題の場合、提供する側は、利益の追求のためにいかに原価を安く、客が満足するかということを考える。そうすると一番利益に貢献出来る酎ハイ、焼酎を飲ませたいと思うだろう。飲み放題のメニューで、日本酒は普通酒しかないのにもかかわらず、焼酎は芋、麦、米と一応それなりの品質のものが提供されている事例が多い。飲酒運転の取り締まりが厳しくなった後も、焼酎はさほど落ち込まず(むしろ芋は続伸)、他の酒類が落ち込んでいるのはこうした理由も考えられる。
 打開策はあるだろうか……。
 
【急速な市場の変化を考える】(その3)
                       2月5日記
 
 清酒にとっての打開策は、とりあえず一つだけ提案するが、ともかく消費者の自宅に於ける消費を増やす、そして自家消費にて吟醸クラスの美味しい酒を日常的に飲んでもらうことが第一である。
 以前もどこかで触れたことがあると記憶するが、外で日本酒を飲むと、1升2000円〜2700円クラスの純米酒で約1合(無い場合が多い)あたり500〜700円くらい取られる。しかも、銘柄を多くそろえている店の場合、いつ開封したのかわからず、冷蔵してあっても香味がやや変質し、場合によっては全く違う味になっているものをである。傷んだ酒を高い金を出して飲むならば、自宅で1升3000円を越す価格帯の酒を、納得のいくアテ(京都ならば多少名の知れた豆腐屋の豆腐とか、厚揚げを焼いた奴)で飲む方がはるかに経済的で、しかも満足いく。私が基本的に外で飲まない理由はここにある。
 こう書くと、飲み屋から反論があるかもしれない。「飲み屋では、メニューを原価計算して、原料費をせいぜい3割5分で押さえないとやっていけない。そのくらいいただくのが当たり前だ」。しかし、実際に素材に手を掛けた料理(大抵、調味料をケチっているので私の基準ではお子ちゃま向けの味で不味いのだが。居酒屋の場合よくこの程度のもので金を取るなと感心する)の原料費と、ただ冷蔵庫にあるものを注ぐだけの酒と、同じ基準でものごとを判断するあたりがそもそも間違えている。燗をつけるにしても、多くの店が自動酒燗機を使っている(ただし、最近の物は熱交換プレートがかなり進化していて、なかなか優れものの酒燗機もある。提供の仕方によっては、そこらへんで評判の「燗酒が美味しい店」の下手な湯煎を遙かに超越する)し、湯煎にしても酒に合わせない、技術を伴わないいい加減な湯煎が多い(もっとも、私が本気で湯煎したら、銚子一本800円でも安いと思うが)。燗をつける技術がないために、そうした努力を放棄してミニかんすけを利用する店も多くなってきた(ミニかんすけを使って旨い燗酒を提供していると思っている飲み屋、一応プロとして恥ずかしくないか。単なる手抜きだろ。もしこの文章を読んで反論があるならばこのHPで公開して添削してやるからメールを寄こせ)。封を切って、時間が経過して劣化がはっきりしていても(キリッと冷やして味をごまかして)平気で提供する飲み屋で金を捨てるよりも、自宅できちんと旨い酒を、愛妻とじっくり飲んでくださいと呼びかけるのが一番かと思われる。
 ここまで書かれても実感の湧かないかたもおられるかもしれない。そうした方にイメージしていただきたい。一丁200円強の一寸高価な豆腐を、利尻の一等検の昆布でミネラル水で出汁を取り、湯豆腐にする。酒は極上白鷹を人肌燗(そこまでいかなくても英勲の古都千年の純米吟醸や、月桂冠の特別本醸造、招徳の福以徳招……いろいろなるなあ)。1合飲んで、1000円かからない。同じだけの満足感を得ようと思ったら、どれだけかかるか。
 また、飲み屋さんにも、酒を提供する価格については一度真剣に考えていただきたいと思う。
 
 
《最近のバックナンバー》
 
【久しぶりに刺激を受けました……満寿泉訪問】
                 (2007年1月16日)
 
