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新・辛口批評業界にはこびる乞食ライター諸氏の無断引用禁止 笑)
 
【食中酒の役割 試論〜 鮨で考える】    8月2日 記
 
 前回の更新の後、たまたま講談社の「モウラ」HP内の、友里征耶氏のコーナーで寿司幸本店が取り上げられ、そのコメント欄にて、ちょっと鮨と酒との相性などが話題となっているのを発見した。そのコメント欄にちょっと参戦した都合上、食中酒についての私の独断もとに、鮨と酒との相性について簡単に触れたい。嗜好は人それぞれではあるけれども……。
 
 食中酒としての酒の理想のあり方は、なによりも「料理の味を引き立てる」ことが第一であろう。そして、料理の味を引き立てたうえで、酒の旨味も増すというのが理想的である。
 ところが、しばし「まりあーじゅ」などという気色悪い言葉とともに提案される組み合わせ、私の嗜好からすればとんでもないものが多い。まあ、結婚した新婚の夫婦の場合、ケンカが絶えない事例が多いからそのあたりを狙っているのかもしれないが…。
 
 さて、蕎麦で考えよう。蕎麦の場合は、吟醸系の香りが高かったり、あるいは味のインパクトが強いタイプの酒は、そうした素朴な風味を損ねるような気がする。具体的に言えば、香りの高い吟醸系のものとか、あるいは生系の原酒などがそうだ(余談ではあるが、とある蕎麦通・日本酒通と勘違いされてそうな人の好きそうな、ムレ香、老ね香のするような生原酒は問題外と断じておく)。個人的には、控えめな木香のするタイプの樽酒(樽の菊正とすぐに思う人が多いだろうが、内陸部のもののほうが良い)の燗が一番だと思う(余談だが、樽酒でもないのに木香のするような、技術という概念からほどとおい純米酒は対象にしない)。ただ、蕎麦屋の一品ものはやや調味料の味付けが濃いものが多く、原酒でも、火入れをして一定の熟成を経て、味わいの丸みを帯びたもの(生で寝かして味がだれたのは不可)ならば良いだろう。
 
 ところで鮨である。まずちょっとつまむ(場合の多い)刺身で考えるが、魚介系の刺身を美味しく食べるための食中酒は、ずばり甘口でない燗酒である。一口刺身を食したあと、酒を口にすることで、一度その口の中に残る魚の味を切り、もう一度新鮮な味わいを楽しむことができる。これが生の魚介系を口にいする際の食中酒としての役割である。とすると、甘口の酒は、飲んだ後に甘さの余韻が残るので不可である。酒は内陸のものではなく、海に近い所の酒がよい。私見ではあるが、白身系には個性の強くない淡麗なタイプ(新潟タイプ)が相性が良く、日本海の方の脂ののった赤身系の魚には北陸とかのやや味の乗った酒が、太平洋側のものには土佐鶴などの土佐の辛口酒、瀬戸内の小味のある魚には賀茂鶴とか、梅錦などの芳醇なタイプが私の好みであるし、無難な選択であろう(そうした酒の相性をまったく理解していない特異な味覚の持ち主の輩が、酒の知識やレパートリーが不足しているからか、マグロには「秋鹿」とか言ったりする。困ったモンである)。 現実的には、違う種類の刺身にあわせて、いちいち酒を変えるのは現実的ではないので、まあ以上に挙げたタイプの酒を、燗酒で楽しむのが現実的であろう。
 次善の策としては、冷や酒(冷酒ではない。為念)で、吟醸香のなるべくしないものを選びたい。味覚はある程度香りに引っ張られるが(鼻が詰まっているとき、味があまりわからないのは、皆さん経験しているだろう)、吟醸香は生の魚、そして刺身をつける醤油の香りとは相性があまり良くないと思う。また、生酒は魚の生臭さを強く引き出すことが多い(濾過をかけているものはその限りではないが)ので、好ましくない。
 ワインではあるが、赤ワインなどは、喉を過ぎた後も渋味とかが口の中に一定以上残るので、相性でいえば個人的には???である。白ワインの場合も、吟醸酒の場合と同様、ワインの香りとの相性で基本的に不可と考える。
 焼酎の場合は、常圧蒸留系の米や麦のお湯割りならば許容範囲。
 
 ところで、握りであるが、鮨の味わいを最大限に味わおうとするならば、ずばりやや熱めのお茶が最善。次善の策としては、燗酒になる。冷酒は追求すると、好ましくない。これには理由がある。
 熱めのお茶にしろ、燗酒にしろ、これは魚の脂を舌から洗い流す働きがある。皆さんご存じの通り、魚の脂は不飽和脂肪酸であり、合間に飲むものの温度が一定以上ある方が、より洗い流せるのである。刺身にも燗酒、焼酎の場合はお湯割りとした理由はここにもある。
 握りに冷酒は好ましくないとしたが、これは握りの酢飯との関係である。タネと酢飯の味が調和しているとはいえ、酢飯と冷酒、あわせてみると、冷酒の方の味わいは損なわれているのではなかろうか。わかりやすくいえば、酢飯をつまみに冷酒を飲んでも美味しくないだろう。その延長でいえば、酢飯と一緒にワインを飲んで、ワインを美味しいと思うだろうか。味覚には個人差があるが、ワイン経験の乏しい私には大いに抵抗のある所である。
 
 まあ味覚は、それまでどのような食生活を送ってきたかということに大きく左右されるので、一概にこれが正しいと決めつけることは出来ない。ただ、一般に言われている事に対して、疑問があった方には参考になるかも知れぬと思い、私見をちょっと開陳した次第。
 
 
【香り系大吟醸批判 への批判】       7月21日 記
 
 日本酒不振が叫ばれて久しく、かなり深刻な状況に陥っている今日である。その最大の要因は、私見では団塊の世代より年齢層が上の、一日四合以上(主に普通酒であるが)清酒を消費する大量飲酒層が、(ドクターストップなどの要因により)急速に日本酒を飲まなくなってきていることに加え、現在の若者がほとんど日本酒を飲まなくなってきていることにあると思う。それぞれの年齢層の人口などを考えれば一目瞭然であり、消費の落ち込みを一定レベルでくいとめたいのならば、日本酒を普段飲まない若手に、特定名称酒を中心にどれだけ効果的に普及するかが目下のところ、緊急の課題だと思うのであるが、どうも業界関係者の多くは、頭が固いのか足りないのか、そのあたりが良く分かっていないようである。
 そうした現状を正確に把握せずに、不振の責任の一因をなすりつけられているのが、大吟醸酒である。
 平成になり、セルレニン耐性酵母の開発(戦後の酒造史において、月桂冠の最大の業績の一つと考える)によりカプロン酸エチルの芳香高い酒が、鑑評会での好成績もあり、大流行した。
 そうした酒に対する批判として、芳香成分があまりにも高いために、飲み疲れしやすく、食中酒としても合わないという批判がされることが多い(最近、フルネットの企画で、地元でもかなり前から河村離れがささやかれている河村伝兵衛チェンチェイが同じようなことを話していたらしいが、静岡酵母の吟醸って食中酒で美味しいのかなあ。関連することは後述)。そして、例えば十四代のブームあたりから一時期トレンドになった、香味のボリュームがあるタイプを絶賛していた(自分の味覚よりもトレンド、ブームに敏感な)酒販店やらきき酒師やら、乞食ライターやらの連中が掌を返したように同じようなことをつぶやきだしている昨今である。
 では、香りぷんぷん系統の大吟醸が日本酒離れを呼び、日本酒消費にブレーキをかけたのだろうか。はっきり言おう。それは否である。
 少し考えればわかるが、市場に流通する大吟醸酒のすべてが、カプロン酸高生成の酵母で醸されていた訳ではない。一定以上の比率を占めるようになったのは確かなのではあるが、そうした酵母の大吟醸が、飲み疲れをするし、食中にも合わないと思った人は、無理にそうした大吟を選ばずに、従来型の9号や、10号酵母等で仕込まれた大吟醸を飲み続けたはずである。(流通段階での貯蔵管理がきちんとしていれば)むしろ入門酒として、一定の貢献を果たしたのではないかと思うのは私の勘違いであろうか。
 また、食中酒云々という批判に対してであるが、
 
そもそも大吟醸酒は、食中酒なのだろうか。
 
と疑念を提示しておきたい。そもそも大吟醸酒は酒造技術を競う酒であり、いうなれば観賞用の酒だろう。食事と無理に合わせる必要がないと思うのだが。むしろ、食前酒としてかるく一杯、ゆたかな香りを楽しむくらいがちょうどいいと思うのであるが。その延長でいえば、ちょっとした梅酒ブームで、多くの日本酒メーカーがせっせと日本酒ベースの梅酒を市場に出しているが、市場規模がすでに限界点にまで到達し、近く大量の売れ残りに頭をなやまされそうな梅酒をせっせと造るよりも、食前酒として大吟醸酒をどうですかという提案をなぜしないのか私には疑問である。
 
 日本酒の不振の要因、冒頭に掲げた私見以外で、あえていうならば、乞食ライターを中心とした、日本酒に関して情報を発信する皆さんの味覚が、どうもいかがわしいことによるような気もする。喫煙の合間にきき酒をしてコメントを述べたり、普段日本酒は飲んでいないようなのに「日本酒業界の救世主」とか自称しているソムリエ系の問題外の連中も多い(与太話であるが、某有名蔵の吟醸に、京都のちょっと知られたソムリエの人が、「この酒は醸造アルコールの甘さを感じるのが気になる」とか意味不明の感想を述べたという話もある。ソムリエは異常味覚者集団なのであろうか 苦笑)が、その最たる例が、せっかく雑味が少なくなるように磨かれた米で仕込まれ、その一部として、主目的は換金用に出荷される生原酒をあえて常温で放置し、味をダレさせ、ムレ香、生老ね香がでたものを「本物の味わい」と賞賛している輩(あえて実名はあげないが、皆さんわかりますね)と思うが、いかがであろう。
 
 と、軽く悪態をついたところで、次回は食中酒の考え方を軽く述べたい。
 
 
【バックナンバー】
 
【租特措置法はとりあえず乗り越えたが…まだまだ続く業界の危機】                   4月10日 記
 
 昨年11月末に、中小蔵の危機について触れた。その時に取り上げた租税特別措置法の、清酒などに関する税率の特例については、暫定的な延長が国会の会期ぎりぎりで決められ、酒類関係の件については民主党も基本的に、特例措置について賛成であるから、まあ何らかの形でしばらく延長するだろう。ただし、本当に減免処理が必要なのかどうか、議論が必要なのはいうまでもない。この件については、時期を見て論じ直したいと思うが、現在、清酒業界が置かれている危機的状況は、この問題以外でも加速している。以下、いくつか考察することにする。
 まずは原料米である。スーパーの店頭などで見る米の価格は、サブプライムに付随する他の食品の値上げの影響からか、下落に歯止めがかかったという印象を受けるが、酒造好適米は、むしろ価格が上がる状況下にある。
 酒造好適米、気象の影響を受けやすかったり、反収を求めにくいなどさまざまな理由で農家があまりつくりたがらないし、さらに気象の影響を受けやすいし、昔から酒米を生産していた生産者が、高齢化して生産を止めるということもある。また、購入申し込みをしていたにもかかわらず、諸事情により突然キャンセルする蔵とかも最近は続出しており、そうしたことからか生産することに対する不安もあるようだ。他の酒類と比較すると、原料にかかるコストの比率が大きいのが日本酒である。
 米でいえば、米自体の品質が年々落ちている。これは温暖化の影響による高温障害によるものであり、栽培技術だけでは補えない大きな要素である。ある名醸蔵の酒の味が量産の影響からか落ちたとか、よく知ったかぶりの雀どもが口にするが、数量とかの影響(量産で味が落ちるという現象は、近年の場合は消費量の落ち込みで在庫が増えて、濾過がややきつくなるとかの要因の方が大きいのではなかろうか)よりも、原料米の品質の影響の方が大きいと思われる事例が多い。
 ともあれ、需給バランスでいえば、米余りといわれながら、好適米についてはむしろ不足する傾向にあるのが今日この頃である。必然、価格に反映する。 また、最近の原油高による諸々のコストの上昇も見逃せない。自社で精米機を持っていないところは、委託して精米することになるが、米のように重量のあるものは輸送コストもかかるし、さらに精米歩合を上げることは、それだけ精米機を、エネルギーを費やして稼働させることになる。必然、コストも上昇する。自社精米の場合でも、精米機、そろそろ耐用年数を過ぎている所がかなり多いはずだ。この手の機械、コンピューターの部分その他がいかれてしまうと、あまりにも古いために換えの部品が無かったりして(わかりやすくいえば、今の時代にPCー9801とかを使っているようなモノ)、どうにも手の打ちようがなくなったりする。
 原油関係の話でいえば、米を蒸す場合にも、燃料は必要である。原油価格がこれだけ高騰すれば、必然的にそのコストも増える。
 原油関係で、あまり触れられてはいないが、醸造アルコールの価格の問題もある。バイオエタノールに注目があつまり、それに付加価値が付くことで、必然的に醸造アルコールの価格も上昇する。これは経済酒への影響が大きい。
 という状況をかんがみれば、日本酒は値上げの一巡したビール以上に、値上げが必要なのだが、消費の減衰トレンドが継続する以上、(九州の一部のメーカーが値上げを決定したものの)なかかか口に出せない。
 ところで、読者の皆さんは、今の私たちは、二昔前と比較すると、とてつもなく好条件で高品質の酒を飲めることに気が付いているだろうか?
 亡き穂積忠彦先生が編集に携わった日本酒辞典の初版とかをつらつら眺めると、当時(20年くらい前)の贈答用の大吟は、精米50%のものがほとんどであった。当時の相場でいえば、山田50%の大吟で、一升5000円がまあ当たり前。山田50で、一升一万円する大吟も散見される。まあ、山田の栽培地が今ほど広がっていなかったり、価格も異なるとはいえ、今の価格が適性なのか、ちょっと考えてみる必要があろう。
 親しい所だと、特級酒の白鷹の極上が、当時は精米58%で、一升5000円。今は一時期ほ比べてちょっと精米歩合が落ちているが、現在の白鷹の超特選が、同じ生もとで仕込んで、一升約3000円。米は吉川町の山田で変わりない。そうした状況、ちょっとおかしいとは思いませんか。
 この現状を作り出した大きな要因の一つが、実は租特措置法であり、機を変えて論じたい。ところで、日本酒の消費が減っている各メーカーの現状は、洗面器に水を張って、そこに一斉に顔をつけて、一定数が苦しくて顔を上げるのを待っているようなものであろう。それが異常なまでに続いているという感がする。そして、私が何よりも懸念しているのが、気が付いたらば、皆さんが洗面器に顔を埋めたまま気を失っているのではないかと。
 ということで、いろいろ思うのだが、とりあえず私から読者の皆さんに提案。酒販店の皆さんも、是非営業トークで使ってください。
 
 外で飲むと思って、自宅でちょっといいお酒を月に一度、飲みませんか。外では、原価の3倍くらいの価格で、いつ封を切ったかわからない、劣化しきった酒をキンキンに冷やして飲まされる訳です。さらに地酒バーとか、多くの場合、訳のわからないところに行くと、知ったかぶりのいい加減な蘊蓄とかをきかされてぼったくられる訳ですから。地酒バーとかに行くならば、仲間であつまって、吟醸酒他を数本集めて丁寧に鑑賞する方が、よっぽど楽しめますよ。外で正一合、特別純米とかを飲むと650〜700円。大吟ならば、4合2500円でも、1合換算で625円です。それで、ちょっといい豆腐とかをつまみながら飲む方が、酒の楽しみ方としては有意義ではないでしょうか。
 
 そういえば、昨日放映のNHKのスタジオパークからこんにちわでは、片岡鶴太郎さんが出演し、ナイトキャップにワイングラスで、大吟醸を楽しむということをおっしゃっていたらしい(同じ事を昔からしたりしているが、私は鶴太郎氏と同一人物ではない。為念)のだが、「優雅な吟醸酒の楽しみ方」とかの普及を、もう少し業界として試みる必要があったのではなかろうか。
 業界に対して苦言をあえて呈すと、「負け組は、いくら頑張っても負け組の発想しか思いつかないし、長期的にはまず成功しない。勝ち組になろうとするならば、現象の本質を認識した上で、ブームの初動段階で効果的な仕掛けを行うこと。それは、数少ない成功体験に追随することではなく、成功した現象の本質をつきつめたうえで、需要の拡大に努めること」である。梅酒ブームに便乗しようとして、見事に在庫の山を抱える蔵の経営者の人には、きちんと認識して欲しい。
 
 
 
【付け香についての為になるお話 その1】  2月14日〜記
 
 去年、あることを再び調べていて、ちょっとインターネットで検索を掛けていたところ、あるブログを発見した。ちろりちょこ氏による日本酒復権への第一歩」というタイトルのブログである。このブログの記事、半端な内容ではない。今後の日本酒がどうあるべきかという(青臭い青年の主張レベルの)主張はいろいろネット上で見うけられるが、ちろり氏は私も未見の多くの一時資料などにも丹念にあたっておられ、自らの豊富な経験にも基づいて議論を展開していて、非常に勉強になる。ろくに酒の勉強をしていない酒販店主やきき酒師、節操という概念が無さそうな知ったかぶりの酒のライターや漫画家、そして勘違いすることはなはだしい頭の足りなさそうな大学教授がネット上で垂れ流している下らない文章や万巻の愚書を読むよりも、氏のブログを熟読する方が勉強になると思われる。ここに強く推奨しておきたい。
 ただし、読者の皆さんがちろり氏の主張を盲信してしまうといささかまずい点についてここで指摘しておく。ちろり氏は蒸米にこだわりすぎるあまり、その議論において秋山裕一氏や山田正一氏がかなり悪者になってしまっている。戦後のある時期から、きちんと米を蒸すことがないがしろにされてしまった(秋山氏提唱の短期蒸米理論)のは事実であるが、戦後の酒造史を振り返れば、秋山、山田両氏が華々しく活躍された時期は、旨い酒を醸すことよりも(何せ当時は三増酒が主流)安全醸造が第一であり、旨い、不味いというよりも商品としてきちんと売れる酒を造ることが至上命題であった。生化学的な研究が進むことによって、安全かつ安定した酒質が期待出来るようになった(その最たる一例を挙げればキラー酵母の解明。)のは事実であり、両氏を代表とする研究者の諸先生方が酒の業界に大きく貢献されたことはいうまでもない。ちろり氏のブログは「蒸米」の重要性を伝えたいがあまりに、秋山、山田両氏をその業績をきちんと評価していながらも、蒸米の重要性を重視しておられなかった点をふまえてどちらかといえばネガティブに記述し、善・悪の二項対立の図式を強調しすぎているきらいがある(一部、ちろり氏から私信でいただいたメールの表現を使いました)が、読者の皆さんはそのあたりのことをふまえて読んで欲しい。酵母、酵素の研究がここまで進んだ上で、「究極の日本酒」を目指す上で、あえてもう一度、原点にたちもどり原料処理、特に蒸米の重要性を考え直す必要性がある、という文脈で読めば、底抜けに(徒然亭小草若風)有益な記事が多い。
 と、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に。
 ちろり氏のサイトを通読していると、「ヤコマン」が話題となっていた。ヤコマンについては、ちろり氏は山田先生の特別講演を紹介されていたが、ヤコマンの歴史背景を知るにはちょっとこれだけでは問題がある。そこで、久しぶりに本気を出して(ということはいつもは手抜きなんですね……編集者注)、あまり知られていないヤコマンの背景について次回語りたいと思う。
 
(おまけ)ヤコマンが、なぜかアル添よりネガティブに捉えられている状況、以前ある掲示板に投稿した記憶があるが個人的にはよくわからない。醸造用アルコールの添加は「異物を添加」するのであるが、付け香の場合は、(守られているかどうかは別として)原則としては「元に戻す」訳であって、生理的にはアル添よりも受け入れられやすいと思うが。さらに余談だが、下手な付け香は分かるが、上手に処理された場合は、条件が整わない限りきき分けは私レベルでもかなり困難である(鑑定官でもだまされたのでE/A比などを昔は調べた訳だが)。たとえばひやおろしとかで付け香などが分かった時に、「お、演出優れているな」とにやりとする位が大人の対応だと思う。あと、付け加えていえば、よく酒屋さんを中心とした知ったかぶりの人たちが「あれは付け香、これは付け香」とか言っている場合、かなり間違いが多い。付け香していない酒を自分の知識不足で「付け香」と断じている有力酒販店も存在するが、止めて欲しいもんである。まあ例えばある業者の甲信越地方の販売極秘リストとかを持ってあれこれ言うのならば別なのだが、と余計なことを書くと夜道で刺されそうなのでこのくらいにしておく。
 
【付け香についての為になるお話 その2】
 
 さて、本題の付け香(ヤコマン)についてである。ヤコマンについては、いろいろな本で語られ、ネット上でもいろいろな記事が見受けられるが、ある研究ノートについてコメントされている事例は管見の限り見受けられない。今回はその研究ノートの紹介である。
 