 年始には、ふと富山を通りすがったので、ライトレールにとことこと乗って富山の満寿泉の蔵を見せていただいた。なかなか機会がなく、見学にうかがうタイミングを逸していたが、今年、当日突然連絡したにもかかわらず、いろいろと見せていただいた(普通の人は同じ事をやらないように。ある流通の件を巡って、昨年末からいろいろやりとりしていたこともあってのことである)。満寿泉の特約店は、能登の四天王の一人、三盃氏の引退でどうなるかが気になっていると思うが、米の原料処理が難しい今年も、私がうかがった時には、麹室には栗香が漂い、いい麹が出来ていた。会社の見識がしっかりしていれば、名杜氏の血はきちんと伝わるものである。
 いろいろと思ったことはあるが、一番感銘を受けたのは、東岩瀬町の町造りである。かつて、回船問屋の町として知られた東岩瀬町であるが、そうした歴史の面影は過去のものになりつつあった。そうした状況のもと、昔の町並みを戻すことを中心とした町興しを、満寿泉の枡田さんが中心となってやっている。枡田さんのコンセプトは、「日本人であることの再認識」。(ここからは、私の脚色が入るのでやや表現がきつくなります。枡田さんの言葉そのままではないので、その点ご了承を)やれクリスマスだやれバレンタインだなどと、日本人であることを忘れて毛唐のイベントに振り回されて、日本人が日本人であることを忘れている今日この頃。地方にいる我々が、日本の良いものをきちんと残すことにより、日本の精神文化の豊かさを発信出来ればと。
 そこを訪れる人が、日本の精神文化の豊かさの一端に触れれば、自然と日本酒に回帰するはずだという枡田さんの考えがある。枡田さんもかなりの投資をしているようだ。費用対効果の面でいえば、枡田さんのこの事業に対する投資、自社の酒の売り上げから考えて、事業に対する経営効果を考えれば30年くらいでは絶対に回収できないと思うのだが、枡田さんは食文化を継承する、日本酒を造る蔵元の使命に過ぎないという認識でしかないようで、涼しい顔で話しておられた(このニュアンスは、まだお目にかかったことはないが、長年土地を切り売りして地元の人にすこしでも良い酒を飲まそうと努力している、新潟は「鶴の友」の樋木さんに一脈通じるものがあると思われる)。
 枡田さんに町をいろいろ案内していただいたが、町のなかに田尻さんという酒屋さんがある。満寿泉さんも少し出資している(らしい)酒屋さんなのだが、この酒屋さんの商品の陳列には、非常に感銘を受けた。品質管理が徹底しているのはもちろんのことなのだが(夏場にも生酒をエアコンの室温で管理しているのを品質管理と勘違いしている、高瀬斉チェンチェイはおろか、売文家の村松なんとやらという輩もご推奨の京都の迷える酒の館とは大違いだ……。おっと昨年末に本を出したらしいな。しかしアマゾンの中古で、1月16日現在、もう売られているぞ。そんなに内容がない本なのか)、陳列がすごい。陳列スペースに一歩足を踏み入れると、満寿泉のビンテージがずらりと並ぶ。そして北陸を中心とした地酒が両側に並んでいる。そこを歩くと、「いやあ、日本酒って何か凄いな」と思ってしまう。酒屋であるから、その奥にはワインや焼酎もあるが、ここに足を踏み入れると、日本酒を買いたくなってしまう。枡田さん曰わく、「ワインの場合、セラーに大量のビンテージ商品を陳列することにより歴史を感じさせ、文化の重みを感じさせるような陳列はあるが、日本酒はそういうことはない。そうした試みをここで」ということであるが、確かにそのとおりである。まあ、新潟の一銘柄だけ、ここで無理に置かなくてもという商品があったが、そうした野暮なことは言う必要はないだろう。ともかく、壮観であった。
 酒は買わないでもいいので、一人でも多くの方に、一度足を運んで、雰囲気を感じてもらいたいと思う酒屋さんであった。もちろん、足は富山の新しい観光シンボルでもあるライトレールで。
 
 
【吟醸酒の新しい方向性】
                 (2007年1月14日)
 