 その研究ノートは、日本醸造協会雑誌第61巻3号に掲載された、「合成清酒の香気増強について」(菰田快、山田正一)である。以下、このノートをもとに内容をまとめる(以下、引用箇所は基本的に青字で表記)。
 まず、冒頭。
 「近年、合成清酒の品質は次第に改良されて、良好の製品が一般にみられるようになった。しかしどうしても合成清酒に欠けているものは清酒がもつような芳香な香りであるといわれている。清酒の香りそのものが非常に複雑で分離が困難であったためそれらを取り出し、または合成清酒の香気として応用することもむずかしい問題であった」。
 この当時(昭和41年頃)の時代背景を考えよう。経済成長につれて、日本酒の消費量が右肩上がりであり、他方合成清酒は、昭和35年は13万7千キロリットルまでその生産量が伸長したものの、昭和40年には7万4千キロリットルまで消費が落ち込んできた(余談だが、昭和末〜平成にかけて、2万キロリットルまで消費が落ち込んだ合成清酒が、現在は6万キロリットル強まで生産量が戻ってきている)。数量はかなり落ち込み、その分以上に清酒が伸長しているので、酒税的には問題はなかったが、別に消費志向が本物志向に移行していた訳ではなく(当時の清酒はほぼすべてが三増タイプの酒)、まあいろいろな事情があったはずである。一定以上の情報が手に入る現在の消費者の視点からすれば、「偽物は淘汰されてもやむなし」と思うかもしれないが、時代には時代の事情があった。合成清酒であれ、品質の維持、向上への一定の努力は、酒税対象商品である以上、必要であった。
 続いて、「これまでに、飯田、東等(注、飯田茂次、東恒人氏)は清酒の香気成分として知られた諸物質及びその存在が推定される化合物を合成清酒に添加して香気を検したが満足すべき結果を得ていない。最近山本(注 山本淳氏)は清酒中より検出したロイシン酸エチルやα−ケト酸類のエチルエステルを合成清酒に添加して自然感のある清酒様芳香を付与することができたと報告している」。
 まあ当時としては必死であったわけである。そこで、
 「筆者らは清酒もろみ高泡の芳香を捕集する目的で行なった発酵ガスからの香気捕集法により極めて高い芳香を持つ香気液を得ることが出来た。この方法によると、清酒香気の各成分を単一に分離して取り出すことなく、これまで大気中に放棄していた清酒香気を総合的に捕集するため、自然感のある極めて濃厚な香気液を得ることができ、これを微量清酒または合成清酒に添加することにより芳香な香りをもつ製品を造ることができた。特に合成清酒はさきにも述べたように香気が少ないことが欠点とされていることから、本香気液の添加による品質改良について試験を行なった」とある。そして普通清酒もろみを使用して、試験を行うのであるが、この項目は省略しておこう。なお、この香気捕集法は、ビールやワインなどの発酵工程においても試験されていたことは、当時の農芸化学会誌にその成果が投稿されていた(と記憶している)。
 そして、結論及び考察として、
 「市販合成清酒に清酒もろみより捕集した香気液を添加した場合、明らかに品質の向上が認められることがわかった」としたうえで、その考察を述べたうえで、「なお本補修装置は実験的に簡単なものを使用したが、筆者らは目下高能率の補修装置の製作を検討中である」としている。
 まあ、要するに、ヤコマンは誕生当初は、技術として、総合的には品質的には商品として成立しないようなものを商品として成立させるための画期的な技術であったということになる。そうした後ろめたさがあり、さらに鑑評会出品酒におけるヤコマン使用などの問題もあって、アル添より負の評価を与えられているのが現状である。
 ただ、読者の皆さんには、この引用の「これまで大気中に放棄していた清酒香気」ということに留意していただきたい。無駄なく再利用、と、米とは異物の添加、どちらに軍配を挙げるか……。(実は自分のところでやっていながら)アル添を認めて付け香を否定する、という一定数以上の蔵のスタンス、おかしいのではなかろうか。個人的には、感覚が麻痺しているとしか思われない。 ついでながら改めて私の見解を記すならば、アル添を技術として認めるならば、文化的背景をふまえて最低綱領(この表現は吉本隆明風ですね)として米アルコールを使用すべき、そしてアル添ならばその必然性を示現する水準の商品を提供すべき、ということになる。それならば、単に純米を売りにして、杉樽貯蔵でもないのに杉のような香りがぷんぷんする、米の無駄遣いとしか思えない技術とは無縁の純米酒よりも評価したいということになるが。
 次回は、ついでに柱焼酎についての蘊蓄も改めて少しまとめようと思う。アル添肯定派(こちらは圧倒的に多いですね)、否定派(これは通称「アル中先生」こと、知ったかぶりとしか思えない上原浩氏の論点は本当にひどいとおもいますが)どちらも、私レベルの文化人の視点からすればとんでもない低次元での議論をやっていることを示せたらと思う。
 
【付け香についての為になるお話 その3】
 
 さて、柱焼酎である。アル添の起源を柱焼酎に求める説明は多い。そして童蒙酒造記の記事を引いて説明されることがあるのであるが、まず改めてその記事を確認しよう。
 
 根拠となる記事は、「童蒙酒造記」巻三「伊丹流之事」にある
 
「醤酎(焼酎)を薄く取り、揚(上槽)前五三日前に一割程●(左が酉で右が「立」の下に「口」、もろみのこと)の中に入る也。依之、風味洒(しゃん)として足強く候。醤酎香は●(もろみ)に除く也」。
 
である。この記事をもとに、いろいろと発言される方が多いのだが、気を付けなければいけないのが、ほとんどすべての人が、引用される「童蒙酒造記」のこの箇所だけを読んで、さらにその説明を読んで分かったつもりになって言いたい放題言っているのである。では、解説しよう。
 「足強く」という表現、これがまず誤解を招いているが、「童蒙酒造記」巻一「酒言葉之事」に、「酒の足とハ、酒の性の事なり」とある。この酒の性とは、酒の貯蔵性のことである。「足強し」とあれば、腐りにくい、「足弱し」とあれば腐りやすいことを意味する訳であり、それ以上の意味はない。「足弱き」酒が良くない酒であったとは必ずしも言えない。片白の酒や小米酒などは確かに「足弱き酒」であり、諸白の寒仕込みの辛口の酒は「足強き酒」であり、諸白でも甘口は「足弱き酒」であったが、当時は甘い酒であるからといって、商品価値が低いわけではなかった。「風味洒(しゃん)として」云々というのは、ただ「味わいがさっぱりして、貯蔵性が高くなる」ということなだけであり、品質が向上したという見方は意図的な誤認である。
 また、「灘の酒用語集」(灘酒研究会)の柱焼酎の項目を読んでみよう。「灘では明治初期までもろみの末期や槽掛けして新酒を入口桶に受ける時に焼酎を添加混合した。また囲い桶の殺菌を兼ねて桶の内面・底に焼酎を散布したこともある。清酒に焼酎を加えた量は文献によれば1%程度で、特例として貯蔵中に火落ちし第二回目の火入れ(二つ火)を行う場合に清酒量の17%に当たる焼酎を入れた記録がある」。
 この後半部であるが、要は貯蔵中に火落ちして痛んでしまった酒を、矯正して商品とする為に柱焼酎を添加した訳であり、矯正して商品とするという考え方としては、合成清酒に対する付け香と次元は変わらないだろう。そもそも現在のアル添酒が主流となるきっかけのひとつは戦後に起きた大腐造の際の救済処理であった訳であるし。
 ところで「腐造」という言葉、現在では発酵途中の醪の異常と、貯蔵中の火落ちの両方の意味で混用しているが、本来ならば前者を腐造、後者を腐敗と使い分ける必要があるだろう。もし使い分けた場合は、江戸時代の柱焼酎というのは、その効用は後者の腐敗防止に有益ということである。
 さらに余談であるが、上原浩氏は「純米酒を極める」(光文社新書)にて、「柱焼酎=アル添の詭弁」として、「腐造」という言葉を、もろみの酸敗などというニュアンスの意味で言葉を使う文脈で、
 
 ・(童蒙酒造記の)「足強く」というのは、腐造しにくくなることを表しているが、前述の通り、安全醸造の進歩とともにこの効用の意味はなくなった。
 
としているが、どうも上原氏、醸造協会の「清酒入門」や「清酒製造技術」の受け売りから思いこみをまくしたてているようで、きちんと一次資料を読んでいないようだ。詭弁とまで言い切るならば、きちんと一次資料にあたって論じてほしいものである。
 
 結論としては、以上に述べた事実関係から、アル添を是認するならば、付け香も是認するというのが筋であり、付け香を否定するならば、アル添も否定すべきではないかということになる。アル添を積極的に認めようと言う酒造家や消費者は、付け香について肯定的に語る必要があろう。
 私としては、どちらもその効用を「技術」として消極的に認めながらも、やはり「日本酒は純米酒に戻らないといけないと考える」。なるべく、純米系できちんとしたものを選びたい。
 
 
【未納税取引再考 その1】        12月13日〜記
 
 結構前(とはいっても5年くらい経つ。換言すれば、このネタは当時書くつもりだったのだが…)になるが、ある事情で稲垣真美氏の「本物の日本酒選び」1977年 三一書房刊)を読み直した。稲垣氏に対しては、業界で様々な評価があり、その評価は(業界の裏表をそれなりに知る私からすれば)それぞれそれなりに事実に基づいた根拠のあるものであり、ここで詳しくは触れない。ただ、負の評価はともかく、地酒ブームの初期に、ここで取り上げた「本物の地酒選び」や、「ほんものの名酒百選」(三一書房)「ふるさとの名酒と焼酎」(新潮社)の著作で、日本酒の啓蒙にきわめて大きな役割を果たした方(まあ本当の意味での功労者)であることは、ここで一応触れておきたい。
 さて、本題に入るが、ここで触れたいのは同書で取り上げられている、「ある伏見の大手酒造が、全国各地の桶取引先の蔵元へ配布した、昭和五十一年度の酒造要項の指令書」(同書71頁〜)である。この項目では、、大手や中央酒類審議会による、桶買いは大手にとっては未納税取引は非経済になり〔極めて重要な点であるので記憶にとどめられたし。為念〕現在の三千の業者がすべて今後存続することは困難であり、現状を温存するような行政は批判を免れないとの指摘に対して、稲垣氏は桶取引が大手の寡占的高度成長を許し、結果として酒の味が画一化し、まずくなったものが我々に押しつけられたという前提のもと、この資料を取り上げられている。この稲垣氏の(まあ正確には穂積先生の、なのだろうが)歴史観が、地酒ブームの歴史を語る上での前提となっていると思う。(余談であるが、最近、なんか田舎の小さい蔵が、現在の純米酒中心の流れを形成したという誤った歴史観がはこびりだしているので困ったモンである。そうした歴史観を唱える連中、さっさと北朝鮮にでも逝って同国の広報活動にいそしんでいただきたいと思うのは私だけだろうか)。
 と、余談はさておき、その指令書の内容が、先入観からちょっと離れた視点で読むと結構おもしろかったりする。のである(この項続く)。
〔補足〕稲垣氏のこの著作は、日本酒の流通、消費の歴史を考える上で非常に重要な資料であるので、未読の方は是非ご一読いただきたい。 
 
【未納税取引再考 その2】
 
 今回は、前掲の稲垣氏の「ほんものの日本酒選び」を再読した時、大手の指令書として引かれているものについて、いくつか取り上げることにする。以下、かなり暴力的に省略しているので、可能な方は同書をご参照いただきたい。
 
 
 「昭和五十一年度の未納税移出清酒製造要項」
 
(1)酒質の目標…
 注意(ハ)… もろみの酸度が3.0を越えることは好ましくない。もろみ多酸の原因には種々あるが、3.0〜3.5程度となるものは野生酵母による汚染またはもろみ初期の過溶解に起因する場合が多い。
 前者については酒母室、仕込室の清掃殺菌と酒母純度の向上(終始酒母水麹に協会酵母の多量添加)に努め、後者については後述する原料処理、麹の老弱、乾湿、ならびに仕込み温度等に留意する。
 注意(ニ)アミノ酸度が過多の場合は、雑味の多い鈍重な酒質となり、また貯蔵中およびびん詰め後に濃色、過熟となるおそれある。
 粗精白、多湿麹、老麹、もろみでの過溶解、発酵緩慢、長期もろみ、もろみ末期の高温経過、およびアル添後上糟までの長期放置等はこの原因となる傾向があるから注意が肝要である。
 (3)精米歩合 平均75%以下とする
 注意(イ)吟醸、特、一級仕込等を実施する場合に庫内平均の精米歩合が75%以下であっても、未納税移出予定酒の精米歩合が75%以上であってはならない。
(ニ)重量精米歩合(見掛けの精米歩合)は同一であっても、玄米品質の良否、および精米技術の巧拙によって真精米歩合にはかなりの変動が生じる。従って精米管理に留意して真精米歩合と見掛け精米歩合との差(無効精米歩合)を減少させ、併せて脱芽、除溝に努める。
(8)もろみ仕込み歩合
○ アルコールまたは調味液の添加および上
 普通酒もち米四段の場合は、四段掛後3〜4日目(留後19〜20日目くらい)にアル添する。……若いもろみにアルコールまたは調味液を添加して上槽まで長く放置すると、香味を害することがあるので好ましくない。
(10)火入れ、貯蔵
 火入前に炭素濾過(炭酸使用量1キログラム当り300〜500グラム)を行い、さらに火入れ時に1キログラム当り100〜200グラムの炭素を投入する(鮭野注。おそらく、1キログラム→1キロリットルの誤り)。
 なお、火入後(タンク密封後)数時間を経てからタンクに水を掛けるか、あるいは通風によって冷却を速かにすることは、酒質の過熟を防止する意味で好ましく、とくに大型タンクの場合は必要なことであるが、貯蔵タンクに入れる前に二重蛇管などによって清酒を冷却すること(いわゆる瞬間殺菌または交換火入れ)は、タンクの殺菌が完全に行われ難く、火落ちの危険があるので実施しない。
 夏季の室温が25℃以上にもなると、非常に過熟(着色及び老ね香の顕著な発生)となるので、極力低温に保持するよう留意する。
 
 
 この、色を変えている所などに留意して読んでいただきたい。きちんとした酒を醸すために、今では常識となっていることであるが、こうした点について注意がなされている。注意事項があるということは、すなわち注意が必要ということである。見方を変えると、普通の地酒蔵の場合、こうした注意事項を守らないで酒を造っているところが一定数以上存在したとも見ることが出来よう。
 未納税取引というと、どうしても地方の酒から個性を抜いた云々とか、いろいろネガティブな評価しか一般にされていないようであるが、実際の所は、地方蔵の酒造技術の維持・向上といったプラスの面も大きかったことも知っておく必要があると思う。
 地酒ブームが勃興し、名をさほど知られなかった多くの蔵から名杜氏が多く輩出したが、名杜氏のルーツをたどると実は未納税がらみであったという事例は結構多い(例えば、菊姫が宝酒造ではなく、他の蔵と未納税で付きあっていたならば、農口さんは山廃を覚える機会があっただろうか)。立つ位置や高さをちょっと変えると、眺める風景が一変することがある。歴史もまた同様である。
 
【混迷する政局の影響、気付いている人は実はそれほどいないが、中小蔵存亡の危機に今あることについて その1 その2もあります】  11月25日記
 
 参議院選挙の民主党の大勝利を受け、政局が混迷している。国際平和というよりも、アメリカの国益のための、給油活動についての補給支援特別措置法がかなりひっぱり、(まあ無いと思うが)年明けの解散までささやかれる始末である。そうした不安定な政局が、実は中小の日本酒及び焼酎、泡盛メーカーにかなり深刻な打撃を与えるかもしれないことに気が付いている人は、一般の飲兵衛の方、ほとんど存在しないのではなかろうか。もっとも、一般はおろか、当事者も、最近複数の方とお話ししたところ、売れ行き不振の目先の数字に頭がいっぱいで、気がついていないようだ。
 その問題とは、租税特別措置法の、「清酒などに関する酒税の税率の特例」である。興味のある方は、国税庁のHPの下記項目をきちんと読んで欲しいが、
 
http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/kaisei/aramashi2003/pdf/08.pdf
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kihon/sake/3.htm#a-02
 
まあ掲示板の2ちゃんねるでの読み書きくらいしか出来ない人でもわかるようにごくおおざっぱにまとめると、現在、酒税に関しては、一定の減免処理がなされていて、200キロリットルまでは、本来国に納める酒税の25%が免除される、ということである。200キロリットルといわれても、なかなか具体的に思い浮かびにくいが、製造石数でいえば、1100石強の量にあたる。更に、細かく数字を挙げよう。現在の所、酒税は15度の酒の場合、1キロリットルあたり、12万円。1升では、216円である。この四分の一が減免されるとなると、一升あたり54円、減免されているということになる。
 この租税の減免処理、これまで延々と延期されてきたが、国会で延長する法案が通らない限り、平成20年3月31日に自動的に停止する。つまりは、各蔵はこれまで減免されてきた酒税を納めなければならなくなる。
 では、どのくらい影響があるか考えてみよう。例えば、製造石数が1000石程度(今では1000石でも中規模になってしまった)の中規模の蔵で考えてみよう。単純に計算すると、54円×100000本で540万、昨年比でよけいに酒税を払う必要が出てくる(アルコール度数の関係で実際にはもっと多くなるのだが)。二人ほど、若手社員に首になってもらわないといけなくなる。
 このように数字を挙げると、結構深刻な問題であることは、ほとんどの読者の方には容易に想像が付くと思われる。
 この特別措置法、廃止になった場合、石数が一定規模以下の蔵にダメージが大きい事は容易に推察出来る。最近、雑誌などで結構いろいろと話題になる蔵の場合、製造石数が200〜300石であることが多いが、そうした蔵は、措置法で減免処理を受けている分を原料米に充てていた事例が多い。さらに酒販店への直接取引をすることによって中間マージンを無くし、精米歩合他のスペックからしたらかなり「お買い得」の特定名称酒を武器に、展開していた事例が多々存在する(さらにいえば、小さいロットで生産するには非効率である普通酒とかを他社から「桶買い」している事例も多々見受けられる)。減免処理が無くなれば、原油高の影響もあり、「値頃感」のある商品を同じ価格、そして同じスペックで商品を醸す事は極めて困難である。よって、値上げに踏み切るしかないと思うのだが、値上げに踏み切った場合、日本酒の消費量が急速に落ち込んでいる上、このサブプライムの影響で消費減退傾向が見えている状況ではたして商品が売れるだろうか(ついでにおまけであるが、米の代金を確保するためにファンドを組んだ某蔵、売り上げ数量に対する受け取り額をご立派にシュミレーションしているのだが、納める酒税が上がったらこうはいかないだろう。以前、ある方に出資すべきか相談を受けたのだが、リスクの項目の3でこのことをきちんと書いていないし、金融商品としてはこんなインチキくさい所に出資するのは配当目当てに、二階堂さんの所を敵に回したグッドウィルの株を買う株主を馬鹿に出来ませんよと説明したところ、妙に納得していた。もちろん、金融商品ではなく、信者がお布施として納めるので有れば、一応恩恵を受けられるらしいし、それはそれで良いと思うのだが)。 
 まあ概略はこのあたりにして、次回は特別措置法の是非について論じたい。
 
【混迷する政局の影響、気付いている人は実はそれほどいないが、中小蔵存亡の危機に今あることについて その2】  12月10日UP
 
 さて、特措法である。正直な印象、酒税の減免処理が無くなれば、多くのメーカーがかなり厳しい状況に陥るのを承知で個人的な意見を以下述べるのだが、はっきりいって、さっさと無くなってしまった方がいいと思う。自由経済の社会においては、補助金に頼る事が前提となっている業界は確実に衰退の一途をたどっている。日本酒業界もその例外ではない。この業界、日本酒の消費量が確実に減少しつつある中、どれだけ有効な手だてを行ってきただろうか。確かに需要喚起の為に、いろいろな試みがなされてきた。しかしながら、そうした試み、どれだけ需要喚起に役立ったであろうか。需要喚起の為、何かイベントを行うにしても、試飲会が中心であり、そうした試みが費用対効果で、どれだけ有効であっただろうか。また、少しでも宣伝してくれればありがたいと、業界にとって有害な情報を垂れ流すような連中(いわゆる自称日本酒通の乞食ライターなど)を甘やかしすぎてはいなかっただろうか。
 ここ4〜5年の状況を見ていると、ともかく一度、きちんとしたふるい落としをして、一定数の蔵が淘汰されないと、本当に残るべき蔵まで残らなくなってしまう、そんな懸念を懐いている。とりあえず、地酒ブームの初期から、酒質向上などによる自社ブランドの確立に努め、未納税取引からいち早く自立して一定の石数を造って頑張っていた所が、何ら努力もせず桶売り中心でだらだらやっていて、平成になり大手から未納税を切られ、突然「手造りで頑張ってまっせ」と技術による酒質ではなく造石数の少なさと、コストパフォーマンスの高さで勝負をしだした所に足を引っ張られる構図は、私の感覚ではおかしいとしか思えない。
 それに、租措法の恩恵がなければ生き延びられなかった後発の地酒銘柄関係者が、大手の酒の悪口を言っている場面に結構出くわすことが多いのだが、そうした連中のために陳情に行く中央会とかの幹部は、だいたい大手の皆さんである。必要無くなっても未納税で買い続け、会社経営は道楽ではないためやむを得なくなって切りすてて、その逆恨みで悪口言われていても、そうした連中のために頭を垂れに奔走するなど、いやあ大旦那の血筋を引く皆さん、本当にお人好しである(苦笑)。換言すれば、さんざん未納税取引でお世話になっていたくせに、大手の悪口を平気で言うような蔵は、租措法に頼らずやっていく位の気概が欲しいものである。
 ということで、次回から少し未納税取引の闇に、違う視点から光を当てたい。
 