 しばらく、更新らしい更新をしていなかったので、何から書こう一寸迷うが、とりあえず年末年始に思ったことなど。
 まずは年末から。
 年末、例によって新宿の伊勢丹で、試飲販売にいらしていた真澄の宮坂さんにお目にかかり、お忙しいなか、酒をききながら、いろいろお話をうかがった。最近、恒例行事化しつつある(苦笑)。マーケットについての情報交換についてはまた後日触れたいが、真澄の最近の品質について、一寸。
 長年、真澄を愛飲されている方は気が付いていると思うが、ここ4〜5年で、全体にずいぶん味わいが柔らかい方向になっている。当初、特別純米(当時)の辛口生一本にその傾向が目立った。第一段階は水だった。一度見学にうかがってきき酒した際に、案内していただいた蔵人の方に「一寸変わりましたが分かりますか」と聞かれ、「水が変わりましたか」と返答し驚かれた記憶があるが、富士見蔵から諏訪蔵に変えて、味が一度変わった(この件についてタネを明かすと、私は富士見町周辺の水質についてはそれなりに詳しかったので、見当がついたのである)。そして次のステップは麹米にひとごこちを使い出した頃からである。麹米がひとごこちに変えた商品、美山錦の頃と比べると全般に柔らかさが出てきた。嗜好の差はあり、以前の味わいのタイプが好きな方はもちろん多くおられたと思われる。もちろん、その味わいを維持するのも一つの方針だが、真澄は味わいが柔らかい酒を目指した。そうした方向性では、酒質は螺旋階段を上るように一歩一歩上にその歩みを進めている。
 そして今年である。ひさしぶりに口にした(あれ、去年は10月上旬にこっそりCella MASUMIにいませんでしたか……編集者注)あれこれのうち、まず感心したのは「山廃」である。熟成をきっちりとっているのだが、蔵として追究しているであろう柔らかさが味わいの基調になっている。味わいが柔らかい中に、時が醸し出す旨味が丁寧に融けなずんでいる感じで、(忙しくてまだ試していないが)ぬる燗にすると融けなずんでいた味わいが、ふんわりと広がるのではないか、という印象を得た。読者の皆さんも購入する機会があれば、是非一度室温からぬる燗への味わいの変化を試みていただきたい。私も、近く試みる予定である。
 さて、本題である。大吟の夢殿を2タイプ見せてもらったが、今の商品になり、方向性がはっきり出てきたように感じられた。過去の夢殿は、アルプス全盛の時代のインパクトが比較的強かった頃と比較すると、それなりにおとなしい。それは香りの質が変化してきたことによる。一時期は、全国の傾向と比較して見た場合、(熟成がかかっていることもあり、やや控え目ながらも)香りが味わいを引っ張るという傾向が見られたが、ここにきて、酒の味わいから香りが出てくるような感じの仕上がりになってきているように思われる。香りが味わいを引っ張る場合、官能的にはインパクトのある香りから味をイメージして、味わいが香りに調和するか否かが商品の好悪を決めてしまいがちだが、香りがやや落ち着いて、しかも口に含んだ際に、香りよりも味が優先的に感じられ、味わいから感じるイメージに調和する香りがふんわりかんじられる、そんな印象を夢殿から感じた。
 吟醸酒の流れ、大きく見ると、
 9号、10号のスタイルがある程度完成された
     ↓
 バイオ戦争(華々しさを競う)
という流れで、そこから、香りが華々しすぎるのもどうだろうという方向に今進んでいる(個人的には、どのスタイルもそれなりに評価している)のだが、吟醸酒のバイオ戦争後に進むべき一つの方向性を真澄はかなり的確に捉えているように感じられた。
 
 
【しぼりたて原酒からうかがえる、日本酒業界の現状】
                 (2006年12月2日)
 
 11月下旬から、本格的に冬の風物詩・しぼりたて生原酒が流通しはじめる。この時期、私(の肝臓)は本当に忙しい。秋口から3月末までの「飲酒スケジュール」をたてて(冗談かと思う方がいるかもしれないが、実話。付き合いで深酒をしなければならないと嘆くサラリーマンなど、私からいわせれば可愛いものである)臨むが、近年スケジュールの隙間をうかがうように、飲む必要のある商品が目に付くので困ったモンである。また、入荷が想定した日よりも遅れると、スケジュール調整が難しい(某社のIさん、来年から地方出荷日を事前に教えてください)。招徳のしぼりたて(しぼりたてと割り切って飲むならば、とりあえずかなり出来は良い。この文章を読んだ皆さん、一本ずつ買うように。あと、もう完売しそうな、あさ開の新米新酒もここ数年では最高の出来であることは私が保証する。次のしぼりたて飲酒予定は今月の、あの銘柄の入荷待ちである……そういえば、マル様、あれの出荷予定はいつですか。怠慢な序列第三位からはまだ連絡がきませんが……乞う連絡)を口に含みながらこの文章をものしているが、そうした私が実感として感じ始めたのが、純米系の生原酒の出荷が、各蔵早まる傾向にあるということである。
 (御世栄のように、通常、一発目の仕込みが純米どぶろくのような特殊な場合を除いて)多くの蔵の場合、はじめに仕込むのは普通酒の場合が多い。仕込みが始まる10月末〜11月上旬は、特定名称を仕込むにはまだ気温が安定して低くはないし、その年の米の状態を発酵の経過を見て判断したいとか、いろいろ理由はある。しかしながら、しぼりたて生原酒は季節商品、冷蔵保存が原則のため、多くの酒販店において、一定以上の棚を確保できない以上、ともかく早めに出荷し、棚割りを確保する方が、販売面では有利である。
 そのあたりのバランスで、初冬は本醸造の生原酒が多かったのであるが、他の事情のウエイトが大きくなってきた。それは、商品の現金化の要素である。ほとんどの蔵は、仕込む米を買う場合、借金をして購入する。また、蔵人へ給料を支払わねばならない。臨時出費である。借りたお金は、酒を販売して返すわけであるが、以前はお歳暮などの需要が大きかった。しかし、お歳暮の需要はかなり減り、さらに日本酒のマーケットも縮小の一途をたどっている。そうした状況のもと、きちんとしぼりたて原酒を売る必要が出てきた。当然、市場への供給が増える。そうなると、選択の余地が増え、当然「ただのしぼりたて」では、市場では通用しなくなってくる。とすると、「高品質のしぼりたて」か、「お買い得のしぼりたて」を出す必要が生じる。どちらの道を選ぶかは蔵の判断によるが、前者の場合を取る事例が多いようだ。後者の場合を取る場合、その理由は、しぼりたては、火入れ処理他の面倒な作業が軽減できるということにもあるらしい。
 かくして、純米のしぼりたてが増えたのでは、と私は推測する。
 しぼりたてが、純米中心になるのは好ましい傾向だと思うが、そうした状況にある蔵のこともかんがみて、よりよく熟成した、高価格帯の商品をこの年末の機会に手を伸ばしていただきたい、なに、外で一合に満たない量の銚子を思わず並べてしまったとか、飲酒運転で一回パクられたと思えば、安いものである。選挙でのあなたの一票は、政治を変えることはほとんどないが、飲酒活動でのあなたの購入する一本は、業界を救うことになる。
 