 
【ボジョレーヌーボーのブームは完全に終焉か】                             11月17日 記
 
 多忙を理由に、ずいぶんと更新をさぼっていると、以前書いていたネタ、手を入れて公開しようとする間に古くなり、後悔している今日この頃である。何を書いていいのかちょっと迷うが、まあとりあえず、解禁日が直近であったので、ヌーボーについてまず書いてくることに。
 ヌーボーの輸入量、前年比で20%ほど減少だったらしいが、今年は昨年以上に苦戦だったようだ。京都あたりでは、解禁日の翌日に、四条の高島屋の売り上げがかなり悪かったという情報が流れていて、在庫を少しでも整理したい問屋があちこち打診して回っていた(ようである。余談だが、昨年の場合は、S県の問屋が、船便到着前に懸命に空輸便を船便価格で追加で処分しようとしていた事例とかあったが、今年はどうだろうか)。試飲する機会のあった数点についても、いまいちのような印象。まあ、(所詮は安ワインという)本当の意味でのヌーボーらしいといえば、「当たり年」であったともいえるが。
 まあヌーボーがかつてあれだけ火がついたのは、サントリーを始めとする大手の広告戦略が功を奏したという面もあるが、もしかすると、日本人が潜在的に持つ白人に対するコンプレックスがそれを増長したのではと勘ぐっている(そうした視点で考えると、日本人の「初物好き」という民族性?を理解し、巧妙にくすぐってきたフランスのワイン流通関係業者は、「名より実を取る」ことを徹底したという意味で、なかなかしたたかだったとも言える。このあたりのことは、ソムリエの世界大会を日本で開催したあたりからの流れを考えていただければ、良く分かると思う)。しかしながら、無理な仕掛けは、景気に対する見方とかも後押しとなり、さすがに息切れが見えてきたようだ(地域によっては、「ヴィノスやま○き」さんの買い煽りが今年は足りなかったという噂もあるようだが、とりあえずコメントは差し控えたい)
 サブプライム問題の深刻さが実感として認知されるようになり(当時一部の関係者の方にはメールで事の深刻さを知らせたが、10月22日にサブプライム債の格付けが下げられた段階で、為替で円ドルが100円台の攻防とか、日経平均14000円台の攻防とか、六月くらいまでには考えても見なかったことが年内に見られるかもしれないというのに、危機感を感じている人がほとんどいなかったのが個人的に不思議である)正直なところ消費者の手が出なくなってきたのでは、というのが率直な印象である。そもそも、初物好きというだけで、多くの人が1本2000円強の出費を払うには、品質的に満足のいく商品ではないだろう。なんか訳がわからないまま、ブームになっているという理由でとりあえず手を出す消費者がここ数年存在したが、さすがに多くの無知な消費者が気が付きだしたというのが理由の第一であろう。さらに、少し待てば船便が半額程度で発売される(去年、大量の船便のヌーボーが余っているはずなのだが、どこに逝ったんだ?)し、遅くとも去年などは空輸便も年が明けるとデパートなどで半額以下の処分売りがされたりしていて(余談であるが、私が確認した空輸便の最安値は1本735円)、まあよほどのファンで無い限り、空輸便に飛びつく下地は崩れてしまったという印象を受ける。マーケットが急速に大きくなりすぎた結果、収束するのも早いということに近くなる、という印象を改めて受けた。
 まあヌーボーもそれなりに役割は果たしたし、それなりのワインファンが、品質はともかく、「縁起物」として購入する価値は今後もあると思う。ただ、船便が流通するようになっても、スーパーやコンビニで在庫管理の悪いまま空輸価格で販売されているような状態が継続するようならば、その行く末は約束されたようなものであろう。
 日本酒であれ、ワインであれ、流通の末端をきちんと見ていないと痛い目にあうこと必死と思われる。
 
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判】                        7月2日 記
(以下に続く項目の関連項目はここに移動)。
 
 過日、ある読者の方からこの件についてどう思われますかというメールがとどいた。「この件」とは、その文章を読むと、私見では、日本酒についてどうも素人に多少毛が生えたような知識しか持っていないとしか思えないくせに、なぜか日本酒の本まで出してしまった古川修氏が、名誉毀損で友里征耶氏を訴えた事例である。この件について詳しい経過については、友里氏のブログを閲覧していただきたいが、問題となった記事(同氏店評価の2007年1月20日)について、ちょっと見過ごす訳にはいかない批評が見受けられたので、ここで指摘しておきたい。
 友里氏は、該当記事において、次のように述べている。
 
 この店には彼が宣伝しまくっている「宗玄」と言う日本酒があるのですが、この会社はタレントの「魚住りえ」とのコラボの日本酒を売り出しているのですから、その志は知れているというもの。こんな浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか。
 
 記事の該当箇所について、宗玄について批評されているが、まず気になるのは
 
・ 友里氏は宗玄を店で賞味したのか、そしてそのときの感想を述べているのか。
 
 記事を読むと、どうも店で宗玄を賞味せずに批判されているような気がするが、もしそうだとすれば、ただの感情論、思い込みだけで批判しているのでありいただけない。
 もし店にて宗玄を賞味していたにしても、酒の場合、提供する温度や、開封してからの日数、さらにいえば店に届くまでの流通の影響などで随分印象が異なる。本当に優れた酒であっても、料飲店で飲むとまったく別物の酒が出てくることがしばしあるのは、このHPの読者の皆様もしばし体験しているはずだ。きちんとした流通管理のされた、実際に店で提供しているのと同一の商品を実際に事前に飲んで、比較して批判をされるのならばまだわかるが……。あと、酒の場合、酒と相性のよい旨い料理と飲むと味わいが増すが、どうみても納得のいかない料理と飲むと、旨い酒もさほど旨く感じられないのも事実である。また、店の雰囲気、例えばとなりでジュースを飲みながら刺身をつまんでいる子供を見ると不味く感じられることも多いはずだ。
 さらに「魚住りえ」という女性がコラボして売り出していることを根拠に、「浮ついた醸造元が素晴らしい酒を提供できるのでしょうか」という批判をされているが、日本酒業界の現状をご存知なさ過ぎる。低迷する現在の日本酒業界、猫の手を借りても商品を売りたいという状況にある。それなりに広告効果のある、魅力のある話で有れば、とりあえず乗ってみたいというのは醸造元として当たり前の発想であろう。さらにいえば、そうした話を決めるのは会社の経営する側であるが、造り手にはあまり関係のない話である。
 問題となっている氏の記事は、それなりに納得のいく内容であるが、以上の件については個人的に違和感を感じたので、ここで指摘しておきたい。なお、この件については、もう少し触れたい事例があり、その事例について調べた後、この続きか、あるいは別項で触れる予定。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのA いろいろと、訂正 その1】
               7月8日 記(7月10日、一部表記を訂正)
 
 さて、前回更新した内容についてであるが、少し疑問に思ったこともあり、友里氏に問い合わせのメールを出してみたところ、すぐに返事をいただいた(お忙しい中、こちらの疑問に対して迅速に対応していただき、恐縮しております)。今回から二回にわたり、その際のやりとりから新たに分かったことなどを付記し、こちらの批判の行きすぎた所を訂正しておきたい。
 
 私は友里氏が
・いつ頃、訪問されたのか。
・そして、実際に店で賞味していたかどうか。
の二点について一寸疑問に思った。友里氏は鱸、子持ち鮎の有馬煮、松茸の味についてブログでコメントされているが、友里氏のブログの日付は1月20日であり、いつくらいに訪問されて記事にされたかで随分印象がかわってくる。古川氏の宴会は9月2日であった。
 この点についてであるが、友里氏が「こびき」を訪問したのは、同じ料理を頼むため、時間をあまり置かないように◎△月××であったとのこと。これならば友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外大筋でその内容に納得がいく。鱸は旬の終わりごろになるが、まあそれほど劣らないだろうし、子持ち鮎もこれから、そして使用されている松茸は恐らくモロッコあたりの外国産(国産で去年の9月頭の松茸なんて、そりゃもう……。それを認識した上で、古川氏はベタ褒めしていたのだろうか)だろうから問題ない。友里氏のそれぞれの料理についての味についてのコメントも、説得力がある(余談であるが、古川氏の味わいについての表現、結構嗤ってしまうモノが多い。たとえば、その時の宴会にて、新潟の岩がきについて、「食べたとたんに、日本海の潮の香りがテーブルに漂うという、古川氏が教えている芝浦工大の優秀な大学生レベルではもちろんのこと、今時の高校生や2chネラーでも恥ずかしくて書けないような、小学生の夏休みの作文のような表現をされている。食べた途端に誰かがテーブルに吐き出さないと、そのタイミングではテーブルにはそうした香りはしないと思われるのだが。どうせライターもどきの臭い表現を目指すならば、小泉武夫先生を真似て「一口かみしめた刹那、舌全体に牡蠣の濃厚な旨味がどさっと襲いかかってきて圧倒された。同時に俺様の鼻腔から豊かな潮の香りがふんわり抜け、脳裏に広大な日本海がザザッと押し寄せ」くらいの味わいのある表現をしてほしい。そのあとに牡蠣と日本酒を同時に口に含み、「牡蠣と日本酒が一体となったところは、本当に両方の味がさらに昇華されて幸せいっぱい」とか、生原酒あれをやると、潜んでいた牡蠣の生臭みが前面に押し出て気持ち悪そうな……。まあ、味覚は個人差はあるし、古川氏は生酒の常温熟成を得意とされており、生老ねとか、そうした香りへの許容度は極めて高そうなので美味しいと感じるのかもしれないので、このことをもとに味音痴だとか評しようかとは一切思わないが)。
 ところで、先に「友里氏の該当記事、宗玄をうっかり不当に貶めてしまった点以外は大筋でその内容に納得がいく」と書いたが、「では、古川氏について、そして『こびき』についてはどうなんですか」という突っ込みがきそうなので、とりあえず「こびき」についての私見。古川氏は絶賛し、友里氏は居酒屋料理という判断を下しているが、私見では友里氏の方に軍配を挙げたい。その理由はいろいろあるが、酒以外でとりあえず。古川氏が絶賛するようなレベルの店であると多くのお客さんが認めるならば、なぜわざわざぐるなびでクーポンまで発行して客集めをしようとするのか。それに、本業が寿司屋であるのに、川魚である子持ち鮎の有馬煮を出すのかという点に大いに違和感がある。
 さて、とりあえず余計なことを書いてしまったが、次回は友里氏からいただいたメールをもとに、友里氏のコメントのどこに問題があるかなどについて、一介の酒飲みの立場から検証したい。そしてあの人は…… とりあえず動物園で飼育しようかな。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB いろいろと、訂正 その2】
                     7月8日 記
 
 (前回の続き)
 さて、次はいよいよお酒の話。友里氏からは、宗玄は店で飲み、押切さんのコラボ酒も購入して飲んだとのこと(こちらも一応予想はしていたが、友里氏によれば公表した段階では紙数の制約もあり、そこまで触れることが出来なかったとのこと。なるほど、であるが、せっかくご自分のHPで再録されているのだから、必要以上に誤解されることを避けるために、補注を付けても良いのではないかと思われる)。店では古川氏の宴会の時に出ていた宗玄、秋鹿の純米無濾過生原酒を飲み、「ワインと違い日本酒の素人なので、普通の一般客としての感想」という断りのうえ、古川氏の宴会の時に出ていた宗玄純米無濾過生原酒(山田錦、雄町)、秋鹿について
 
 「確かに米によって味が違うが、どれも原酒で味が濃い。冷や(キンキンに冷えた冷酒であろう 鮭野注)しかなかったが、常温だとさらにしつこいかも。55%精米であるが、先入観からか苦手な吟醸香のようなものを感じた。こんなまったり系の酒、最初から最後まで食事に合わせるものではないと素人は考える」という主旨の感想を持たれたとのことだった。
 
 この友里氏の感想は、酒意地の汚い、酒は量を飲めれば良しとするアル中に限りなく近い人は別として、まともな味覚を持つごく普通の人ならば、かなりの確率で同じように思うのではないかと思われる。では、解説しよう。
 純米無濾過生原酒であるが、まず、アルコール度数が高い。大体17度前半である。通常の日本酒が大体15度前半の度数設定である。アルコール度数が高いお酒は、体への負担が大きい。特に夏場など、気温が高い時期には、結構きつかったりする(最近は13度前後の商品も増えてきたのも、そうした理由からである)。無濾過系の生原酒は、味わいも濃厚で香りも管理が良ければ(生老香が出ていなければ)火入れをしていないことにより、吟醸系のエステル香もそれなりに残存していて(私の豊富な経験則では麹香は落ち着いている事が多い。ただ、友里氏が感じた香りはセメダイン臭の可能性あることは指摘しておきたい)、確かにインパクトは強いが、量を飲むには向かないないだろう。
 余談であるが、私の記憶(東大路師から聞いた話)では「つきじ田村」(余談だが、癒着ライターと揶揄されてご立腹されている古川さん、自称食通レベルの方ではないはずですから、「こびき」など足元に及ばぬ名店である「つきじ田村」、当然何度か訪問していますよね。その昔訪問した際の感想などを是非ご自分のブログもしくはHPで公開してください。まさかとは思いますが、もしブログもしくはHPにて公開できない、つまりは訪問していないければ、そのことを根拠に古川さんを自称似非食通と認定させていただきます。あしからず)の田村平治氏は、修行中に「瓢樹」の西村氏に、料理の味付けの要諦として「濃い素材には濃く、淡い素材には淡く」と指導されたと回顧されていたそうだ。この「淡い素材には淡く」とは、薄くではなく、素材そのものの味わいを引き立てるようにとのことである。一部例外はあるが、この原則は料理と酒との相関にもあてはまる。無濾過系の生原酒の場合、旨味(アミノ酸)が強い、火を当てた料理や珍味の一部には相性がよい(鴨の鍬焼きとか、それこそ味噌漬けの焼き魚とか、ぬたあえ他)と思うが、夏場にはしんどいだろう。さらに、冷蔵であれ、夏場まで寝かしていると、無濾過系の生原酒の場合、残存する酵素の影響でアミノ酸がさらに多くなり、味がよりダレて(重くなって)しまう。ポテトチップなど平気で一袋空けてしまう、味の素世代のおこちゃまな味覚の持ち主ならば何ら違和感を持たないかもしれないが……。さらに一ついえば、生魚と合わせるならば基本は老ね香や柿熟香の強くない、控え目な香りの純米か本醸造の燗酒(産地は内陸ではない。間違えても秋鹿とか、神亀ではない)がベストだと思われる。生原酒や吟醸酒の多くは、どんなに魚の鮮度がよくても、魚の生臭みを強調してしまうことが多々ある(魚をいじっている人にとっては閾値以下であっても、普通の人にはそうではない)。スーパーの鮮度の良くない魚に慣れているレベルの客は気にしないだろうが、店の方には気を付けて欲しい。
 ここまで書きながら思い出したが、宗玄の無濾過生の場合、金沢酵母を使用していたと思われる。金沢酵母は数値ほど官能的に酸味を感じず、つまりはアミノ酸の味がかなり前面にでていたはずで、時期がやや遅れて訪問した友里氏にとっては、味わいがより重たいという印象を持たれたのではなかろうか。
 要は、店で出す料理と酒の相性、そして味が熟れすぎていた酒を提供されたことにより、友里氏が良い印象を受けなかったのだと思われ、またそうした友里氏の印象はごく普通のものだったと思われる。
 しかしながら、蔵に対する友里氏のコメントは、日本酒に対してそれほど詳しくない友里氏に責任はないが、筆が滑ってしまったという印象で、やはりややいただけない。私は以前から飽きるほど述べているが、日本酒の場合、流通段階で痛んでしまう事が多い。さらに、料飲店だと、流通段階の管理が良くても、ボトル単位で注文されることが多いワインとは異なり、封を切ってから結構時間が経過したものが提供されることが多い(私の乏しい経験では、もとの味わいを留めていないものが、座席数比で商品アイテム数の多い料飲店では極めて多い。ごくまれな例外として、大量の自家消費で商品の品質を維持している模範的な料飲店も確かに存在するが、そうした採算を抜きにした、本当に酒のことを愛する、プロ意識の高い料飲店が極めて少ないのも事実である)。つまりは、外で飲む酒の場合、飲んだ酒に対して不満に思ったならば、その料飲店に対する批判をするならば良いが、そこから蔵の批判をするのは、その料飲店が直接蔵から商品を購入していたとしても的はずれになってしまう(まあ結局は、日本酒の流通および管理はどうしようもない場合が多く、それを消費者は平気で飲んでいるという恥ずかしい結論に陥ってしまいそうだが)。
 この項の最後に、一応付記しておきたいことがある。今回、疑問点があり、友里氏にメールを送ったのだが、すぐに対応していただいたおかげで(深夜に送った内容に対する返事を、その早朝にいただいた)私の疑問点も全て解決した。友里氏の公表されている店評価は、私の乏しい体験とは一致しない点も見受けられるが、それは個人の嗜好の違いに過ぎない。友里氏の辛口コメント、批判はかなり多いらしいが、自分の体験とあわせて、是は是、非は非という形で、自分と嗜好が異なる場合は、「いやあしょうがないな」と軽く流して気楽に読むのが健全な読み方であろう。今回、友里氏に誠意ある、迅速な対応をしていただいたが、それは友里氏が、ご自分で書かれたことに対してきちんと責任を持とうとする姿勢による。日本酒関係でものす連中の中には、自分の書いたことに責任を持とうとはしない、抗議をしても相手にしない、都合の悪い批判には目をつぶり、あるいは過剰反応をし、自分を褒めそやす相手には「よくぞわかってくれた」と擦り寄る輩が多い。私はそうした輩を「乞食ライター」と蔑視することにしている。そうした輩をマスコミが甘やかす(某宗教団体に買収されるのではないかとごく一部で噂をされている一応全国紙が、かつて講座の講師に招いたりしていたから困ったモンである)のもいけないのだが、日本酒関係のライターの皆さん、是非友里氏の姿勢に見習っていただきたい。私も、HPの内容について問い合わせのメールをいただいた時に、多忙を理由に返信がやや遅れることがあるが、友里氏にすぐにメールをいただき、深く反省した次第である。
 書いていて一寸面白くなってきたので、次回からは、料理や古川氏について触れてみたい。
 
【この批判の仕方はいただけない〜友里征耶氏に対する批判 そのB とりあえず追記】
                     7月11日 記
 
 前回の更新のあと確認したが、友里氏のブログが更新され、私のHPの更新についてとり上げていただいている。そこで、一応追記などを。
 友里氏は6日のブログにて、「関西で日本酒と食の造詣が大変深い方だと思われる方から」と、私のHPをとり上げていただいているが、私の日本酒への造詣については長年このHPを読んでいただいている方や、実際にお目にかかった方ならば、どのくらいのレベルであるか(まあわかりやすくいえば、いわゆる一般のきき酒師のはるか雲の上)推測は出来るであろうし、まあそのように言われても違和感は無いが、食については外食をほとんどせず、せいぜい年に一度、滋賀の知人の奥さんの山菜料理他を味わうのを楽しみにしているくらい(編集者注 その奥様、確か辻留の花板だった方から長年指導を受けていた方ですよね)の井の中の蛙である。食材へのこだわりはどうか。例えば京都に長年住んでいながら、野菜を古川さん絶賛の、錦の有名店「かね松」で買い物をしたことは一度もない。せいぜい、時間が有ればその半値程度で、とりあえず鮮度だけははるかに良いものが手に入る上賀茂のある野菜の直売所とか、西陣の筍酒店さんに野菜を買いに行くのが楽しみというレベルである(余談であるが、普通の京都人、普段「かね松」で野菜を買うのだろうか……。確かに野菜の品質はかなり良いが、費用対効果でやたら高いという印象)。
 あと、9日更新の内容で、友里氏は「私が彼に返事を出したことをある分野の人は裏取引をしたとか言っているそうですが、お答えしたのは「『こびき』へ行った時期と『宗玄』をその場で飲んだかどうかだけであります」とのことだが、これはやや不正確。私が質問したのはその二点であったが、ついでに、注文したメニューの一部、および飲んだ印象も教えていただいてしまったことは先の更新であきらかであろう。私がこれから更新する内容は、現在進行中の訴訟にも一部影響を及ぼす可能性があり、ここに付記しておく。
 ただ、訪問時期を当時うっかり明示してしまったのは私のミス。一応訂正したが、友里氏にご迷惑をおかけしたことを、この場でお詫び申し上げたい。
 
 あと、古川氏に対して、私がメールを出したということが友里氏のブログにあったが、変に誤解を招くといけないので、どのようなメールを古川氏に出したか、(差し障りのないよう加工したうえで)下に付しておく(まあ読者の皆さんには、公開質問状ととっていただいてもかまわない)。古川氏、自称ではなく本当に本職は一応研究者らしいので、所属する大学に出すのが一番確実と思い、古川氏の大学のメルアドに出してみたのだが、無視されたのか、調査に時間がかかっているのか(コメントが何を根拠にしているのか、調査をするまでもないはずなのだが)、ご自分の余りにも馬鹿丸出しとしか思えないコメントについて、説明できないのかまだ返事はこない。
 ということで、古川さん、返事を待ってま〜す。こっちも、HPの更新結構手間がかかっておりますので(内容によっては、久しぶりに公開する前に弁護士の目を通さねばならぬ案件ですから、それなりに気を遣っております)、よろしくおねがいします。
 
 
送信元 鮭野 夢造 <sakenomuzo@××××.livedoor.com>  
送信日時 2007/07/06 00:53 (+0900)
TO <furukawa@sic.shibaur×-it.××.jp>
 
件名 グルメ術の記事について 問い合わせ
 
古川 様
 
初めまして、知りすぎた消費者、鮭野夢造と申します。
 
古川さんが友里さんに対して起こした訴訟について、思うことなど私のHPで一寸触れはじめており
(私のHP)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/
(の新辛口批評をご参照ください)
http://sakenomuzo.ld.infoseek.co.jp/newkarakuti.html
件の事例について友里さんに対する批判は一応行いました(一昨日夜に友里さんにメールを出した所、返事をいただき、この内容は一部訂正する予定です)。
それに関連して、古川さんにうかがいたいことがあります。
 
古川さんが過去に、「スーパーグルメ術」にて掲載された内容についてです。
古川さんのお書きになること、得心のいくこともありますが、結構疑問に思うことが多いのも事実です。まあ、その多くは、勘どころが付く、古川さんの知識不足による思いこみ、勘違い他ではなかと思うのですが、それほど食に対する造詣は深くはない私からしても「さすがにちょいとこれはないぜ」というものに、古川さんの京加茂についての記事があります(この件をもとに、古川さんにからんで、次の記事をものす予定であります)。
 
470回「京料理と大阪の料理の違い」
 
にて、
 
「丸冶というのは、いまではあまり聞かないが、
かっては、吉兆とならぶ京料理の名店だったそうだ。
吉兆が芸者なども揃えて総合的にお客を喜ばせていたのに対して、
丸冶は料理だけで勝負をしていたという。」
 
と古川さんはコメントされておりますが、このコメントは何を根拠にされているのでしょうか。
 
 食に対する造詣など乏しい、私の知識程度では、このようなコメントはまずありえないので、現在、乏しい人脈を駆使して、「丸治」関係について、調査を始めましたが、古川さんに直接うかがうのがとりあえずてっとり早いとおもい、失礼を承知でメールを差し出した次第であります。
 
 日々研究でお忙しいとは思いますが、なるべく早い時期にお返事をいただければ幸いです。なお、お返事をいただけない場合は、一定期間を経たあとに、こちらの判断のみにて記事をまとめますので、こちらがどのような形でまとめたとしても、こちらの内容について事実誤認が無ければ、大人としてご笑諾いただければ幸いです。                  鮭野 拝
 
 
 
 
【ビールが面白くなってきた! キリン・ザ・ゴールド】
                      3月24日 記
 
 キリンビールが創業百周年を記念して、世に問うたビール。それが「キリン・ザ・ゴールド」である。キリンのキャンペーンで発売直前プレゼントを公募していたので、とりあえず応募したら厳正な抽選の結果当選し、商品が3本送られてきた。この手の新商品の公募に応募して当選するとやはりちょっとだけ嬉しい(昨年は確実に当選すると思っていた月桂冠の某商品の公募に落ちたこともあり、感慨ひとしおであった)。せっかくいただいたので、とりあえずものがいまいちであったら酷評させていただこうかと思い、口にすることにした。 例によって味が良く分かるよう、ややぬるめで口にすることにする。まずは鮮度が良いこともあり、泡立ちが綺麗だ。香りの面でいえば、オフフレーバーはなく、またホップ由来の香気が華々しいわけではない、おとなしい感じ。味わいはやわらかく軽快。軽やかな味わいであるが、決して薄いわけではない。苦みが目立たない分、やわらかい甘味や酸味、旨味が調和して感じられる。しかも味わいのキレが軽やか。従来のビールではアルコール感やホップの苦みをきっちり効かせて切れるタイプが多かったが、このビールは違う。「隠し苦味」によるらしく、技術的にどうしてこうなるかということは分からないのであるが、今までに経験しないようなおとなしい味切れである。いろいろ思いをはせながら、三本の缶を飲み干した。
 この商品、開発のコンセプトの一つとして、これから高齢化が進む日本において、健康飲酒と言うことがあったのではないかと推察する。アルコール度数が低めに設定してあるのがその証左になると思う。度数の高いビールは、確かに飲み応えがあるが、アルコール度数が高いビールは体への負担が大きい。見てくれの飲みやすさでごくごく飲んでしまうと、やはり体へはよくない。度数が低ければ、同じ量飲んだ場合、代謝の際の負担もそれだけ軽くなるし、摂取するカロリーもやや低くなる。副原料を使用せずに、素材の持ち味をおだやかにではあるがきちんと引き出すことによって、味わいの調和を目指したのであろう。
 ただ、食べ合わせを考えると、味の厚みとか、ホップの効かせ具合とかの要因で、ドイツ料理とか、洋食と合わせるには微妙に物足りない気がする。ただ、そうした料理にはキリンではハートランドもあるので問題なかろう。一寸喉が渇いて喉を潤したい時とか、夏の昼とかに飲むのに最適なビールであると思う。
 いただいたサンプルに添付されていた商品案内で、技術開発部の今井健夫氏は、「世界最強のピルスナーを目指しました」とするが、とりあえずビールの分類でジャパニーズピルスナーという分野が存在するならば、その分野での一つの頂点の存在を垣間見させるだけの商品であることは間違いないだろう(到達点という表現はあえて使わない。極めて完成度が高いので正直、イメージが出来ないのだが、造っている方はこの商品を足がかりに、さらに水準の高いものを目指しているに違いないからだ)。キリンの本気を存分に感じることが出来た。出来れば近いうちに、サーバーで飲みたいと思う。
 最後になるが、一人の酒徒として、この商品の開発に携わった皆さんに最大の敬意を表したい。ありがとうございました。
 
 
【急速な市場の変化を考える】(その1。その3まであり)
                       2月1日記
 
 年末に東京の大きいスーパーをいろいろと散策してみた。まあ市場調査であるが、気が付いたこと。
 棚割りでいえば、焼酎の比率が下がってきている。これはブームが一段落したことにもよるだろうが、スーパーが売れる商品、つまりは回転率の高い商品にしぼりこんだこと、そして利益率にあろう。焼酎の場合、定価販売をしたとしても、もともと単価が安く、さらにアルコール度数が高いこともあり、棚面積に対する利益率という意味では、回転が悪い商品は淘汰される対象となる。結果的に、強い商品しか棚を確保できなくなる。その分、日本酒に回ってきたようだが(というよりも、日本酒が喰われていた分を戻しただけという考え方もある)、その日本酒の棚に傾向として異変がある。
 日本酒の陳列、大手のパックやら、地酒やらごったになっているが、地酒の陳列を見て、複数のスーパーにおいて気が付いたこと。地酒の場合、本醸造はおろか、アル添酒がほとんどないのである。地酒は地方銘柄の純米酒と、純米吟醸。アル添はほとんど新潟系大手のみというスーパーが複数見受けられたのである。東京のスーパーであるが、たとえば地元の澤の井あたりでも純米がベースで、本醸造は片隅にという事例があった。これは消費者の指向が純米化した結果だろうか?私見では違うと思う。
 業界紙その他で適当な間隔をおいて出てくる流通の統計資料、最近は日本酒の消費が落ちながらも、純米系だけが数字を維持、もしくは伸びている。この数字、統計資料の見方を知らない馬とか鹿とかと親しそうな単純な人とか、脳波が一寸普通の人とは異なる電波系の人ならば、「日本酒全体の消費が減る中、純米酒は伸びている」「消費者の選択肢が純米酒に向けられていることの証明である」と声高らかに宣言してしまうが、数字の変化の第一歩は、酒税法の改正により、大手を中心とした「米だけの酒」の多くが純米酒に昇格(笑)したことによる。この傾向は昨年度も継続し、月桂冠や黄桜がコシヒカリを主原料にした純米を出し、数字を押し上げるだろう。
 数字の第一歩は違う原因からであるが、その意味を正確に捉えられる人がマーケットを積極的に形成する人には少なく、統計の数字だけを鵜呑みにして、結果としてトレンドをつくってしまっただけではないか。結果として純米傾向に傾斜するトレンドが出来るのは個人的には大いに賛同したいのだが、実は非常に深刻な問題がここに隠されているのではなかろうか。タイトルを変更するかどうかは考えているが、次回から考察を深めることにする。
 
 
【急速な市場の変化を考える】(その2)
                       2月5日記
 
 今後の日本酒の消費動向を考えると、純米吟醸酒はほぼ現状維持、純米酒は今後、大手を中心にやや伸びるが、本醸造酒や普通酒(これから雑酒に該当するその他の雑酒は無視)が急速に落ち込むのではないかと思われる。しかし、シェアの大部分は未だに普通酒や本醸造である蔵がほとんどであり、主力商品の落ち込みによる経営への影響は当然大きいだろう。また、吟醸系の商品、純米系統しか売れないとなると、贈答用の商品としての大吟醸の売れ行きにかなり響いてくる。出品規格の商品が贈答用商品としてお歳暮で出てくれれば良いのだが、贈答用商品のターゲットが純米吟醸、純米大吟醸あたりにシフトすると、商品の単価は落ちるし、アル添系の商品の在庫はたまる。新酒の仕込みに必要な米の代金を、年末に売り上げた利益に依存する蔵はかなり多い。そろそろ悲鳴がいろいろな所から聞こえてきそうな気がしてならない。
 また、中期で考えれば、環境問題の影響が大きそうだ。今年のような記録的な暖冬の場合、もろみの温度管理がかなり難しくなる。仕込み数量の減少により、仕込み時期が前倒しになっている蔵がかなり多い(11月に仕込みを開始するも、1月中に甑倒しをしている事例は結構見られる)が、気温的には不利な状況での仕込みである。普通酒、本醸造酒あたりを仕込むのに、外気温に頼らず強制的に温度を下げる必要があったところ、西南日本を中心に多々あったはずである。今後温暖化が進むと、普通酒でもサーマルタンクで仕込む必要が出てくるかもしれない。
 また、飲酒運転の取り締まりの影響も見逃せない。飲酒運転の取り締まりが厳しくなった結果、外食産業の競争が一層激化している。そうなると価格競争がそれなりに生じるが、団体の客が店を選ぶ際の一つの基準として、飲み放題の価格設定がある。飲み放題の場合、提供する側は、利益の追求のためにいかに原価を安く、客が満足するかということを考える。そうすると一番利益に貢献出来る酎ハイ、焼酎を飲ませたいと思うだろう。飲み放題のメニューで、日本酒は普通酒しかないのにもかかわらず、焼酎は芋、麦、米と一応それなりの品質のものが提供されている事例が多い。飲酒運転の取り締まりが厳しくなった後も、焼酎はさほど落ち込まず(むしろ芋は続伸)、他の酒類が落ち込んでいるのはこうした理由も考えられる。
 打開策はあるだろうか……。
 
【急速な市場の変化を考える】(その3)
                       2月5日記
 
 清酒にとっての打開策は、とりあえず一つだけ提案するが、ともかく消費者の自宅に於ける消費を増やす、そして自家消費にて吟醸クラスの美味しい酒を日常的に飲んでもらうことが第一である。
 以前もどこかで触れたことがあると記憶するが、外で日本酒を飲むと、1升2000円〜2700円クラスの純米酒で約1合(無い場合が多い)あたり500〜700円くらい取られる。しかも、銘柄を多くそろえている店の場合、いつ開封したのかわからず、冷蔵してあっても香味がやや変質し、場合によっては全く違う味になっているものをである。傷んだ酒を高い金を出して飲むならば、自宅で1升3000円を越す価格帯の酒を、納得のいくアテ(京都ならば多少名の知れた豆腐屋の豆腐とか、厚揚げを焼いた奴)で飲む方がはるかに経済的で、しかも満足いく。私が基本的に外で飲まない理由はここにある。
 こう書くと、飲み屋から反論があるかもしれない。「飲み屋では、メニューを原価計算して、原料費をせいぜい3割5分で押さえないとやっていけない。そのくらいいただくのが当たり前だ」。しかし、実際に素材に手を掛けた料理(大抵、調味料をケチっているので私の基準ではお子ちゃま向けの味で不味いのだが。居酒屋の場合よくこの程度のもので金を取るなと感心する)の原料費と、ただ冷蔵庫にあるものを注ぐだけの酒と、同じ基準でものごとを判断するあたりがそもそも間違えている。燗をつけるにしても、多くの店が自動酒燗機を使っている(ただし、最近の物は熱交換プレートがかなり進化していて、なかなか優れものの酒燗機もある。提供の仕方によっては、そこらへんで評判の「燗酒が美味しい店」の下手な湯煎を遙かに超越する)し、湯煎にしても酒に合わせない、技術を伴わないいい加減な湯煎が多い(もっとも、私が本気で湯煎したら、銚子一本800円でも安いと思うが)。燗をつける技術がないために、そうした努力を放棄してミニかんすけを利用する店も多くなってきた(ミニかんすけを使って旨い燗酒を提供していると思っている飲み屋、一応プロとして恥ずかしくないか。単なる手抜きだろ。もしこの文章を読んで反論があるならばこのHPで公開して添削してやるからメールを寄こせ)。封を切って、時間が経過して劣化がはっきりしていても(キリッと冷やして味をごまかして)平気で提供する飲み屋で金を捨てるよりも、自宅できちんと旨い酒を、愛妻とじっくり飲んでくださいと呼びかけるのが一番かと思われる。
 ここまで書かれても実感の湧かないかたもおられるかもしれない。そうした方にイメージしていただきたい。一丁200円強の一寸高価な豆腐を、利尻の一等検の昆布でミネラル水で出汁を取り、湯豆腐にする。酒は極上白鷹を人肌燗(そこまでいかなくても英勲の古都千年の純米吟醸や、月桂冠の特別本醸造、招徳の福以徳招……いろいろなるなあ)。1合飲んで、1000円かからない。同じだけの満足感を得ようと思ったら、どれだけかかるか。
 また、飲み屋さんにも、酒を提供する価格については一度真剣に考えていただきたいと思う。
 
 
《最近のバックナンバー》
 
【久しぶりに刺激を受けました……満寿泉訪問】
                 (2007年1月16日)
 
 年始には、ふと富山を通りすがったので、ライトレールにとことこと乗って富山の満寿泉の蔵を見せていただいた。なかなか機会がなく、見学にうかがうタイミングを逸していたが、今年、当日突然連絡したにもかかわらず、いろいろと見せていただいた(普通の人は同じ事をやらないように。ある流通の件を巡って、昨年末からいろいろやりとりしていたこともあってのことである)。満寿泉の特約店は、能登の四天王の一人、三盃氏の引退でどうなるかが気になっていると思うが、米の原料処理が難しい今年も、私がうかがった時には、麹室には栗香が漂い、いい麹が出来ていた。会社の見識がしっかりしていれば、名杜氏の血はきちんと伝わるものである。
 いろいろと思ったことはあるが、一番感銘を受けたのは、東岩瀬町の町造りである。かつて、回船問屋の町として知られた東岩瀬町であるが、そうした歴史の面影は過去のものになりつつあった。そうした状況のもと、昔の町並みを戻すことを中心とした町興しを、満寿泉の枡田さんが中心となってやっている。枡田さんのコンセプトは、「日本人であることの再認識」。(ここからは、私の脚色が入るのでやや表現がきつくなります。枡田さんの言葉そのままではないので、その点ご了承を)やれクリスマスだやれバレンタインだなどと、日本人であることを忘れて毛唐のイベントに振り回されて、日本人が日本人であることを忘れている今日この頃。地方にいる我々が、日本の良いものをきちんと残すことにより、日本の精神文化の豊かさを発信出来ればと。
 そこを訪れる人が、日本の精神文化の豊かさの一端に触れれば、自然と日本酒に回帰するはずだという枡田さんの考えがある。枡田さんもかなりの投資をしているようだ。費用対効果の面でいえば、枡田さんのこの事業に対する投資、自社の酒の売り上げから考えて、事業に対する経営効果を考えれば30年くらいでは絶対に回収できないと思うのだが、枡田さんは食文化を継承する、日本酒を造る蔵元の使命に過ぎないという認識でしかないようで、涼しい顔で話しておられた(このニュアンスは、まだお目にかかったことはないが、長年土地を切り売りして地元の人にすこしでも良い酒を飲まそうと努力している、新潟は「鶴の友」の樋木さんに一脈通じるものがあると思われる)。
 枡田さんに町をいろいろ案内していただいたが、町のなかに田尻さんという酒屋さんがある。満寿泉さんも少し出資している(らしい)酒屋さんなのだが、この酒屋さんの商品の陳列には、非常に感銘を受けた。品質管理が徹底しているのはもちろんのことなのだが(夏場にも生酒をエアコンの室温で管理しているのを品質管理と勘違いしている、高瀬斉チェンチェイはおろか、売文家の村松なんとやらという輩もご推奨の京都の迷える酒の館とは大違いだ……。おっと昨年末に本を出したらしいな。しかしアマゾンの中古で、1月16日現在、もう売られているぞ。そんなに内容がない本なのか)、陳列がすごい。陳列スペースに一歩足を踏み入れると、満寿泉のビンテージがずらりと並ぶ。そして北陸を中心とした地酒が両側に並んでいる。そこを歩くと、「いやあ、日本酒って何か凄いな」と思ってしまう。酒屋であるから、その奥にはワインや焼酎もあるが、ここに足を踏み入れると、日本酒を買いたくなってしまう。枡田さん曰わく、「ワインの場合、セラーに大量のビンテージ商品を陳列することにより歴史を感じさせ、文化の重みを感じさせるような陳列はあるが、日本酒はそういうことはない。そうした試みをここで」ということであるが、確かにそのとおりである。まあ、新潟の一銘柄だけ、ここで無理に置かなくてもという商品があったが、そうした野暮なことは言う必要はないだろう。ともかく、壮観であった。
 酒は買わないでもいいので、一人でも多くの方に、一度足を運んで、雰囲気を感じてもらいたいと思う酒屋さんであった。もちろん、足は富山の新しい観光シンボルでもあるライトレールで。
 
 
【吟醸酒の新しい方向性】
                 (2007年1月14日)
 