 
【無添加ワインは、添加ワインより安全か? その1】
                (2006年11月3日)
 
 以前、無添加ワインについて少し触れた(6年9月15日の記事参照)。この記事を書いた後に、少しく無添加加熱ワインは熟成ワインに比較して味わいに欠けるが、やはり健康には良いのではという(困ったちゃんからの)反論があった。こちらは忙しいので、いろいろやっかいなことに首をつっこみたくなく、放置プレイを決め込もうと思っていたのだが、せっかくの機会であるので、これまで触れなかった業界タブーにからむ話を兼ねて論じたいと重う。
 まずはこのことを論じるきっかけのお話から。過日、岩手の某メーカーの東京営業所を訪れ、いろいろお話をうかがったのだが、その際に、I氏に「遠方よりいらしていただきましたので、せっかくですから何か1本よろしければ、いかがですか」とご厚意でいっていただき、倉庫を徘徊して、(転がっていた大吟などは無視して)興味をいだいてお願いしたのが「あさ開純米料理酒」である(おっと会社名を明らかにしてしまった)。せっかくいただいたのであるが、実はまだ使用していない(療養中の東大路老師に使ってもらおうとした所、「せっかくですので、まずは大根が甘くなってから焚き物にまず」と言われ、封印中。近く、記事にしていただく予定)。しかし、この商品をいただいた後に、あることについて気になり、メールでI氏に問い合わせた。それは、ウレタン(カルバミン酸エチル)のことである。
 ウレタンについて一般に正面から述べるのは、かつては醸造界のタブーの一つであった(私もこれまで触れることがなかったのも、そうした事情からである)。また、勉強不足の若手醸造家の方は何も問題意識を持っていなかったりする(特にどこかの大学を出た方とか……。しかし全く知らない場合もあるのは一寸びっくり)。しかしながら、業界のタブーに触れるのが、私の存在意義であると信じるので、せっかくの機会であるから以下述べよう。
 ウレタンの問題点については、穂積忠彦先生の名著『新編 日本酒のすべてが分かる「本」』(1995年、健友館)の62頁からその概要が述べられているが、まずはかの名著を引用しながら概要を述べたい。
 同書によると、
  酒類中にあってはならぬ、あっては困る物質のひとつに発癌物質がある。いまにわかにそんな物質として浮上してきたものが、実験動物で発癌性が確証されたカルバミン酸エチル(ウレタン)である。このウレタンは酒類の本質的主成分であるエチルアルコールが製造過程中に尿素と結合してごく微量ではあるが自然に作り出されてしまうのだから始末が悪い」
 とする。ウレタンは醸造物として日本酒、醤油製品に特に含有量が高いことが知られている(その理由については後述)が、この許容水準他については、タイプするのが面倒くさいので同書を参照されたい。
 当時、手作りビールによって糖尿病を克服された(!)穂積先生は、
  ちなみに、私の体重は72s、したがって、ウレタンの一日の摂取許容量は21.6マイクログロムとなる。ウレタン100ppbの清酒では100_g中に10マイクロクロムのウレタンが含まれる。大酒家の私は一日平均、清酒500_gを飲むから、毎日50マイクログラムのウレタンを摂取しているだろう。過去四十年の飲酒量をふりかえれば、すでに何十回となく癌にかかっても不思議はないこととなる。あまり気にしていたら酒を楽しむことはできない。
と述べておられる。私も同感であった。いちいち発癌性物質など気にしては酒を飲んではいられない。発癌率が、十年内に交通事故に遭う期待値よりも低いとされる水道水中のトリハロメタンに対して、過剰反応を起こして拒絶反応を起こすようなものだ(余談ながら私は、体内に取り入れる水分は地下水と浄水器+蝶々を基本としている)。気になるならば、抗癌に効果があると思われる食品を、同時にバランス良く取ればよいだけのことである。なお、余談であるが、多少年老いたとはいえ、日本酒500_gで大酒家とは、穂積先生、笑わせると思う方に。同書86頁に、
これからは私の体験談だが、私は、毎日、500_g程度の、アルコール分8%ほどに手造りしたにごりビールを飲んでいる(以下略)。
という記述があることも触れておく(自己申告だけで日々これだけ……)。
 ところで、ウレタンが発癌性物質であるという点について、まだ気にされる方に一応。穂積先生は平成9年8月14日、癌との闘病の末に他界された。(この項 続く)
 