 しばらく、更新らしい更新をしていなかったので、何から書こう一寸迷うが、とりあえず年末年始に思ったことなど。
 まずは年末から。
 年末、例によって新宿の伊勢丹で、試飲販売にいらしていた真澄の宮坂さんにお目にかかり、お忙しいなか、酒をききながら、いろいろお話をうかがった。最近、恒例行事化しつつある(苦笑)。マーケットについての情報交換についてはまた後日触れたいが、真澄の最近の品質について、一寸。
 長年、真澄を愛飲されている方は気が付いていると思うが、ここ4〜5年で、全体にずいぶん味わいが柔らかい方向になっている。当初、特別純米(当時)の辛口生一本にその傾向が目立った。第一段階は水だった。一度見学にうかがってきき酒した際に、案内していただいた蔵人の方に「一寸変わりましたが分かりますか」と聞かれ、「水が変わりましたか」と返答し驚かれた記憶があるが、富士見蔵から諏訪蔵に変えて、味が一度変わった(この件についてタネを明かすと、私は富士見町周辺の水質についてはそれなりに詳しかったので、見当がついたのである)。そして次のステップは麹米にひとごこちを使い出した頃からである。麹米がひとごこちに変えた商品、美山錦の頃と比べると全般に柔らかさが出てきた。嗜好の差はあり、以前の味わいのタイプが好きな方はもちろん多くおられたと思われる。もちろん、その味わいを維持するのも一つの方針だが、真澄は味わいが柔らかい酒を目指した。そうした方向性では、酒質は螺旋階段を上るように一歩一歩上にその歩みを進めている。
 そして今年である。ひさしぶりに口にした(あれ、去年は10月上旬にこっそりCella MASUMIにいませんでしたか……編集者注)あれこれのうち、まず感心したのは「山廃」である。熟成をきっちりとっているのだが、蔵として追究しているであろう柔らかさが味わいの基調になっている。味わいが柔らかい中に、時が醸し出す旨味が丁寧に融けなずんでいる感じで、(忙しくてまだ試していないが)ぬる燗にすると融けなずんでいた味わいが、ふんわりと広がるのではないか、という印象を得た。読者の皆さんも購入する機会があれば、是非一度室温からぬる燗への味わいの変化を試みていただきたい。私も、近く試みる予定である。
 さて、本題である。大吟の夢殿を2タイプ見せてもらったが、今の商品になり、方向性がはっきり出てきたように感じられた。過去の夢殿は、アルプス全盛の時代のインパクトが比較的強かった頃と比較すると、それなりにおとなしい。それは香りの質が変化してきたことによる。一時期は、全国の傾向と比較して見た場合、(熟成がかかっていることもあり、やや控え目ながらも)香りが味わいを引っ張るという傾向が見られたが、ここにきて、酒の味わいから香りが出てくるような感じの仕上がりになってきているように思われる。香りが味わいを引っ張る場合、官能的にはインパクトのある香りから味をイメージして、味わいが香りに調和するか否かが商品の好悪を決めてしまいがちだが、香りがやや落ち着いて、しかも口に含んだ際に、香りよりも味が優先的に感じられ、味わいから感じるイメージに調和する香りがふんわりかんじられる、そんな印象を夢殿から感じた。
 吟醸酒の流れ、大きく見ると、
 9号、10号のスタイルがある程度完成された
     ↓
 バイオ戦争(華々しさを競う)
という流れで、そこから、香りが華々しすぎるのもどうだろうという方向に今進んでいる(個人的には、どのスタイルもそれなりに評価している)のだが、吟醸酒のバイオ戦争後に進むべき一つの方向性を真澄はかなり的確に捉えているように感じられた。
 
 
【しぼりたて原酒からうかがえる、日本酒業界の現状】
                 (2006年12月2日)
 
 11月下旬から、本格的に冬の風物詩・しぼりたて生原酒が流通しはじめる。この時期、私(の肝臓)は本当に忙しい。秋口から3月末までの「飲酒スケジュール」をたてて(冗談かと思う方がいるかもしれないが、実話。付き合いで深酒をしなければならないと嘆くサラリーマンなど、私からいわせれば可愛いものである)臨むが、近年スケジュールの隙間をうかがうように、飲む必要のある商品が目に付くので困ったモンである。また、入荷が想定した日よりも遅れると、スケジュール調整が難しい(某社のIさん、来年から地方出荷日を事前に教えてください)。招徳のしぼりたて(しぼりたてと割り切って飲むならば、とりあえずかなり出来は良い。この文章を読んだ皆さん、一本ずつ買うように。あと、もう完売しそうな、あさ開の新米新酒もここ数年では最高の出来であることは私が保証する。次のしぼりたて飲酒予定は今月の、あの銘柄の入荷待ちである……そういえば、マル様、あれの出荷予定はいつですか。怠慢な序列第三位からはまだ連絡がきませんが……乞う連絡)を口に含みながらこの文章をものしているが、そうした私が実感として感じ始めたのが、純米系の生原酒の出荷が、各蔵早まる傾向にあるということである。
 (御世栄のように、通常、一発目の仕込みが純米どぶろくのような特殊な場合を除いて)多くの蔵の場合、はじめに仕込むのは普通酒の場合が多い。仕込みが始まる10月末〜11月上旬は、特定名称を仕込むにはまだ気温が安定して低くはないし、その年の米の状態を発酵の経過を見て判断したいとか、いろいろ理由はある。しかしながら、しぼりたて生原酒は季節商品、冷蔵保存が原則のため、多くの酒販店において、一定以上の棚を確保できない以上、ともかく早めに出荷し、棚割りを確保する方が、販売面では有利である。
 そのあたりのバランスで、初冬は本醸造の生原酒が多かったのであるが、他の事情のウエイトが大きくなってきた。それは、商品の現金化の要素である。ほとんどの蔵は、仕込む米を買う場合、借金をして購入する。また、蔵人へ給料を支払わねばならない。臨時出費である。借りたお金は、酒を販売して返すわけであるが、以前はお歳暮などの需要が大きかった。しかし、お歳暮の需要はかなり減り、さらに日本酒のマーケットも縮小の一途をたどっている。そうした状況のもと、きちんとしぼりたて原酒を売る必要が出てきた。当然、市場への供給が増える。そうなると、選択の余地が増え、当然「ただのしぼりたて」では、市場では通用しなくなってくる。とすると、「高品質のしぼりたて」か、「お買い得のしぼりたて」を出す必要が生じる。どちらの道を選ぶかは蔵の判断によるが、前者の場合を取る事例が多いようだ。後者の場合を取る場合、その理由は、しぼりたては、火入れ処理他の面倒な作業が軽減できるということにもあるらしい。
 かくして、純米のしぼりたてが増えたのでは、と私は推測する。
 しぼりたてが、純米中心になるのは好ましい傾向だと思うが、そうした状況にある蔵のこともかんがみて、よりよく熟成した、高価格帯の商品をこの年末の機会に手を伸ばしていただきたい、なに、外で一合に満たない量の銚子を思わず並べてしまったとか、飲酒運転で一回パクられたと思えば、安いものである。選挙でのあなたの一票は、政治を変えることはほとんどないが、飲酒活動でのあなたの購入する一本は、業界を救うことになる。
 
 
【無添加ワインは、添加ワインより安全か? その1】
                (2006年11月3日)
 
 以前、無添加ワインについて少し触れた(6年9月15日の記事参照)。この記事を書いた後に、少しく無添加加熱ワインは熟成ワインに比較して味わいに欠けるが、やはり健康には良いのではという(困ったちゃんからの)反論があった。こちらは忙しいので、いろいろやっかいなことに首をつっこみたくなく、放置プレイを決め込もうと思っていたのだが、せっかくの機会であるので、これまで触れなかった業界タブーにからむ話を兼ねて論じたいと重う。
 まずはこのことを論じるきっかけのお話から。過日、岩手の某メーカーの東京営業所を訪れ、いろいろお話をうかがったのだが、その際に、I氏に「遠方よりいらしていただきましたので、せっかくですから何か1本よろしければ、いかがですか」とご厚意でいっていただき、倉庫を徘徊して、(転がっていた大吟などは無視して)興味をいだいてお願いしたのが「あさ開純米料理酒」である(おっと会社名を明らかにしてしまった)。せっかくいただいたのであるが、実はまだ使用していない(療養中の東大路老師に使ってもらおうとした所、「せっかくですので、まずは大根が甘くなってから焚き物にまず」と言われ、封印中。近く、記事にしていただく予定)。しかし、この商品をいただいた後に、あることについて気になり、メールでI氏に問い合わせた。それは、ウレタン(カルバミン酸エチル)のことである。
 ウレタンについて一般に正面から述べるのは、かつては醸造界のタブーの一つであった(私もこれまで触れることがなかったのも、そうした事情からである)。また、勉強不足の若手醸造家の方は何も問題意識を持っていなかったりする(特にどこかの大学を出た方とか……。しかし全く知らない場合もあるのは一寸びっくり)。しかしながら、業界のタブーに触れるのが、私の存在意義であると信じるので、せっかくの機会であるから以下述べよう。
 ウレタンの問題点については、穂積忠彦先生の名著『新編 日本酒のすべてが分かる「本」』(1995年、健友館)の62頁からその概要が述べられているが、まずはかの名著を引用しながら概要を述べたい。
 同書によると、
  酒類中にあってはならぬ、あっては困る物質のひとつに発癌物質がある。いまにわかにそんな物質として浮上してきたものが、実験動物で発癌性が確証されたカルバミン酸エチル(ウレタン)である。このウレタンは酒類の本質的主成分であるエチルアルコールが製造過程中に尿素と結合してごく微量ではあるが自然に作り出されてしまうのだから始末が悪い」
 とする。ウレタンは醸造物として日本酒、醤油製品に特に含有量が高いことが知られている(その理由については後述)が、この許容水準他については、タイプするのが面倒くさいので同書を参照されたい。
 当時、手作りビールによって糖尿病を克服された(!)穂積先生は、
  ちなみに、私の体重は72s、したがって、ウレタンの一日の摂取許容量は21.6マイクログロムとなる。ウレタン100ppbの清酒では100_g中に10マイクロクロムのウレタンが含まれる。大酒家の私は一日平均、清酒500_gを飲むから、毎日50マイクログラムのウレタンを摂取しているだろう。過去四十年の飲酒量をふりかえれば、すでに何十回となく癌にかかっても不思議はないこととなる。あまり気にしていたら酒を楽しむことはできない。
と述べておられる。私も同感であった。いちいち発癌性物質など気にしては酒を飲んではいられない。発癌率が、十年内に交通事故に遭う期待値よりも低いとされる水道水中のトリハロメタンに対して、過剰反応を起こして拒絶反応を起こすようなものだ(余談ながら私は、体内に取り入れる水分は地下水と浄水器+蝶々を基本としている)。気になるならば、抗癌に効果があると思われる食品を、同時にバランス良く取ればよいだけのことである。なお、余談であるが、多少年老いたとはいえ、日本酒500_gで大酒家とは、穂積先生、笑わせると思う方に。同書86頁に、
これからは私の体験談だが、私は、毎日、500_g程度の、アルコール分8%ほどに手造りしたにごりビールを飲んでいる(以下略)。
という記述があることも触れておく(自己申告だけで日々これだけ……)。
 ところで、ウレタンが発癌性物質であるという点について、まだ気にされる方に一応。穂積先生は平成9年8月14日、癌との闘病の末に他界された。(この項 続く)
 
【無添加ワインは、添加ワインより安全か? その2】
              (11月3日記、更新は16日)
 
 さて、前回の続きである。無添加ワインは、流通段階での劣化を防ぐために、大体のものが加熱処理されている(最近はフィルター濾過によって酵母を取り除いている無添加ワインもあるが、味わいでいえば火入れ処理のものよりさらに劣ると思われるので、あえて無視する)。この加熱処理を問題としたい。他の醸造酒と比較してウレタンの残存量が日本酒に多い一因は、火入れ処理が行われることによる。火入れ処理により、尿素とエチルアルコールが化学反応を起こしてしまい、ウレタンが増えてしまうのだ。欧米ではワインは基本的に加熱処理しないものなので問題とされていないようだが、加熱処理されたワインは、当然のことながらカルバミン酸エチルの残存量は増えているだろう。
 ワインの無添加を何かの一つ覚えのように売り言葉にして口にする業者は、なぜかウレタンの問題について触れようとしない。その大きな理由は、業者が無知だからである。無知だからこそ、聞きかじった知識で、商品を売るのに都合のよい情報だけを、不正確に誇張して垂れ流している。都合のいい部分だけ、海外の基準と国内の基準を比較したりして、無添加(あるいはオーガニック)の意義を唱える輩が少なからず存在するのはまったくもって困ったモンである。無添加ワインが本当の意味で市民権を持つには、原料処理(火入れ処理の有無他。もちろん、火入れだけを問題にしている訳ではない)をどのようにしたかといった基本情報をラベルに明記することが必要ではなかろうか。
 無添加でオーガニックのワインも確かに存在する。味わいでは同価格帯の通常ワインに(はるかに)劣るものの、ロハスな生き方を追究する消費者に、輸入物を中心に最近人気が出てきている。しかしながら、もしそのようなワインをこだわって求めるのならば、国内産のものを求めるべきではなかろうか。もしロハスな生き方を追究するならば、輸入する過程で大量のエネルギーを消費することを余儀なくされてしまう商品を口にすることが、果たしてただしいのかどうか。国産にも、価格と比較した味わいとしては(私見では)どうかと思うものの、その土地に応じた葡萄を用いた、それなりの商品が生産されているのも事実である。
 ついでに触れておくと、ワインの添加物云々で、いかにも添加物が頭痛の原因になるとか、消費者の「あやふやな知識」に付け込んで、自分が取り扱う無添加とかオーガニックの商品の「健全さ」を喧伝す(ることによって金儲けをしようとしてい)る輩がいるが、そうしたスタンスをとる業者は基本的には相手にしてはいけない。科学的な根拠なく、自らの乏しい体験と思いこみだけで吹聴しているだけであり、そうした輩は、聞きかじりの知識は多少あっても、醸造についての正確な知識を持ち合わせていない輩が多い(先日、そうした輩が書いた、ものすごい出鱈目が書いてある本を見つけたので、機会があれば叩きたい)。無添加ワイン、オーガニックワインは、あくまでも「添加物」という表示を見ただけでアレルギー反応を起こす消費者にとっての一つの選択肢にすぎないのあり、絶対的に「体にやさしい」商品ではないのである。ネット上にも散見される、インチキ業者に騙されてはいけない。
 さて、話をもどそう。某社に問い合わせたところ、某社の純米料理酒の使用酵母は、尿素非生成の協会酵母だそうである。さすがである。精米が低いほど、発酵中に尿素が生成されやすく、故にウレタンの残有量が増えてしまうことも明らかになっており、精米歩合が低いこの商品の場合、料理に酒をふんだんに利用する私としては気にせざろうえなかった。これならば、ウレタンの残有量など気にせずに、思う存分使用することができる。
 
 
【身の丈に応じた商売を】
                (2006年10月20日)
 
 一応、景気はよいことになっているが、飲酒運転に対する風当たりが厳しくなったことによる影響で、飲食店、そして販売金額の飲食店に対するウエイトが大きい酒販店は相応に苦戦しているようだ。まあ、飲食店の場合、飲酒運転の取り締まりが厳しくなったことによる影響が大きかったならば、それは客の飲酒運転を事実上黙認していたことになり、店側が大いに反省すべきであることは論を待たない。
 現在の所出ている統計では、酒類の出荷量がそれなりに減少しているようだ。このことがどのようにこれから影響してくるか。いろいろ考えられるが、以下、かなりの極論であるが前向きに考えてみよう。外で飲む機会が少なくなるということは、客側にはその分だけ余剰金が生じる。そのお金がどこに流れるか。酒類の購入費にその余剰金のうち、一定金額まわるようならば、酒販店にとって一つのチャンスが生じる。酒類の購入予算が増えるのならば、それだけ品質の高い商品、換言すれば付加価値の高い商品(もちろん、本論ではプレミア価格の商品を指している訳ではない)を買ってもらえる可能性が高くなる。販売数量は落ちても、酒販店の努力に応じて、販売金額、そして利益率が高くなる可能性はある。そこで必要なのは、商品知識である。この商品知識は、能書き、蘊蓄を意味しない。自店で選択した結果、納得して扱っている商品を、どれだけ、個別の嗜好に応じて客側に伝えられるかを意味する。つまり、ただ単に銘柄コレクターとして、世間で流れる「操作された情報」に左右されるのではなく、自らが商品に対する価値観を生みだし、それを伝えられるかという能力が必要なのである。そうして、お客さんの支持を得られたならばしめたモンである。コスト削減のために冷凍食品などを多用した、どちらかといえば刺激の強い味をつまみながら、封を切ってからどれだけ経過したかわからない、風味がかなり変わってしまっている今話題の酒を、味わいがわからぬようキンキンに冷やして提供することを「サービス」と心がける(全てのではないが)多くの飲食店に、酒のみでいえば原価の倍をはるかに越す高い金を払うよりも、自分で納得のいく商品を、温度をいろいろ変えてこだわりのつまみで飲(や)る方が、はるかに懐に優しく、楽しいことを消費者は覚えるだろう。外で普通に一升2500円くらいまでの地酒を飲むと、大体一升換算で8000円くらいはとられる。それならば、自宅で一升3000円位の、普段一寸手が出ない酒を、外で飲んだつもりで気軽に楽しむ方がはるかにコストパフォーマンスに優れる。そうすることによって、付加価値の高い商品がきちんと売れるようになれば、日本酒業界としても歓迎すべきことであろう。
 他方、飲食店側は、提供する方法その他に問題があったのか、真剣に考えるべきだ。飲食店における価格は、サービスの代価である。サービスに納得がいくからこそ、お客さんは(一応)ついてくるのである。そもそも飲食店は、酒を提供するのではなく、食べ物を提供することをメインに考えなければ行けない。自分が精一杯のものをつくり、提供する。そうしたものの味わいを引き立てる様な酒を、ビールにしろ日本酒にしろ焼酎にしろ選ぶことが肝要だ。利益率がいいという金額的な条件がいい(主にビールの場合)とか、ただ知名度がある(日本酒、焼酎)とかいう理由だけで、理念なく世の中の流行の酒を追っかけることを商品の選択の基準にしている店はあまりにも多くないだろうか。そうした店は飲食店として軽蔑に値する。自店で何を提供したいかという理念があれば、そうした商品とは末長い付き合いになるので、提供する商品選びには慎重さを要するようになる。たとえば、日本酒は、提供する水準が高ければ、別に一種類でもかまわない。京都ならば先斗町の「ますだ」の「賀茂鶴」、東京ならば神楽坂の伊勢藤の「白鷹」のように、店の過去の歴史が、他の酒を置くことがもはや許されないレベルまで到達するのが理想であろう。
 何も考えずにあれこれ流行の酒をそろえるのが、居酒屋の一つのスタイルとなっているが、そうした店だと、流行に乗らなかった商品は、さっさと取り扱うことをやめてしまう。しかしながら、流行に乗らなかった商品だったとしても、その商品を気に入ってしまうお客さんは多くの場合存在する。たまたま飲んだ酒が気に入り、「あの酒はあそこにいけば飲めるはずだ」と足を運ぶと、もうその酒が無い、という事例は結構存在する。しばらくおいて、再び足を運んだ時にその酒が在庫切れ以外の理由で無かったら、そのお客さんはどう思うだろうか。
 酒販店にしろ、飲食店にしろ、納得のいく商品を仕入れ、その商品を育てるのではなく、ブームだけを追いかけたりしてころころ商品を入れ替える店がかなり多いのは、人間関係が希薄化した現在の日本をある意味象徴しているかもしれない。ただ私は古い唄と古い型の女が好きな、切れがあるのにコクもあるタイプである。今後の違う可能性に期待したい。
 
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 その@】
                 (2006年9月22日〜)
 
 ずっと前、一昨年(2004年)暮に、静岡の酒関連の情報では世界一の内容を誇るHPで知られる清水さんから、当時の新刊でとんでもない記述があることの知らせを受けた。その愚書によれば、
 『しかし、高度経済成長の時代を迎え、灘の地もごたぶんにもれず宅地開発や高速道路の建設が進み、少しずつ宮水の水質も変化するようになってしまいました。そこに、追い打ちをかけるように@阪神大震災(1995年)が発生し、宮水は壊滅的な打撃を受けたのです。
 A現在、宮水のほとんどが使用不能となっており、使われていないのが現状です。しかし、B前記したように灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです。』(番号は鮭野が挿入)
 とのことである。その害書は、蝶谷初男著「うまい日本酒に会いたい! そのために知っておきたい100問100答」(ポプラ社)である。
 名は体をあらわす。単純馬鹿を通り過ぎて、ほ乳類ではない、昆虫レベルの脳味噌しか保有していないと思われる著者のこの記述についてはさすがにあきれ、清水氏には近く、私なりに知っていることをきちんとまとめる、とお伝えしたが、私自身の怠慢さから、この件についてとりあげるのをすっかり忘れていた(すっかり放置してある森伊蔵の件もそろそろお願いします……編集者記)。
 まあ、まともな人ならばこうした記述を真に受けることはないだろうし、と安易に放置していたのであるが、故・穂積忠彦氏の言葉を借りれば、「学問的にも歴史的にも明らかに間違っていても、自分だけの思いこみで、堂々と本になってしまうと、それを読んだ人々はつい本当のことに思ってしまう」「本来ならばあまりの物知らずの馬鹿馬鹿しさに笑い飛ばすか、無視すればよいのだが、ウソも何度か繰り替えされると本当に思う人も出てくる」し、実際、信じてしまう馬鹿もいる。一寸前に読んでびっくりしたのが、Wiki pedia の執筆者がどうも鵜呑みにしているようだ(というか、きちんとした資料に当たってからものを書け、といいたい)。そこで、おくればせながら、私が知っていることを、馬とか鹿といったほ乳類には最低限わかるレベル(蝶谷、いや蝶……といった昆虫レベルの方にはわからないかもしれない)でこれから記したいと思う。
 まずは、宮水について、ごく基本的な認識。その歴史的な経緯について、ネット上で公開されているものとしては、寺岡武彦氏の論考(宮水の沿革@A)がもっとも正確かつ詳しいのでそちらを参照していただきたいが、その論考で触れられていないことも含め、とりあえず以下の3点確認しておきたい。
 
 1 現在の宮水は、第三次宮水地帯に位置する。
 2 宮水は、ごくおおまかにいえば、山手からの3系統の伏流水(戎、馬場町、法安寺伏流水)と、海側からの地下水が、ごくかぎられた一角で出会い、まざりあっている。
 3 宮水は深さ5メートル程度までの浅井戸から採取される。
 