【無添加ワインは、添加ワインより安全か? その2】
              (11月3日記、更新は16日)
 
 さて、前回の続きである。無添加ワインは、流通段階での劣化を防ぐために、大体のものが加熱処理されている(最近はフィルター濾過によって酵母を取り除いている無添加ワインもあるが、味わいでいえば火入れ処理のものよりさらに劣ると思われるので、あえて無視する)。この加熱処理を問題としたい。他の醸造酒と比較してウレタンの残存量が日本酒に多い一因は、火入れ処理が行われることによる。火入れ処理により、尿素とエチルアルコールが化学反応を起こしてしまい、ウレタンが増えてしまうのだ。欧米ではワインは基本的に加熱処理しないものなので問題とされていないようだが、加熱処理されたワインは、当然のことながらカルバミン酸エチルの残存量は増えているだろう。
 ワインの無添加を何かの一つ覚えのように売り言葉にして口にする業者は、なぜかウレタンの問題について触れようとしない。その大きな理由は、業者が無知だからである。無知だからこそ、聞きかじった知識で、商品を売るのに都合のよい情報だけを、不正確に誇張して垂れ流している。都合のいい部分だけ、海外の基準と国内の基準を比較したりして、無添加(あるいはオーガニック)の意義を唱える輩が少なからず存在するのはまったくもって困ったモンである。無添加ワインが本当の意味で市民権を持つには、原料処理(火入れ処理の有無他。もちろん、火入れだけを問題にしている訳ではない)をどのようにしたかといった基本情報をラベルに明記することが必要ではなかろうか。
 無添加でオーガニックのワインも確かに存在する。味わいでは同価格帯の通常ワインに(はるかに)劣るものの、ロハスな生き方を追究する消費者に、輸入物を中心に最近人気が出てきている。しかしながら、もしそのようなワインをこだわって求めるのならば、国内産のものを求めるべきではなかろうか。もしロハスな生き方を追究するならば、輸入する過程で大量のエネルギーを消費することを余儀なくされてしまう商品を口にすることが、果たしてただしいのかどうか。国産にも、価格と比較した味わいとしては(私見では)どうかと思うものの、その土地に応じた葡萄を用いた、それなりの商品が生産されているのも事実である。
 ついでに触れておくと、ワインの添加物云々で、いかにも添加物が頭痛の原因になるとか、消費者の「あやふやな知識」に付け込んで、自分が取り扱う無添加とかオーガニックの商品の「健全さ」を喧伝す(ることによって金儲けをしようとしてい)る輩がいるが、そうしたスタンスをとる業者は基本的には相手にしてはいけない。科学的な根拠なく、自らの乏しい体験と思いこみだけで吹聴しているだけであり、そうした輩は、聞きかじりの知識は多少あっても、醸造についての正確な知識を持ち合わせていない輩が多い(先日、そうした輩が書いた、ものすごい出鱈目が書いてある本を見つけたので、機会があれば叩きたい)。無添加ワイン、オーガニックワインは、あくまでも「添加物」という表示を見ただけでアレルギー反応を起こす消費者にとっての一つの選択肢にすぎないのあり、絶対的に「体にやさしい」商品ではないのである。ネット上にも散見される、インチキ業者に騙されてはいけない。
 さて、話をもどそう。某社に問い合わせたところ、某社の純米料理酒の使用酵母は、尿素非生成の協会酵母だそうである。さすがである。精米が低いほど、発酵中に尿素が生成されやすく、故にウレタンの残有量が増えてしまうことも明らかになっており、精米歩合が低いこの商品の場合、料理に酒をふんだんに利用する私としては気にせざろうえなかった。これならば、ウレタンの残有量など気にせずに、思う存分使用することができる。
 
 
【身の丈に応じた商売を】
                (2006年10月20日)
 