 さて、まずは蝶谷氏の記述について、少し考えればわかること。蝶谷氏は、A「現在、ほとんど使用不能となっており、使われていないのが現状です」と述べておられるが、1平方`に満たないきわめて限定された地域の、帯水層が同一で、しかもその経由がはっきりしている浅井戸で、ごく一部だけが使用可能になっているなど、まずはありえないことは少し考えていただければわかるだろう。同じ一帯で、複数の深さの井戸があり、片方が使えないという事例は結構存在するのだが、宮水の場合、そうした事例とは性格が全くことなるのである。また、@において「阪神大震災において、壊滅的な打撃を受けた」とあるが、これは全くの嘘。たとえば、菊正宗のHPで述べられているように、大震災の際に断水してしまった西宮地区で、奇跡的に影響の無かった宮水が大活躍したことは、いろいろな所で触れられている(この件については、また後で触れたい)。余談であるが、地震からかなり後の、2000年だったか(震災のかなり後)、某所で「軟水と硬水」というテーマで試飲会を行ったときに、「白鷹」のご厚意で当日、わざわざ井戸から汲み上げ、京都まで宮水を運んでいただき、出席者一同、硬水である宮水を飲んで灘の生一本についての理解を深めたことがある。また、B「灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです」としているが、表明しているのではなく、現在も宮水は使っているから、自社製品のうち、特に使用している商品について、必要に応じて表示しているのである。もし私の言うことが嘘だと思うのならば、個別の商品について、蝶谷氏にやって欲しいのだが(もちろん、あとでどうなるかは知らない)。
 ただし、「盗人にも三分の理」という言葉がある。馬や鹿を超越した、昆虫レベルの脳味噌しか持たぬような御仁の発言にも、一厘の理くらいはある場合がまれに存在することは認める必要がある。なぜ、そのような妄説が流布されてしまうことについて、次回から述べたい。
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのA】
 
 阪神の西宮駅を下車し、南の方に歩みを奨めよう。方角的に右手、すなわち西の方向に向かえば、まもなく宮水まつりがある西宮神社があるが、意識して左手、すなわち東の方角に足が向くようにすれば、阪神高速にぶちあたるあたりで、さらに左手に宮水地帯が広がる。
 国道を渡ると、そこは宮水地帯である。大手、中小、さまざまな蔵の宮水井戸がそこかしこに点在する。仕込みのシーズンで、タイミングさえあえば、そうした敷地のそばにタンクローリー車がとまって、怪しげに水を詰め込む作業を見ることが出来るだろう。場合によっては、廃業した蔵の宮水井戸の後が駐車場になっている光景を目にすることになる。そこであなたは、一つの発見をするだろう。「なぜ、このあたりの建物は、高くないのだろう?」
 その理由は、先に述べたことを思い浮かべれば氷解する。宮水は浅井戸から採取される、土台を深く打ち込めば、井戸にすぐに影響が出てしまう。高い建物を建てるために、土台を深く打ち込むことが許されていないのである。廃業した蔵の宮水井戸の跡地が、高層マンションではなく、のきなみ駐車場になっていることも、このことから分かっていただけると思う。さまざまな規制があり、せいぜい二階建て程度の家か、駐車場くらいにしか、現在のところ宮水地帯の土地活用法はないのである。もし宮水が生きていないならば、そうした配慮は不要である。換言すれば、かような現状が宮水が生きていることを意味することに他ならない(昆虫にでもわかるような説明をしましたが、蝶谷さん、もし理解できないのであればメールを下さい)。
 宮水の調査は、第一次大戦後から本格的になされるようになった。大戦後に酒の消費量が激増し、つまりは灘酒の造石高の増加にしたがい、醸造期の末期になると井戸水が枯渇するようになった。また、成分バランスも変化し、過剰吸水の影響で塩素イオンの増加(海からの浸透水の影響)と、有機物の検出(地表に近いため、どうしても生活の影響を受けやすい)などが問題となったのである。余談であるが、現在、宮水は一般の方がふらりと訪れても、まず口にすることは出来ない。それはどうしても浅い井戸水であるため、生活の影響を受けて微量の有機物が検出されやすい傾向にある。生水に対しての保健所の規制もものすごくうるさいため、まず一般の人が生で口にすることは難しいと思われる。そうした背景のもと、宮水保存調査会が1925年に発足(当時はまだ第二次宮水地帯)し、研究が進められた。
 その研究の成果の一つとして、皆さんがああなるほどと納得していただけると思っていただけるのは阪神高速の高架工事である。橋脚の間隔の長さを、宮水への影響を最小限にするために、当時としては一番長い87メートルに設定し、さらに阪神高速が結果として宮水の遮水壁にならぬように基礎を浅くした。西宮付近の倒壊の遠因ともいわれるが、まあ想定以上の地震が発生したからだということにしておく。
 現在、宮水が使用される場合には、ほとんどのところで一応濾鉄処理他が行われているはずである。阪神高速の復旧の際のことはよくしらないが、それよりも上流部で、震災後のどさくさにまぎれて何が行われているかわからないからである。なにもせずに使用すると、上流の水源の、なにかしらの土台で打ち込んだ鉄骨から微量の鉄分が流出しているかもしれず、そうした事例については、あくまでも自衛で臨まなければいけないからである。
 宮水だが、生で飲むとそれなりに味わいがある。ただし、お茶にいれると駄目とのことである。「宮水コーヒー」を出す店があり、その味わいについては賛否両論であるが、安い、日本の水で入れてもまずいとしかいいようのないMJBのコーヒー粉を、宮水を使用して以前コーヒーを入れてみたところ、チープで雑な味のコーヒーが結構まろやかな味わいになったことをここに報告しておこう。
 
追記 この項目は過去に見聞きした知識をもとにものしており、どこからの引用か正直よくわからないのであえて示さないが、そのAからの執筆の際には、以下の書物を特に参考にしたことを付記しておきたい。
 ・『宮水物語』(読売新聞阪神支局編 中外書房 1966年)
 ・「酒の町西宮」(西宮青年会議所広報委員会編 西宮青年会議所 1982年)
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのB】
 
 ところで、どこの馬や鹿を通り越した昆虫が書いたかわからないのでまず信用してはいけない、Wiki pediaにて、「阪神大震災によって壊滅的な打撃を受けた。活断層のずれによって水脈は破壊された」というとんでもない記述をまだ信じている人がいるかもしれないので一言。活断層がずれたことによって、どのように水脈が破壊されたのか、宮水の北川の水脈がどのようなルートをたどっているかちと考えて欲しい。宮水は淺井戸であることも考えれば、水脈が破壊されたならば、地震後にとても使用できなかったはずであろう。地震関連でつけくわえるならば、地下水の水位の異常は、その直前に存在した(このことは未発表と思われる。ラドン濃度の変化については、田阪氏のHPを参照)。さらにだめおしだが、日本醸造協会雑誌の91巻6号に、灘五郷酒造組合で実務にタッチされ、一番身近で状況を把握されていた」とされる山口和彦氏が「阪神・淡路大震災、そして今」という報告にて、次のように記されている。
 このような震災直後の現場において、地域住民に「宮水」をタンクローリーで給水したり、無事に残った蔵を避難所として、近隣の住民に開放した企業があった(393頁)。
 このような(絶望的な被災状況の)中で、唯一の光明は、酒造りの生命とも言える「宮水」井戸のすべてが、水脈、、水釜、水質とも何ら従前と変わりなくたすかったことである。(中略)しかし、水道の復旧が相当遅れたため、宮水をタンクローリーで運搬しながらという手間暇かかる状態が、長く続いた(394頁)。
 
 なお、山口氏は、最後に95年に開催された「宮水まつり」での委員長挨拶(辰馬寛男氏。白鷹の先代。私も少しお世話になった)を。「灘五郷の酒造の心意気を如実に示していると思われるので、ここに掲載させていただくことにした」と、次のように引いている。
 我々酒造家は、大震災によって建物や醸造機器に甚大な被害を受けたが、宮水に影響がでていないか非常に心配した。建物や機械は、金を使えば元に戻るが、宮水はそういうわけにはいかない。幸い、調査の結果、宮水には水質、水脈とも全く影響が出ておらず、これは神のご加護である。一日も早く酒蔵を復興し、西宮の活性化に力を合わせて取り組んでいくことをここに誓いたい」。
 
 酒造家として、厳しい状況だが、天与の名水が残されていたことに感謝し、今後の酒造りに謙虚に臨もうという姿勢がひしひしと感じられる。中越地震の発生日を自社製品の記念日として決意を新たにした恥ずかしい会社との違いを読者の皆さんは心に留めてほしい。
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのC】10月10日記
 
 しばらく更新を休んでいたが、そろそろまとめる方向に。まずはWiki Pedia であるが、私のHPを見た善意あるどなたかが、9月24に修正を入れたようである。ただ、現在の版「歴史」の項目は、初期の原稿がきちんと資料に基づいてかかれていなかったため、不正確である。まずはその点から指摘しておこう。私が目にしている現在の版では、
 
 しかし昭和時代中期以降、高度経済成長の時代を迎え、西宮は阪神工業地帯の真っ只中に置かれ、しだいに宮水の水脈も汚染されていった。水質の汚濁が、この時期の何回かの調査でわかっている。
 
とあるが、生活の影響による宮水の汚染が問題となったはじまりは、そのAでも触れたように、第一次大戦後の大正期からである。経済成長による酒造量の増加の影響などで、酒造期末になると井戸水が枯渇、変質するようになった。民家の防火、そして水質の変化による保健衛生上の問題が生じ、当時辰馬(白鹿)、八馬(多聞)両家が工事費用として80万円寄付し、上水道を整備した。昭和30年代は、西宮南部の工場地帯における過剰揚水の影響で地盤沈下が発生したり、井戸が枯れかけたりするなどの影響があり、さらに西宮港沖を埋め立てて日本最大の石油コンビナートを誘致する計画がもちあがった。海を深く掘り下げると、海水圧が変化し、地下に浸透する水のバランスも変化する。明治の末に西宮港の修築工事により、井戸水に塩素が増えてしまい、結果として宮水地帯を北に移したという事例が過去にある。その教訓を活かすべく、沖合を埋め立てると埋め立てると大気汚染の問題も絡め、計画を断念させたということもあった。 Wiki の記述をそのまま読むと、工業化の影響で、いろいろ化学物質に汚染されたととられかねないので、まずはコメントしておく。 さらに、
 
震災後の復興の一環として、いくつかの醸造メーカーや酒蔵によって、昔の宮水と同じ味を持つ水脈をさらに地中深くから探索・掘削するなどして、かつての灘の酒の味を復元する努力と試みがなされている。
 
とあるが、これは意味不明。現在、複数の伏流水が混じり合う、宮水地帯から汲み上げられる宮水は天然記念物的存在であり、多少性格が類似したならばともかく、同じ味を持つ(表現として使うならばまだしも「成分」だろ)水脈などいくら深く掘っても存在しないのである。かつての人口宮水の試みと混同されたのであろうか。
 
 ところで、宮水の使用量が減少しているのも数年前のある学会で一寸話題となり、これも事実である。造石数の変化や汲水制限なども主要因としてあるが、見落としてはいけないのは消費者の嗜好の変化である。以下、私見である。
 吟醸酒ブームから、売上量を伸ばしてた高級酒は冷酒で飲まれることが多くなり、どちらかといえばソフトなタイプの味が好まれるようになった。灘の多くの酒造メーカーは、宮水の採水量に制限があるため、深井戸から採取する水なども使用している(白鶴が「淡麗純米」において「六甲の自然水仕込み」と標榜していることなどからもおわかりいただけよう)が、米も融けやすく、発酵が進みやすい宮水で仕込まれた酒は、辛口に仕上げても「淡麗」ではないどっしりとした「濃醇辛口」となりやすく、燗をつけると味わい冴えるものの、冷や酒で飲むとどうしても味が重たく感じられる。そこで、タンクローリーで運搬する必要もない、自社の敷地から汲み上げることの出来る地下水の使用比率が増加するのも必然のなりゆきであろう。
 最近は、大手のパックの経済酒に「宮水使用」を謳っている事例も見受けられるが、安い酒に付加価値を付けるために「宮水」を使用するのは止めて欲しい。宮水が、泣いている。灘の酒造家には、もう一度宮水の価値を考え直し、そしてその「天与の名水」を活かした酒造りに臨んでほしい。(次回、最終回)
 
 
【馬でも鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのD】
 
 毎年10月の第一土曜・日曜日に、西宮神社を中心に「西宮酒ぐらルネサンス」なるイベントが開催される。一度でも足を運んだ方ならばご存知と思われるが、メイン会場の西宮神社に「宮水コーナー」が開設され、質問をすると宮水についていろいろ解説していただける。ブースで解説するのは「ミスター宮水」として知られる済川要先生(灘五郷酒造組合水資源部会顧問)と、ご子息の健先生。お二人ともきわめて多忙な方(月間ではなく、年間で休日が数日というレベル)で、なかなかまとまった時間をとってお話をうかがう機会はないのだが、宮水祭りの時だけは別である。ここ数年、いろいろ貴重なお話をうかがったが、この項目の執筆のために、先日(8日)にいろいろなお話をうかがってきた。まずはその際に新たにいただいた資料(済川先生、私のような青二才相手にいつもありがとうございます)などをもとに、これまで触れそこねていた話や、具体的な事例を紹介したい。
 地下水位が極めて淺い不圧地下水の場合、近隣地区でのちょっとした工事でも、地下水に影響が出てしまう。宮水の場合、単独ではなく、複数の伏流水の影響下にあるので、酒造期間中にはなるべく工事を行わないよう要請がされてきている。
 震災後は、周辺地域で高層建築、及びライフラインの工事が行われたが、工事や工事に伴う揚水で、帯水層が傷つかぬよう、灘五郷酒造組合では毎月1〜3回、一回あたり10数件に及ぶまでの建築工事について、行政の協力を得て業者と交渉し、地下水の現状保存、あるいは伏水の流量を保証するような特殊な工法の採用を依頼するなどの対策を講じ、宮水の安全確保に務めた。こうした依頼はコスト面の問題もあり、なかなか応じてもらえるか難しいのだが、震災直後に井戸を保有する各酒造会社が、断水して困っている周辺住民に生活用水として積極的に提供し、地元に貢献したからこそ応じてもらえたのであろう。ところで、特殊な工法について、解説が必要だと思われるので、その点についてごくおおまかに触れることにする。
 大がかりな工事の事例として、1997年頃の阪神電鉄の高架化工事や、2002年から5年にかけて行われた、兵庫県立芸術文化センターの工事などがある。こうした工事の場合、地下構造物による遮水面積が出来るだけ少なくなるように構造形式を変更する。そして地下水の流下方向に沿って通水パイプや砕石による通水路を整備する(水脈の確保)。また、工事の際に地下水が湧き出ると、それを汲まねばならないが、汲んでしまうと下流に影響が出る(西宮北口で揚水すると、宮水地帯を越えて下流の西宮港まで影響が出てしまう)ので、工事に関連する揚水を最小限に抑えるため、基礎工事の際に、遮水用の鋼矢板を打ち込む(工事後には撤去する)。さらに、工事中は、工事の影響の有無を確認するために、周囲にはりめぐらされた観測井戸を監視し、地下水中のラドン濃度などの希元素の連続測定などを行う。さらに工事終了時には連続揚水実験などを行い、工事前と後の状態についての確認をする。
 宮水保護のために、普通の地域の工事とは異なり、これだけのことがされているのである。ただ、最近は発掘作業のあとに、掘ったところの土砂を帯水層の構造など気にかけず、一気に埋めてしまう乱暴な工事(予算を削って下請けにまかすとしばしいい加減な工事がされてしまうらしい)などがあり、そうした処理がなされると、透水性がかなり異なるので、今後影響が出るのか心配されているそうである。余談ながら、阪神電鉄の工事については、1997年12月28日の全国版朝刊にて触れられているので、興味のある方は調べていただきたい。
 
 まだいろいろ書き足りないことはあるが、ともかく、宮水は今も生きているのであり、宮水が使われていないというのはほとんど根拠のない風説である(そういえば、先頃他界したアル中先生も、なにかたわけたことを述べていた記憶あり)。そうした風説が流れたことにより、復興を目指した灘の中小の蔵の足をどれだけ引っ張ったか。宮水が使用不能などという戯言をうっかり信じていた方は、よく考えていただきたい。また、灘の酒造家は、もっと宮水を大切にしてほしい。宮水をベースにした男酒の燗が、日本酒復興のキーワードの一つになると確信している今日この頃である。
 最後になるが、昭和57年に出た「酒の町西宮」という本の、済川要先生の論文『西宮の水 「宮水」について』の一節「宮水と私」から、抜粋して紹介したい。今一度念を押したいが、この文章が、昭和57年に記され、そして大切に管理されていた「宮水」が、阪神の震災の際にどのように利用されたか。今一度思いかえしていただければ幸いである。
 
 
宮水と私
過去の歴史を振り返るとき、表六甲では、浅い良い水(井戸)を求めて人々が集まり、(おもに海辺に住みつき)そこにささやかな生活が始まった。そして小さい集落から西宮町に発展していった。ところが、上水道が完備すると、この数十年間に住居が山手に移り、かつてあれほど大切にしていた井戸は顧みられなくなった。しかし、ひとたび、大地震でもあれば、たちまち、われわれは水なしの生活を余儀なくされる。停電はもちろんのこと、水道管は断ち切られ、まず、市民は水を求めてさまようだろう。しかし、「流れる水は活きている。」というが、地下防火用貯水池と違って、常に維持管理された淺い宮水井戸群は、揚水すればそのまま飲用できる。いつの日か、数十万人の市民の命を助けることになると信じているものである。
 
 
 (この項 了 なお、この小文は、数年にわたり、宮水に関してご教示いただいた済川要、済川健両先生、そして済川先生と引き合わせていただいた上に、いろいろと資料を提供していただいた田岡春夫さんの助力なくしてはまとめることは出来なかったことを付記しておきたい)
 
 
【いよいよ、淘汰の時代が始まる?】
 
                 (2006年9月19日)
 
 先日、あるスーパーにて、業界大手のの新商品の試飲販売を行っていた。その商品の大々的な、応募すれば誰もが当選しそうな試飲キャンペーンに応募しながら、なぜか商品が送られてこないので(日頃の行いですね……編集者注)口に含むきっかけはなかったのだが、何気なく試飲したその場で、やや大袈裟に表現するならば、誰かから後頭部を突然殴りつけられたような衝撃を受けた(あんたならばまあ後ろから殴り掛かりたい、どころではなく、列車入線直前に、ホームで後ろから突き落としてやりたい業界人は沢山いるはずですが……編集者注)。そのスーパーでの販売価格は、パックで1280円。私の試飲した印象では、その品温では1700円強の品質と判断したからだ(希望小売価格は1565円らしい)。
 その商品は、麹比率が15%の純米酒である。麹米は五百万石を、掛米はあえてコシヒカリを使用している。このスペックを見て……と具体的にいろいろ書こうと思ったら、すでにHPで商品のコンセプトが説明されているので、そちらを参照していただきたい。そう、その商品とは、月桂冠の「すべて米の酒」である。
 これまで、大手が出す低価格の純米系では、精米歩合を70よりも抑えた、米だけの酒の延長(そういえば、自称評論家や、地元では三増酒が主力の小さい蔵元の多数が、「大手の米だけの酒」は、麹など使わない粗悪な酒だと吹聴していたと記憶している。こうしたいい加減な連中、純米の表示規制のあとに、地方の量産安酒メーカーはともかく、沢の鶴の米だけの酒をはじめとして、米だけの酒の多くが純米酒になった事実についてどう考えているのだろう)であったが、この商品は低価格でありながら、精米条件はもとより、高級酒に用いる技術が基本になっている。商品の品質は、アル添、四段、濾過に頼りすぎている地方の地酒の普通酒よりもはるかに高いと断じたい。
 福光屋さんのレギュラーの純米が出た(その前に、当時営業で活躍されていた木村さんに試飲させてもらった、あさ開の普通酒として出ていた、現在の純米規格の商品にも驚かされた。以前の試飲会報告に記してある)際に、普通酒の存在意義が認められない時代が近く到来することを予感し、一つの感慨を覚えたが、全国的に販路を持つ、月桂冠のこの商品の登場により、いよいよ淘汰の流れが加速することを予感する。手造りを標榜し、都心部で高級酒をアッピールしながら、アル添普通酒に未だに大きく依存している地方の蔵の多くの将来はかなり暗いことになりそうだ。これからは、高い技術をもとにした「文明の酒」としての純米がレギュラーの主力となり、その上で個々の造り手の技術を元にした「文化の酒」の純米が咲き乱れる状況になるような、そんな気がする。
 個人的には、この位のスペックで商品を出す場合、食用米を使用するならば、コシヒカリよりも適性の良い米は他にもあると思うのだが、そうしたよけいなことは、一度商品を購入して、いろいろな品温で飲んでみてからまたコメント出来ればと考えている。ともあれ、さまざまな制約のもと、与えられた条件下にて、米の特性を最大限に引き出し、個性ある新商品を世に送り出した月桂冠の技術陣の皆様に、一人の酒徒として大いに敬意を示したい。
 