 一応、景気はよいことになっているが、飲酒運転に対する風当たりが厳しくなったことによる影響で、飲食店、そして販売金額の飲食店に対するウエイトが大きい酒販店は相応に苦戦しているようだ。まあ、飲食店の場合、飲酒運転の取り締まりが厳しくなったことによる影響が大きかったならば、それは客の飲酒運転を事実上黙認していたことになり、店側が大いに反省すべきであることは論を待たない。
 現在の所出ている統計では、酒類の出荷量がそれなりに減少しているようだ。このことがどのようにこれから影響してくるか。いろいろ考えられるが、以下、かなりの極論であるが前向きに考えてみよう。外で飲む機会が少なくなるということは、客側にはその分だけ余剰金が生じる。そのお金がどこに流れるか。酒類の購入費にその余剰金のうち、一定金額まわるようならば、酒販店にとって一つのチャンスが生じる。酒類の購入予算が増えるのならば、それだけ品質の高い商品、換言すれば付加価値の高い商品(もちろん、本論ではプレミア価格の商品を指している訳ではない)を買ってもらえる可能性が高くなる。販売数量は落ちても、酒販店の努力に応じて、販売金額、そして利益率が高くなる可能性はある。そこで必要なのは、商品知識である。この商品知識は、能書き、蘊蓄を意味しない。自店で選択した結果、納得して扱っている商品を、どれだけ、個別の嗜好に応じて客側に伝えられるかを意味する。つまり、ただ単に銘柄コレクターとして、世間で流れる「操作された情報」に左右されるのではなく、自らが商品に対する価値観を生みだし、それを伝えられるかという能力が必要なのである。そうして、お客さんの支持を得られたならばしめたモンである。コスト削減のために冷凍食品などを多用した、どちらかといえば刺激の強い味をつまみながら、封を切ってからどれだけ経過したかわからない、風味がかなり変わってしまっている今話題の酒を、味わいがわからぬようキンキンに冷やして提供することを「サービス」と心がける(全てのではないが)多くの飲食店に、酒のみでいえば原価の倍をはるかに越す高い金を払うよりも、自分で納得のいく商品を、温度をいろいろ変えてこだわりのつまみで飲(や)る方が、はるかに懐に優しく、楽しいことを消費者は覚えるだろう。外で普通に一升2500円くらいまでの地酒を飲むと、大体一升換算で8000円くらいはとられる。それならば、自宅で一升3000円位の、普段一寸手が出ない酒を、外で飲んだつもりで気軽に楽しむ方がはるかにコストパフォーマンスに優れる。そうすることによって、付加価値の高い商品がきちんと売れるようになれば、日本酒業界としても歓迎すべきことであろう。
 他方、飲食店側は、提供する方法その他に問題があったのか、真剣に考えるべきだ。飲食店における価格は、サービスの代価である。サービスに納得がいくからこそ、お客さんは(一応)ついてくるのである。そもそも飲食店は、酒を提供するのではなく、食べ物を提供することをメインに考えなければ行けない。自分が精一杯のものをつくり、提供する。そうしたものの味わいを引き立てる様な酒を、ビールにしろ日本酒にしろ焼酎にしろ選ぶことが肝要だ。利益率がいいという金額的な条件がいい(主にビールの場合)とか、ただ知名度がある(日本酒、焼酎)とかいう理由だけで、理念なく世の中の流行の酒を追っかけることを商品の選択の基準にしている店はあまりにも多くないだろうか。そうした店は飲食店として軽蔑に値する。自店で何を提供したいかという理念があれば、そうした商品とは末長い付き合いになるので、提供する商品選びには慎重さを要するようになる。たとえば、日本酒は、提供する水準が高ければ、別に一種類でもかまわない。京都ならば先斗町の「ますだ」の「賀茂鶴」、東京ならば神楽坂の伊勢藤の「白鷹」のように、店の過去の歴史が、他の酒を置くことがもはや許されないレベルまで到達するのが理想であろう。
 何も考えずにあれこれ流行の酒をそろえるのが、居酒屋の一つのスタイルとなっているが、そうした店だと、流行に乗らなかった商品は、さっさと取り扱うことをやめてしまう。しかしながら、流行に乗らなかった商品だったとしても、その商品を気に入ってしまうお客さんは多くの場合存在する。たまたま飲んだ酒が気に入り、「あの酒はあそこにいけば飲めるはずだ」と足を運ぶと、もうその酒が無い、という事例は結構存在する。しばらくおいて、再び足を運んだ時にその酒が在庫切れ以外の理由で無かったら、そのお客さんはどう思うだろうか。
 酒販店にしろ、飲食店にしろ、納得のいく商品を仕入れ、その商品を育てるのではなく、ブームだけを追いかけたりしてころころ商品を入れ替える店がかなり多いのは、人間関係が希薄化した現在の日本をある意味象徴しているかもしれない。ただ私は古い唄と古い型の女が好きな、切れがあるのにコクもあるタイプである。今後の違う可能性に期待したい。
 
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 その@】
                 (2006年9月22日〜)
 
 ずっと前、一昨年(2004年)暮に、静岡の酒関連の情報では世界一の内容を誇るHPで知られる清水さんから、当時の新刊でとんでもない記述があることの知らせを受けた。その愚書によれば、
 『しかし、高度経済成長の時代を迎え、灘の地もごたぶんにもれず宅地開発や高速道路の建設が進み、少しずつ宮水の水質も変化するようになってしまいました。そこに、追い打ちをかけるように@阪神大震災(1995年)が発生し、宮水は壊滅的な打撃を受けたのです。
 A現在、宮水のほとんどが使用不能となっており、使われていないのが現状です。しかし、B前記したように灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです。』(番号は鮭野が挿入)
 とのことである。その害書は、蝶谷初男著「うまい日本酒に会いたい! そのために知っておきたい100問100答」(ポプラ社)である。
 名は体をあらわす。単純馬鹿を通り過ぎて、ほ乳類ではない、昆虫レベルの脳味噌しか保有していないと思われる著者のこの記述についてはさすがにあきれ、清水氏には近く、私なりに知っていることをきちんとまとめる、とお伝えしたが、私自身の怠慢さから、この件についてとりあげるのをすっかり忘れていた(すっかり放置してある森伊蔵の件もそろそろお願いします……編集者記)。
 まあ、まともな人ならばこうした記述を真に受けることはないだろうし、と安易に放置していたのであるが、故・穂積忠彦氏の言葉を借りれば、「学問的にも歴史的にも明らかに間違っていても、自分だけの思いこみで、堂々と本になってしまうと、それを読んだ人々はつい本当のことに思ってしまう」「本来ならばあまりの物知らずの馬鹿馬鹿しさに笑い飛ばすか、無視すればよいのだが、ウソも何度か繰り替えされると本当に思う人も出てくる」し、実際、信じてしまう馬鹿もいる。一寸前に読んでびっくりしたのが、Wiki pedia の執筆者がどうも鵜呑みにしているようだ(というか、きちんとした資料に当たってからものを書け、といいたい)。そこで、おくればせながら、私が知っていることを、馬とか鹿といったほ乳類には最低限わかるレベル(蝶谷、いや蝶……といった昆虫レベルの方にはわからないかもしれない)でこれから記したいと思う。
 まずは、宮水について、ごく基本的な認識。その歴史的な経緯について、ネット上で公開されているものとしては、寺岡武彦氏の論考(宮水の沿革@A)がもっとも正確かつ詳しいのでそちらを参照していただきたいが、その論考で触れられていないことも含め、とりあえず以下の3点確認しておきたい。
 
 1 現在の宮水は、第三次宮水地帯に位置する。
 2 宮水は、ごくおおまかにいえば、山手からの3系統の伏流水(戎、馬場町、法安寺伏流水)と、海側からの地下水が、ごくかぎられた一角で出会い、まざりあっている。
 3 宮水は深さ5メートル程度までの浅井戸から採取される。
 
 さて、まずは蝶谷氏の記述について、少し考えればわかること。蝶谷氏は、A「現在、ほとんど使用不能となっており、使われていないのが現状です」と述べておられるが、1平方`に満たないきわめて限定された地域の、帯水層が同一で、しかもその経由がはっきりしている浅井戸で、ごく一部だけが使用可能になっているなど、まずはありえないことは少し考えていただければわかるだろう。同じ一帯で、複数の深さの井戸があり、片方が使えないという事例は結構存在するのだが、宮水の場合、そうした事例とは性格が全くことなるのである。また、@において「阪神大震災において、壊滅的な打撃を受けた」とあるが、これは全くの嘘。たとえば、菊正宗のHPで述べられているように、大震災の際に断水してしまった西宮地区で、奇跡的に影響の無かった宮水が大活躍したことは、いろいろな所で触れられている(この件については、また後で触れたい)。余談であるが、地震からかなり後の、2000年だったか(震災のかなり後)、某所で「軟水と硬水」というテーマで試飲会を行ったときに、「白鷹」のご厚意で当日、わざわざ井戸から汲み上げ、京都まで宮水を運んでいただき、出席者一同、硬水である宮水を飲んで灘の生一本についての理解を深めたことがある。また、B「灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです」としているが、表明しているのではなく、現在も宮水は使っているから、自社製品のうち、特に使用している商品について、必要に応じて表示しているのである。もし私の言うことが嘘だと思うのならば、個別の商品について、蝶谷氏にやって欲しいのだが(もちろん、あとでどうなるかは知らない)。
 ただし、「盗人にも三分の理」という言葉がある。馬や鹿を超越した、昆虫レベルの脳味噌しか持たぬような御仁の発言にも、一厘の理くらいはある場合がまれに存在することは認める必要がある。なぜ、そのような妄説が流布されてしまうことについて、次回から述べたい。
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのA】
 