 
【困ったちゃんな消費者のお話〜無添加ワインについて】 
                 (2006年9月15日)
 先日、ふらりと立ち寄った酒屋さんと立ち話をしていたら、「そういえば老師、最近困ったことがありましたよ……」。
 お話をうかがってみると、あるお客さんからオーガニックワインの注文を受け、届けたところ、あとから、「このワイン、添加物あるでしょ。こんなものを注文した訳ではないのに」と苦情を受けたとのことである。店主はこのお客さんに懇切丁寧に、ワインの酸化防止剤は体にとって有害なものではなく、味わい深いワインを醸造する際に必要不可欠なものであることを説明されたのだが、全く聞く耳を持たず、「無添加のワインならばU酒店で買って、とっても美味しかった。あなた知らないのならば今度買ってきてあげるわよ」とまでおっしゃった模様。余談であるが、U酒店は国産の無添加のワインを何よりも推奨する、私に言わせればまあワインに関しては度素人の酒屋である。そうした酒屋の能書きを信じて、よくも偉そうに……。ちなみに、その酒屋さんは一応、きき酒師よりはるかに信頼のおける資格であるコンセイエの有資格者である(SOPEXAも結構いかがわしい団体だと思うのだが……)そういえば、自分で資格試験を受けても通らないので、バイトの大学生の子に資格を取ってもらったが、バイトの子がいなくなってコンセイエのいなくなってしまったN酒店という店も存在するなあとは独り言
 まあ馬鹿に付ける薬はないし、そんなお客さんとお付き合いしても苦労するだけだから、ほっておいたらと申し上げたのだが、無添加ワインについてのあることについては勘違いされている方は意外に多いかもしれないので、ワインは専門外だが、基本的なことをここに記しておくことにする。
 ワインで微量使用される添加物でいわゆる「無添加絶対主義者」から問題視されるのは、亜硫酸塩である。ワインの場合、亜硫酸塩を添加することにより、微生物により発酵〜貯蔵段階で生じる変質を防ぐことが可能になる。また、この亜硫酸塩は揮発性が高く、デキャンタをすれば、あるいはそれが面倒くさいのならば、ワインをグラスに注いでだ後にくるくるまわせば、ほとんど揮発してしまう。要するに、添加物ではあるが、健康への影響は全くと言ってよいほど考えなくても良い添加物である。そうした添加物を気にする位ならば、オーガニックではないワインの原料のブドウに散布される薬品の方がはるかに問題と思うのだが、ろくに勉強をしない、理性ではなく、感情で全てを理解しようとする無添加絶対主義の方の一部の方は、酸化防止剤無添加=無農薬にちがいないという誤った先入観を持っているので始末が悪い。無添加ワインとして流通しているもの、ごく一部に低農薬のブドウを原料にしたものなどがあるが、ほとんどは薬品を使用している。具体的な事例を一つあげるが、フランスで高温他の気象状況のためブドウが過熟してしまい、収穫前にブドウが野生酵母で発酵してしまわないよう薬品を大量にばらまいてことなきを得たということもある。
 まあ普通の感覚でいえば、無添加ワインよりオーガニックのワインの方が健康に良さそうというのはここまでの記述で、理性で物事を判断される読者の方にはわかっていただけると思う。
 ところで、無添加ワインは、なぜ添加物を使用しないで品質の劣化を気にしないで良いのか。それは、基本的に加熱殺菌を行っているからである。ワインの加熱殺菌については、酒仙・穂積忠彦氏がその歴史的名著「日本酒のすべてがわかる本」に簡潔に述べている。以下、同書をもとにその誕生の背景を簡単に述べたい。
 フランスでは、ワインがさまざまに変質することは古くから知られていて、その変質が醸造家にとっては悩みの種であった。そうした状況下、ルイ・パスツールがワインの変質予防の簡単かつ完全な予防法を発明した。それはワインを加熱して、50〜60℃に数分間保つというものである(いわゆるパスツーリゼーション)。これは現在牛乳他に応用されているいわゆる低温殺菌の始まりである。しかし、なぜこの手法が定着しなかったか。ここで前掲書の穂積先生の文章を引用させていただくことにする。
 「だが、遂に今日、世界のワインはこの低温殺菌法を採用しなかった。その理由はワインのデリケートな香気が熱処理によって損なわれてしまうからである。ワインは生でなければならないというのは昔も今もかわっていない。今日、広く、ワインに熱処理を行っているのは日本の国産ワインのみである」(健友館 新編日本酒の全てがわかる本 140頁)。
 デリケートな香気成分については、火入れ殺菌後に急冷することによって一定のレベルでの維持が可能である。しかし、生の原ワインと、加熱処理した原ワイン(原酒という表現はあえて避けた)とでは、その後の調熟による味わいの変化は、歴然としているのである。
 日本で一定量、火入れワインがシェアを維持できているのは、過去にイミテーションワインが主流だったこともあるが、食文化の違いもあろう。素材の味わいより、ソースの味わいが料理のベースになる洋食にまけないような酸味とタンニンの渋味がなじみにくい人にとって、フレッシュで甘さを残した飲みやすいワイン(風飲料)を好む方が一定量存在してもおかしくはない。しかし、そうした飲料は、和食系にはさらにあわない。果汁入り清涼飲料を飲みながら食事をするようなものである(もっとも、最近は平然と果汁入り清涼飲料を飲みながら食事をするような、私から言わせれば「幼稚な味覚」の大人が増えていて困るのだが……。ポリシーもなく、幼稚な味覚しか持たぬ経営者が経営する居酒屋で安い酎ハイを飲みながらつまみを食することに違和感を感じない学生生活を経ているからだろうか)。
 ただし、食事に合うか否かは個人差があるという前提で論じるならば、そうした方面をつきつめて、より品質の高い商品をという努力もなされている。例えば、メルシャンは、「フレッシュですっきりとした味わいを楽しむタイプのワインであれば、酸化防止剤を加えなくても「おいしい健全な」ワインを提供できるのではないかと考え」て、各種商品展開をされているが、これは一つの見識であり、制約された条件のもと、商品の水準を高めようと言う姿勢が見られ評価したい。検索をかけるとアサヒとかはさらに頑張っているようだ。
それとは別に、「無添加ワインは無添加だからこそ健康に良いからお奨め」というニュアンスで販売していたならば、そうした店は唾棄して今後相手にしてはいけない。あなたは意図的にだまされているかもしれないし、そうでなければ信頼すべき相手が実は平気でだまされるようなレベルであったことになるからだ。
 余談ながら、件のお客さん、開封したワインをどうしたらいいかと酒屋さんにたずね、「バキュンで空気を抜くか、窒素ガスを噴き入れれば、酸化がおそくなるので風味の日持ちはよくなります」と答えたところ、「窒素ガス?まあそんな……」との反応だったらしい。どうも窒素ガスも、添加物だと思っておられるらしい。そうした単純な方は、詰める前に窒素ガスを空き缶内に吹き込んでから充填する、国産の缶ビールとかはどういう顔をして飲んでいるのだろうか……。
 
 
【温故知新〜 御世栄 純米渡船の話】 たまには、お酒の感想
                 (2006年8月25日)
 
 先日、私用で滋賀県の北島酒造に一寸寄ったのだが、その際に購入した商品が、新商品「純米渡船」である。
 渡船は、一時期、酒米としてもてはやされた米であり、山田錦の親にあたる。この米、他の歴史に名を残す多くの酒米同様、栽培条件などが非常に厳しく、結局幻の酒米として記憶、そして記録の中のみに残される米となった。平成に入り、茨城県の府中誉で知られる府中酒造が復活させ、世に送り出したものの、後続する蔵はなく、一蔵のみが孤軍奮闘していた。そうしたなか、もともとこの渡船は近江でかなり栽培されていたことにより、新たな滋賀県独自の酒米をということから、わずかな種籾から栽培が再開され、ようやく先の冬、というか2月(なぜ月まで分かるか、それは最後まで読んでいただければわかります)に、北島さんのところで一本仕込まれた。
 商品のアルコール度数は17度、精米歩合は75%。蔵のHPの7月便りにて、「そんな大切なお米だからこそ、できるだけ削らずあえて精白を抑え、お米の持ち味を活かすよう、このお酒は造られました」とコメントされているが、これはいわゆる大本営発表。額面通りに受けてはいけない。貴重な米で仕込んで失敗は許されないから、本当は最低でも60%くらいまでは磨いて仕込みたかったというのが現場の考えと思われるが、そこまで磨くと、こんどは生成数量が極端に落ちてしまう(米の数量が少ない場合は、そうした問題が多々生じる)ので、75%でとりあえず出来るだけのものを醸そう、という方向で落ち着いたものと推察する(ただ、あえて低精米で仕込む意義はある。機会を改めて論じたい)。
 低精米で仕込む純米酒は、かなり難しい。酒は、米をある程度磨いたほうがよい酒をつくりやすいのは当たり前で、技術屋系の多くの造り手は採算に合う範囲で、出来るだけ米を磨いて仕込みたいと考える(余談ながらあさ開の藤尾杜氏は、米を出来るだけ磨きたくない派である。藤尾先生は、60%まで磨かないとなかなか旨い純米酒は醸しにくいと思われていた平成初期に、トヨニシキ、ササニシキを原料とした65〜70%の純米で素晴らしい純米酒を世に送り出していた。世間では、去年まで続いた鑑評会連続金賞受賞記録が第一に評価されているが、個人的にはあの時期にあのレベルの味わい深い普通純米を、かなり大きな仕込みで平然と出されていたことの方を評価すべきだと思う)。造り手としては、吸水、蒸し加減……勝手の全くわからない初めての米で、低精米で仕込まねばならない。しかも、米の造り手が、苦心して何年もかかってようやく、仕込める所までたどり着いた。その苦労に報いねばならないがため、失敗は許されない。ここで平凡な酒を醸してしまうと、今後滋賀県でこの米を使用して醸そうという酒造家はなくなるかもしれない……。ある意味、鑑評会用の酒を仕込むよりもはるかに重圧が造り手にかかっていたと推察する。鑑評会にかかるものは、はっきり言ってしまえば単なる個別の蔵の名誉だが、この酒を仕込む際にかかるプレッシャーは、比較にならないくらい重かっただろう。
 そうした緊張感のもと、巨匠・清水杜氏によって仕込まれ、一寸寝かされた酒を、この酒に込められた思いに正面から向かいあって、あえて品温25度くらいでお目にかかった。 
 味わいについてのコメントはまた後日に。温度による味わいの変化について、いろいろと書きたいのだが、汲みたての京都の地下水を飲みながらの酒との会話に夢中になっているうちに、購入した4合瓶の中身があらかたなくなってしまい、他の温度の飲み方をまだためしていないからだ(17度と度数高いし、とりあえずセサミン飲んで寝ることにする)。一言だけ述べるならば、熟成によって大化けする可能性あり。この酒、定期的に試す必要がある。精米歩合とかのスペックから単純に考えるとやや高そうにおもわれがち(とはいっても、手が出ないレベルの高い商品ではありません)な商品だが、幸運にも見かける機会があったらば購入していろいろな飲み方で飲んでいただき、自分の中で基準を作って戴きたい、そうした酒である。
 渡船を口にする機会があった方には、勢いでやはり山田穂にもチャレンジしたくなる。山田穂を原料にした商品は複数の蔵から出ているが、私見では、白鶴から出ているものが一番特徴がわかりやすいと思われる。是非試して戴きたい。
 さて、余談であるが、この純米渡船、上槽は2月26日の日曜日に行われた。なぜそれを知っているか、であるが、その日、無理をお願いして、ある酒屋さんの大切なお客様を連れて見学にうかがった際にちょうどこの酒を搾っていた。滋賀県において復活した渡船で仕込まれた酒を、日本で一番早く口にしたのが、何をかくそうこの私なのである(笑)。そうした酒縁もあり、ここに紹介した次第である(要は、単に自慢話をしたかっただけ……編集者注)。
 
 
【原油高の影響〜ロハスな私は、純米酒】
                (2006年8月12日〜)
 
 世界的な原油高が続き、景気回復の足を引っ張るのではないかとささやかれる今日この頃、この原油高は、日本酒にとっても他人事ではない。
 例えば、米を蒸すときにボイラーを使用して蒸すが、この時にかなりの燃料を必要とする。原油が高くなれば、当然この燃料にも負担がかかる。また、冷蔵が前提となる高級酒の場合、貯蔵熟成にかなりの電力を必要とする。しかし、そうした要素以外に、大きな問題が出てきている。そう、醸造アルコールである。
 醸造アルコールは、そのほとんどが(廃)糖蜜を原料に、それを発酵させ、連続して蒸留をかけることによって生まれる。ほとんど純粋なアルコールであり、ブラジルなどではバイオエタノールとして、ガソリンに混ぜて使用されている。余談ながら、静岡にて良質酒専門の酒販店「リバティ」を経営されている長澤さんは、醸造アルコールを添加している酒を「ガソリン酒」と呼称しているが、至言である(寒い冬には、ガソリンでも体内に補給せねば、というのはまた別の話)。
 原油高が進み、このバイオエタノールが注目を浴びている。要は、新規の需給が発生しているわけである。燃料としての需要はこれから急増することが予想される。さすれば、必然的に醸造アルコールの価格は上昇するのである。
 ふと思ったのだが、醸造アルコールは、海外にて粗留アルコールにまで蒸留されたものが、ラムとしてタンカーにて重油を炊いて日本まで運んでこられ、それを再蒸留して使用される。そうしたアルコールを添加した酒は、環境負荷が非常に大きい。ところが、地元の米を使用した、地元で流通している地元の酒は、流通における環境負荷がトータルで考えれば、非常に少ない。全国各地の地酒を入手するのが容易な今日この頃であるが、ロハスな生活を心がける皆さんには、年間の飲酒量の一定量、そうした地場地産の純米酒をきちんと飲んでいただきたいと思う。私も、心がけたい。
 
 
 
【小一時間ほど、ビールの蘊蓄を垂れてみることに 1】
           (2006年8月9日〜 2もあるよ)
 
 いやあ今年は暑い。京都在住の方にはよく分かっていただけると思うが、京都は呼吸をするだけで消耗する暑さである。
 ということで、最近はさし水(汲みたての下御霊神社の井戸水)を大量に用意して、主にウイスキーを嗜む毎日である(現在、ボトルナンバーA73868のジョニ青と川端警察署近くの某店が店をたたむときに購入した白州10年を愛飲中……ご近所の○○ながさん、先日の雑談の内容のネタです)。しかし、今回はウイスキーではなくビールの話。
 最近、高級ビールが元気で、大変嬉しい。コアな読者の方ならば、このHPを開設直後に、「少しぬるいビールが飲みたい」という記事を載せたことを覚えておられよう。当時、発泡酒への流れが強まる中、高品質ビールへの応援のつもりで書いたのだが、時代の大きな流れに抗うことはできず、結局当時好みのビールとして挙げたキリン「ビール職人」「素材厳選」、サントリー「千都麦酒」が廃盤商品となった。余談になるが、今年9月くらいまでに、アサヒ「スーパーモルト」(当時、「スーパーモルツ」と表記してしまった。失礼)も終売のようである。しかし、景気回復の影響からか、それとも発泡酒のあとの、第三のビール(風飲料)の消耗戦からの反省からか、高級ビールのシェアが増えてきた。
 かつての記事において、私は 「大手メーカーの主力ビールは、発泡酒の親戚である(当時は指摘していなかったが、サントリーを除く)。日本の四大大手ビールメーカーの醸造技術は、世界でトップレベルである。しかし、その高い技術は、主に粗悪な原料を利用した、そこそこ飲める飲料を醸造するのに利用されているのである」と断じたが、ようやく、消費者が少し負担をするだけで、「世界のトップレベルの技術によって醸造された、価格パフォーマンスの高い本物の」ビールを飲める時代になりつつある。私はビール党ではない(飲酒党である)が、当時あの記事を書いた頃を思い出すと、隔世の感がある。雑感はまた次回に述べるとして、まずは各社について、手厳しい?コメントなどを。
 高級ビールの流れをつくった最大の功労者はまちがいなくキリンである。「まろやか酵母」を筆頭に「チルドビール」を世に出し、コンビニ市場から高級ビールのシェアを開拓した功績ははかりしれない。ただ、「チルドビール」シリーズは、発想は良いのだが、実際の商品についていえば、やや疑問符がつく。どの商品についても、一寸物足りない要素がある。これは、「市場の開拓」を主眼として、味の方向性を狙いすぎないことによることや、流通後の生きた酵母による後熟効果をふまえた商品設計などによると思われるが……。正直、最近飲んでいない。まあ、わがままな消費者のたわごとです。「ビール職人」は、今回のリニューアル商品はかつての関東バージョンのように米使用なのがやや残念だが、米を使用することによる必然的な味わいがあり、評価したい。
 アサヒは、「酵母ナンバー」は正直??だった。酵母による味わいの違いはあったが、それよりもどの商品にもオフフレーバーが目立った。期待を裏切られたが、その後の「マイルドアロマ」は一応及第点、社運をかけた?プライムタイムは、それなりに評価したい(プライムタイムは、ちょっとお子様向けに味わいを狙っていると思うのは私だけだろうか?)。「熟撰」「極」は評価の対象外。このレベルでプレミアムビールを大手には名乗ってほしくない、というところ。しかし、「富士山」もそうなのだが、アサヒのビールにオフフレーバーが目立つのはなぜだろう。
 恐らく近い将来、第三位に浮上すると思われるサントリーは、「モルツ」の上位バージョンの「プレミアムモルツ」が好調のようで、非常に喜ばしい。高級ビールも、効果的に宣伝をうてばきちんとヒットすることを「広告のサントリー」が見事に証明してくれた。通常の「モルツ」は全国四工場の品質が均一化してきたか、以前ほど違いは見られない。ちょっと香りが強くなり、その要素がマイナスに出ている地域もあるかもしれない。個人的な希望としては、あの伝説の究極のビール「千都麦酒」を、期間、地域限定でスポット醸造してほしい。サントリーの方、見ていたら検討してください。
 サッポロは畑が見えるビールはよかったが、市場では完全に出遅れた。第三のビール風飲料での初期の成功で、方向性を見失ってしまっているのであろうか。この際、スティール・パートナーズ経由で買収されて、どこか海外のビールメーカーの傘下に入った方が将来があるのでは、と思わせる今日この頃である。
 余談であるが、この時期、私のウイスキーの飲み方であるが、ストレートかオンザロック。少し舐めるごとに、大量の水を飲む。60_gほど舐める間に、大体一リットル以上水を飲んでいる(汲みたての地下水が旨いので、ついつい水がすすんでしまう)。極めて、健康的な飲み方である。(この項 続く)
 
【小一時間ほど、ビールの蘊蓄をたれてみることに 2】
                (2006年8月9日〜)
 
 ところで、高級ビールには非常に大きな問題がある。それは、「本当に楽しむならば、きわめて食べ合わせを選ぶ」ビールであることである。
 従来の国産ビールは、日本人が普段食べるものの邪魔をしない、喉の渇きを癒す清涼飲料の意味合いが強かった。よって、たとえば塩分が効いているものなど、「喉が渇きそうなもの」との相性は良かった。ジャガイモのサラダオイル揚げ(編集者注 いわゆる「ポテチ」ですよね)とか、かわきものとか。しかしながら、そうしたものや、普通の「和風居酒屋メニュー」は、高級ビールの味わいを半減するのである。換言すれば、いわゆる和風居酒屋で、メニューに工夫無く高級ビールを置いている場合は、料理と酒との食べ合わせに無関心な店である。観察していただければわかるが、そうした店の場合、日本酒、焼酎にしてもコンセプト無く、無節操に商品を並べている場合が多い。提供する料理にしても、たかがしれているはずだ。そうした三流以下の、存在する価値のない店にいくばくかの金を落とすくらいならば、自宅で飲む方が百倍ましであろう。
 例えば、焼き肉とかには「プレミアムモルツ」や、「ビール職人」は最悪に近い組み合わせ。ホップをふんだんに使用した特有の風味が台無しになる。まだ、発砲酒のほうがましだろう(高級ビールとなると、個人的にはあえてアサヒの「富士山」あたりかなと思う)。焼き肉とか、健康志向からか最近流行のジンギスカン屋でこうしたビールをすすめられたならば、注文する前に店外に出るべきであろう。また、私は絶対にすすめないが、風呂上がりのビールでも、こうしたビールはむかないはずだ。味が重い、味わい深いビールは、止渇飲料ではないからである。
 目的意識を持って新規に高級ビールを置く優良飲食店は、しかるべきメニューを用意している。高級ビールが一過性のブームで終わらないよう、消費者の皆様には、評価すべき店できちんと飲んでもらい、評価すべきでない店は一切無視という姿勢で臨んでいていただきたい。
 最後になるが、一応京都の推奨店など。
 アサヒ関連では、やはり河原町三条の「スーパードライ」を。ここの料理はかなり今一(鮭野基準で)であるが、この店ではスタウトを注文したい、というか、スタウトを飲むために立ち寄る。ここのスタウトと、キリンのハートランドの生のハーフ&ハーフを一度飲んでみたい……かなわぬ想いか。
 サッポロ関連では、ライオンのチェーンくらいしか思いつかない。
 キリン関連では、新京極錦のキリンシティを。やや価格設定は高めであるが、ビール、料理は納得のいく水準。グラスの管理がどうかな、という疑念があるのだが、その点はもうすこし観察することに。
 ここまでは直営だが、サントリー関連では、居酒屋の「和民」系列が、サントリー商品をきちんと提供している(プレミアムモルツはおいていないと思うが)。モルツの生を複数店飲んだ印象では、「和民」系が結構安定している。店数は少ないが、要注意である。余談であるが、「和民」は、チェーンの居酒屋として、その経営姿勢他に最近一寸注目している今日この頃である。
 