 阪神の西宮駅を下車し、南の方に歩みを奨めよう。方角的に右手、すなわち西の方向に向かえば、まもなく宮水まつりがある西宮神社があるが、意識して左手、すなわち東の方角に足が向くようにすれば、阪神高速にぶちあたるあたりで、さらに左手に宮水地帯が広がる。
 国道を渡ると、そこは宮水地帯である。大手、中小、さまざまな蔵の宮水井戸がそこかしこに点在する。仕込みのシーズンで、タイミングさえあえば、そうした敷地のそばにタンクローリー車がとまって、怪しげに水を詰め込む作業を見ることが出来るだろう。場合によっては、廃業した蔵の宮水井戸の後が駐車場になっている光景を目にすることになる。そこであなたは、一つの発見をするだろう。「なぜ、このあたりの建物は、高くないのだろう?」
 その理由は、先に述べたことを思い浮かべれば氷解する。宮水は浅井戸から採取される、土台を深く打ち込めば、井戸にすぐに影響が出てしまう。高い建物を建てるために、土台を深く打ち込むことが許されていないのである。廃業した蔵の宮水井戸の跡地が、高層マンションではなく、のきなみ駐車場になっていることも、このことから分かっていただけると思う。さまざまな規制があり、せいぜい二階建て程度の家か、駐車場くらいにしか、現在のところ宮水地帯の土地活用法はないのである。もし宮水が生きていないならば、そうした配慮は不要である。換言すれば、かような現状が宮水が生きていることを意味することに他ならない(昆虫にでもわかるような説明をしましたが、蝶谷さん、もし理解できないのであればメールを下さい)。
 宮水の調査は、第一次大戦後から本格的になされるようになった。大戦後に酒の消費量が激増し、つまりは灘酒の造石高の増加にしたがい、醸造期の末期になると井戸水が枯渇するようになった。また、成分バランスも変化し、過剰吸水の影響で塩素イオンの増加(海からの浸透水の影響)と、有機物の検出(地表に近いため、どうしても生活の影響を受けやすい)などが問題となったのである。余談であるが、現在、宮水は一般の方がふらりと訪れても、まず口にすることは出来ない。それはどうしても浅い井戸水であるため、生活の影響を受けて微量の有機物が検出されやすい傾向にある。生水に対しての保健所の規制もものすごくうるさいため、まず一般の人が生で口にすることは難しいと思われる。そうした背景のもと、宮水保存調査会が1925年に発足(当時はまだ第二次宮水地帯)し、研究が進められた。
 その研究の成果の一つとして、皆さんがああなるほどと納得していただけると思っていただけるのは阪神高速の高架工事である。橋脚の間隔の長さを、宮水への影響を最小限にするために、当時としては一番長い87メートルに設定し、さらに阪神高速が結果として宮水の遮水壁にならぬように基礎を浅くした。西宮付近の倒壊の遠因ともいわれるが、まあ想定以上の地震が発生したからだということにしておく。
 現在、宮水が使用される場合には、ほとんどのところで一応濾鉄処理他が行われているはずである。阪神高速の復旧の際のことはよくしらないが、それよりも上流部で、震災後のどさくさにまぎれて何が行われているかわからないからである。なにもせずに使用すると、上流の水源の、なにかしらの土台で打ち込んだ鉄骨から微量の鉄分が流出しているかもしれず、そうした事例については、あくまでも自衛で臨まなければいけないからである。
 宮水だが、生で飲むとそれなりに味わいがある。ただし、お茶にいれると駄目とのことである。「宮水コーヒー」を出す店があり、その味わいについては賛否両論であるが、安い、日本の水で入れてもまずいとしかいいようのないMJBのコーヒー粉を、宮水を使用して以前コーヒーを入れてみたところ、チープで雑な味のコーヒーが結構まろやかな味わいになったことをここに報告しておこう。
 
追記 この項目は過去に見聞きした知識をもとにものしており、どこからの引用か正直よくわからないのであえて示さないが、そのAからの執筆の際には、以下の書物を特に参考にしたことを付記しておきたい。
 ・『宮水物語』(読売新聞阪神支局編 中外書房 1966年)
 ・「酒の町西宮」(西宮青年会議所広報委員会編 西宮青年会議所 1982年)
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのB】
 
 ところで、どこの馬や鹿を通り越した昆虫が書いたかわからないのでまず信用してはいけない、Wiki pediaにて、「阪神大震災によって壊滅的な打撃を受けた。活断層のずれによって水脈は破壊された」というとんでもない記述をまだ信じている人がいるかもしれないので一言。活断層がずれたことによって、どのように水脈が破壊されたのか、宮水の北川の水脈がどのようなルートをたどっているかちと考えて欲しい。宮水は淺井戸であることも考えれば、水脈が破壊されたならば、地震後にとても使用できなかったはずであろう。地震関連でつけくわえるならば、地下水の水位の異常は、その直前に存在した(このことは未発表と思われる。ラドン濃度の変化については、田阪氏のHPを参照)。さらにだめおしだが、日本醸造協会雑誌の91巻6号に、灘五郷酒造組合で実務にタッチされ、一番身近で状況を把握されていた」とされる山口和彦氏が「阪神・淡路大震災、そして今」という報告にて、次のように記されている。
 このような震災直後の現場において、地域住民に「宮水」をタンクローリーで給水したり、無事に残った蔵を避難所として、近隣の住民に開放した企業があった(393頁)。