【杜氏の味〜時を越えて、伝わる心】
                (2006年7月25日)
 
 たまには、読み物風のものを。
 長年、酒を口にしていると、蔵における杜氏さんの存在の大きさをしみじみ感じることがある。杜氏が変わると、結構味が変わる事例が見受けられる。かつての普通酒全勢の時代はそれほどめだたなかったかもしれないが、特定名称酒になると、杜氏の個性が出てくることが多い。読者の方が共通体験としておなじような経験をされていると思われる、具体的な事例をあげるならば、3年くらい前のエスサーフの展示会の時の「常きげん」の酒は、出品されていたほとんどすべての酒、口にした瞬間に農口さんの顔が浮かぶような味わいだったし、今年3月くらいに口にした山廃純米の生原酒も、「おお、農口さんの酒だ」と思わず口にしてしまった。
 ところで、私にとっての名杜氏の一人に、但馬の藤井好政さんがいる。事情通の方は、「あ、あの方だ」と思うだろう。そう、伏見は「万長」最後の杜氏である(現在、藤岡酒造は息子さんが酒造りを開始し、復活されているが、「万長」というブランドは当面復活させる予定はないそうなので、あえて「最後の」という表記をしておく)。
 そう、あれは「万長」が廃業した96年の冬、万長の大吟醸がまだ残っていないか、伏見中の酒屋をくまなく歩いた。長期保存をして、いつか何かの時に飲もうと思っていたのである。しかしながら、なかなか見つからない。そうしたなか、ある古風の構えをした酒屋に入ったところ、冷蔵庫に二本ほど、眠っていた。店主に、「二本とも私が購入してよろしいでしょうか」とうかがったところ、「そこまで思っていただくのならば、ご遠慮なくどうぞ」と言っていただき、購入した。
数ヶ月置いて、そのうちの一本を開けた。脳裏にその味わいを刻み込みながら久しぶりに口にしたその大吟醸は、以前飲んだ万長の大吟とは一寸味わいが違うが、やはり申し分ない出来映えで、口当たりが丸く、しとやかな、気品のある奥床しい味わいだった。その年の二月に、最初で最後の蔵開きがあったが、その時のことを思い出しながら、口にしたのを今でも覚えている。
 その後、伏見でおなじような味の酒に巡り会ったこともあるが、その刻み込んだ味わいは次第に記憶の片隅に、かすかにとどめるだけだった。
 それから数年後であるが、東京の「日本の酒情報館」にて、『全国新酒鑑評会出品酒きき酒会』が何度か、開催された(採算にあわないイベントだが、是非再開してほしいものである)。そのある年に、近畿地区の酒をきき酒していた時のことである。奈良県のある酒を口にした刹那、ふと懐かしい記憶が蘇った。そう、あのときの万長である。きき酒のはずが、無意識に飲み込んでしまった。一寸酔ったかなと思い、首をかしげながらその酒の瓶の裏を見た。そこには「藤井好政」の名が記されてあった。
 過日、某酒販店に依頼して、その冷蔵庫に長く眠っていたその残りの一本を開封する機会に恵まれた。管理のよさもあり、ヒネを全く感じない、そしてまろやかながら、深い青色の味わいのなかに、藤井さんの息吹が感じられた。また、同時にその前年度のビンテージの万長の大吟も開封してみた。万長は長年、糠杜氏であった山下さんが醸しておられたが、その山下さんの酒もすばらしく、長い時間を超えて二人の杜氏さんとの会話を楽しむことができた。
 優れた技は、条件さえ揃えば時空を越え、選ばれた飲み手にその余韻を感じさせる。これから先、何人の方との会話を楽しむことができるだろうか。いつ、また一期一会の会話をする機会があるかわからないが、その時に備えて、今後も精進したいと思う。
 最後になるが、藤井杜氏は、先にふれた奈良の蔵でしばらく杜氏を務められていたが、今年残念ながら、その蔵は潰れてしまった(このシーズンは醸造されていなかったらしい)。また、どこかで藤井さんの酒に巡り会う機会はあるだろうか。また、山下杜氏は、現在兵庫の大和鶴という酒を醸しているそうであり、興味のある方は探していただきたい。
 
 (編集者後記 さりげなく書いていますが、鮭野先生、なぜ95年瓶詰めのビンテージの万長の大吟を持っていたのか……。次の飲み会ではやはり死蔵?している竹下酒造の金賞受賞酒あたりをお願いいたします)
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 1】
               (2006年6月17日〜)
 
 酒縁あって、最近、造り手の方と飲む機会が増えてきた。会社人対消費者という関係ではなく、ただ酒が好きであるという共通項のみで飲みながら、遠慮無く(編集者注 遠慮しないのはあんただけで、相手の方は狂犬、いや業界の裏の虚人相手にずいぶん気をつかっていると思われますが……)いろいろな話をしていると、勉強になるし、なかなか楽しい。技術屋のみなさんも、消費者と自分たちの価値基準にかなり差があることについて、「新鮮な」発見をされているようで、短いながらも、まことにもって有意義な時間であると信じたい。
 そうした会話の中、はっきりさせないといけないな、と思ったことの一つが、「淡麗辛口」という概念である。そこで、しばらくこのテーマを論じることにしたい。
 読者の方の多くは、淡麗辛口とされる酒を試飲して見て、官能的に辛いと思ったことは殆どないだろう。むしろ、米に由来するしっとりした甘さをそれなりに感じるはずだ。それなのに、「この酒は淡麗辛口です」と説明されて、「ああ、これが淡麗辛口なんだ」と妙に納得している事例が多いと思われる。恐らく、やや甘口と説明されれば、「ああ、甘口ですね」と答えるのではなかろうか。
 私見では、現在、普通の味覚の人が試飲して淡麗辛口と認識するのは、使用される副原料が醸造アルコールまでの、しかも日本酒度がそれなりに+の安い普通酒だけではなかろうか。まずは、そのことについて基礎的なことから整理したい。
 日本酒の味の構成を決める要素はかなり多く、なかなか説明が難しいが、表示されている成分についていえば、味の多さ、少なさを決定する要因がアミノ酸であり、アミノ酸度が高いほど、味が多く感じられやすい。酒の水に対する比重に由来する日本酒度でいえば、エキス分が多い、つまりマイナスの数値が大きければエキス分の主要素である残存糖分が多いということになり、それだけ甘く感じやすい。また、酸度がどれだけあるか、つまり酸味がどれだけあるかに味わいはかなり左右されるが、酸度が高ければ、それだけ酸によって味わいが鋭角的に感じやすくなるので、辛く感じやすい。また、多くの自称啓蒙書などではしばし見過ごされがちだが、アルコール度数が官能にかなり影響を与える。アルコール度数が高ければ、それだけ肉厚な味わいになるし、低ければ軽快、低すぎると軽薄な味わいになる。主にこの4要素のバランスが諸条件により複雑に絡み合い、、さまざまな味わいを構成すると考えてよい。
 それ以外の要素としては、熟成度も重要。アルコール分子は、糖と分子結合が類似しているせいか、まだ若い酒は、アルコールの刺激が強く感じられるが、熟成した酒はむしろ厚みのある甘味を感じる。さらに、香りである。甘い香りの酒の場合、香りが中枢を刺激するからか、味わいの甘さの要素をより強く感じるようになる。鼻がきかないと、味がわからなくなるが、それは香りが味わいの感じ方に、大きな影響を与えるからである。
 
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 2】
 
 さて、今回は歴史的な背景を。
 この極めて読みにくい(苦笑)HPをわざわざ読まれる方なら、大体これから述べることはご存知だと思われるが、戦後の米不足により三増酒が主流となり、未納税取引(いわゆる桶取引)によって、灘・伏見の酒造メーカーがその出荷規模を雪だるま式に増やしていった時代に、一部の本物志向の地方の蔵が、これではいかんということで、糖類を添加せず、さらにアルコールの添加量を押さえる、いわゆる「なるべく米に由来したアルコールによる酒」を追究した一つのスタイルが、「淡麗辛口」であった。
 ところで、三増酒が生まれ、成長を遂げていった時代は、高度成長期の時代であり、肉体労働者の酒であったがために、甘口が否定されず、一定の経済成長を遂げ、頭脳労働者の時代(夜だけは、肉体労働者、というよりも、深夜に及ぶ接待で「肝臓」労働者だった)になり、経験則で翌日も残りやすい、ベタ甘の三増が否定され、酔い覚めがよい辛口が好まれたという説がある。この説はけっこういい線いっていると思うのだが、本質の一部しかついていないと思われる。
 戦後にモノ不足の時代になると、食材の繊細な味わいなどを楽しむような余裕はない。また、調味料にしても、熟成をきちんととったことによる、時間が生み出す味わいの奥深さを追究する余裕が無く、熟成不足による味わい不足を、いろいろな添加物を使用して補うというものが多くなった。さらに、戦後すぐのお子ちゃまは、戦時中に「生きて虜囚の辱めを受けず」と、捕虜になることを拒んで救いの手を拒否して死んでいった自分たちの父親の無念の心中など関係無しに、「ギブミーチョコレート」で、新しい甘味を旨味の絶対的な価値基準として、脳裏に刻み込んでいる。そこに入ってくるのが化学調味料である。今の60〜80代は、「何にでも化学調味料をふりかければ、味が良くなる」という考えの味覚音痴の方が極めて多い。当時、精神論を過信して戦争に負けたというコンプレックスが、「化学」とか「科学」という言葉に無条件に負けてしまったのであるかもしれない。さらに、その後に普及しだしたTVの料理番組がその流れに拍車をかけたことは、想像に難くない。評価基準が、完全に味付けの濃い東京基準になってしまったのである。保存性とか、文化とかの必然のない「濃厚な味わい」が普通の日本国民の味覚の基準となり、そうした味わいにあわせる酒は、必然味の濃い酒になってしまうことになる。
 ところが、地方で、どうしても鮮度が味覚の基準になってしまうこともある。良い漁港が近く、鮮度のよい魚が何よりもの御馳走という所では、甘ったるい酒だと、なによりも刺身がまずくなる。そうした地域において、良心的酒造家による、世の流行とは逆行した「淡麗辛口」への追究がはじまるのは、歴史の必然であった。その代表が、「越乃寒梅」で知られる、新潟の石本酒造である。
 
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 3】
 
 ここからは、まずは必要なことをかなりアバウトに。
越乃寒梅が「幻の名酒」とされ、初期の地酒ブームを牽引した。そしてそれからしばらくして、もう一つの新しい流れが出てきた。それが、吟醸酒ブームである。
 鑑評会のためだけに仕込まれた「特別な酒」である吟醸酒が、市場に徐々に浸透しだしたのである。当時の概念でいえば、米を原料にしているのに、なぜかデリシャス林檎の芳香を思わせるような果実系の香りがする、とても米を原料にしているとは思えない酒は、巡り会った酒徒に文化的衝撃を与えたのである(カルチャーショックですね……編集者注)。
 ここで、一つのことを思い出したい。さすがに最近は減少したが、特級、一級、二級の級種が廃止されてしばらくしても、商品表示など無関心なおばさんのみならず、そこらの呑兵衛までもが、「地酒の二級酒を買うのが、ツウ(らしい)」と言っていたことを。そうして、地方に行っては、おみやげに糖類はおろか、アミノ酸までばりばりに添加されている地酒の二級や「デラックス」(さすがに最近は見かけなくなった)を、商品知識のない売り場のおばさんに奨められて買っていたのである(しかも、懐具合を考えて安いやつを。苦笑)。「地酒の二級を買うのがツウ」というのは、商品表示で、添加物の少ない地酒で、他の二級よりなぜか価格が高いものを買うのがツウであり、何ら知識無く、闇雲に二級酒を買っていたら、それだけかえって美酒に巡り会うチャンスを失っていた。ことの本質は、宮城の一の蔵が、コストをかけて造った酒を、なるべく安く飲んで欲しいという願いで、「無鑑査二級」として商品を出し、それに追随するメーカー(大吟など、造っても特級で出したらば末端価格が跳ね上がり、なかなか買ってくれない)が多かったことによる。
 勘の良い方ならばそろそろおわかりかと思うが、越乃寒梅に端を発した「淡麗辛口」の流れの定着と、吟醸酒の登場がそれほど時間差無く発生したのが、今日に及ぶ混乱の、そして日本酒にとっての不幸の始まりなのであった。
                       (この項 続く)
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 4】
 
 本格的な地酒ブームが到来し、越乃寒梅が幻の酒となり、(懐かしい話だが)白ラベル〜特別本醸造が一升瓶1本1万円を超す価格で取引されるようになった(関連する項目として、読んでない方は過去の私の玉稿を参照)。実際は見識のかけらもない、石本酒造と特約ではない多くの有名酒販店はもとより、一般酒販店にもプレミア価格で並び、かなり多くの消費者が、その価格がその商品の品質を意味すると固く信じていた時に、次のようなことが、酒販店、飲食店、そして自称日本酒通の人々に、普遍的な法則であるかのように言われていた。
 
 「いいお酒は、冷やで飲むのが飲み方の基本ですよ」
 
 この「いいお酒」が指すものは、芳香豊かな吟醸酒を意味するのである。酢酸イソアミルやカプロン酸エチルなどの吟醸香を構成する成分は揮発性が高く、品温を上げるとすぐに飛んでしまう。燗をつけると、そうした芳香成分が飛んでしまったり、かえって刺激的に感じてしまう。吟醸酒を味わう楽しみの一つは、その果実香であるから、燗をつけると、その楽しみが半減してしまう(もっとも、7号とか9号で醸され、よりよく熟成された香味バランスの取れたものは、人肌くらいの燗にして、その味わいのきめ細やかさを楽しむのも良いのであるが)。しかし、価格のこともあり、この原則が新潟の、亀田の人に一般酒として心ゆくまで楽しんで欲しいと願って醸された越乃寒梅の本醸造クラスの酒に適応され、それが基準となってしまったのである。普通の飲食店で、越乃寒梅を「燗」で提供された方はほとんどいないのではないか。私なども、かつてある京都の飲食店で他に飲む酒がないので、白ラベルを「燗」にしてくれと頼んだら、この馬鹿、酒がまったくわかっていないというあわれみをこめた表情で「そんなもったいないことできません」と、きき酒師の資格をもつ方に説教されたことがある。疑問を持ち、問題を解決する能力を涵養しない教育のせいだろうか、読めば日本酒がわからなくなるような本を著した蝶谷チェンチェイとか、日本酒バカではない、単なる○×のような魚柄チェンチェイのような、私からすれば最近食害が問題となっている馬や鹿の親戚であり、はやく害獣として業界は駆除すべきではないかと思われる方に、嘘も百回言われれば本当であると信じてしまう方が沢山存在し、さらにそうしたチェンチェイ方を担ぎ上げて喜んでいるのが、戦後の日本人なのである。燗をつけてはじめて本来の「淡麗辛口」となる酒が、キンキンに冷やして提供され、その味わいを殺したそっけもない味わいこそが日本酒ツウが随喜の涙を流すべき淡麗辛口であると人々は信じ、その味わいを基準に酒を探し、またそうした温度で飲んだのである。全国多様な味わいの地酒も、キンキンに冷やしてしまえば、差異はそれほどはっきりとはしない。かくして、各地の地酒が個性を磨き、多様性を打ち出そうとしていた時期に、実はほとんどの消費者はそうした楽しみをさほど享受することなく、馬鹿の一つ覚えのように懸命に酒を冷やし、グラスを冷やして飲んでいたのである。なんとももったいない……。
 ちなみに、越乃寒梅の高級酒も、燗をつけてオッケー牧場(というか、商品に応じて適切な燗をつけるべき)である。きき酒師の資格をもったりする、うんちく垂れまくりの自称日本酒通のブロガーの皆さん(この日本酒通は、私も時々読み、勉強させていただいている、スペックから味を判断しない率直感想派の隊長丹醸さんのような方は当然該当しない……というか、彼らのブログは業界関係者必読ですね)は、神妙な顔で、せいぜいやや冷やした位の寒梅の味わいについて、必死にソムリエの猿真似のようなコメントしようとしているのだが、そうした連中が日本酒の飲み方について何もわかっていないのは、ここまでの記述であきらかであろう。そうした状況のなか、やはりこの方にはかなりのセンスを感じる(5月22日の日記を参照)。ただし、個人的な経験では、金無垢は、かなり前に二回ほど熟成不足によるひどいものを買ったことがある(去年年末に買った特醸酒も違う意味でか一寸ひどかったような……まあ、独り言ですが、流通は大丈夫でも時々大はずれを引くことがありますので注意が必要です)。  (この項 続く)
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 5】
 
 前回は酔った勢いで書きなぐってしまったが、続きを。
 「淡麗辛口」の「辛口」は、本来は味が辛いのではなく、燗をつけたときに、あくまでも切れ味が良いということである。さて、「淡麗」であるが、これは「あまり味の多くない」、すなわちアミノ酸に由来する味が強調されない、すなわち旨味が強すぎないということになろう。
 ここで一つ、ここまで熱心に読んでいただいた方に、「教科書は教えてくれない」雑学を。本質を知らないまま新潟の淡麗辛口をけなす輩が時々話題にすることの一つに、「新潟の酒は活性炭濾過の度が過ぎる」ということがある。これは、私の記憶では日和佐省二氏がかつてその著書で、「調べてみたところ、新潟の活性炭使用量は、灘よりも多い」という主旨のことを述べ、その読者をもとに広まったのだと思われる。そして、「新潟の酒が淡麗なのは、過度に活性炭を使って味を抜いているからだ」と語る輩が(世間のいわゆる有名酒販店の中にも)存在するのには少々あきれる。この活性炭の使用量が統計上多い、というのは、実は本醸造クラスの特定名称酒の比率が高く、普通酒にも糖類を添加している事例は他の県よりも比率が低く、ましてや三増酒の比率もきわめて低かったことによるのではなかろうか。アル添で伸ばす量が少ないと、酒の生成数量と比較すれば、活性炭の使用量は落ちる。活性炭の使用量が当時多かったのは、純米比率などまだ数%だった時代としては、平均してスペックの高い本醸造タイプの商品が流通していたからであると考えられ、むしろ地方の二級はまだ三増が主流だった当時の状況としては評価すべき事柄である(まあ有名ブランド数社でシェアのかなりを占め、そうした所が三増酒を出していなかったという背景があったことも付け加えておく)。
 新潟本流の淡麗辛口の場合、濾過で味を抜くよりも、むしろ蒸米の段階でかなり固く米を蒸しあげていることに由来するはずだ。これは、新潟の酒米である五百万石が、他の酒米と比較してタンパク質の残量が比較的多いことによる、ある意味必然的な流れである。
 一時期地酒ブームにあぐらをかいていた新潟の蔵は、その一定比率は炭濾過や付け香といった、比較的安易な手法に頼りすぎ、必要以上に評判を落とした感がある。最近、新潟も他府県の酒の傾向を意識してか、やや味のある酒が増える傾向にあるが、例えば本醸造にこだわるならば、本来の新潟のあるべきスタイルをさらにつきつめる方向で考えるべきであろう。
 
【淡麗辛口の本質……甘口と辛口を考える 5】
 
 さて、思いつくまま書いてきたが、そろそろまとめる方向で。
 ネコもしゃくしもスーパードライも淡麗辛口という時期が過ぎると、新しいトレンドが発生した。いわゆる濃醇タイプである。このことについては機を改めて記したいが、基本的に現在の日本酒、分類するならばいわゆる辛口の酒が市場を形成している。
 しかしながら、「どう辛口なのか」というわかりやすい説明がされたことはないのではなかろうか。
 かつて淡麗辛口がブームになりだし、そして糖類が添加された大手の特級や一級酒が「違いのわかる」愛酒家によって否定されだした時の甘口の問題点は、糖類を添加したことによる、ベタつく感じで残る甘さであった。しかし、昨今の糖類を添加しない甘口酒の中には、その甘さが米由来であるがためか、優れた味わいのものも多く、かつて問題にされたようなものと同類の甘さは感じない。
 辛口が重宝された理由の一つは、食間に飲んで、料理の味をこわさない、ということである。つまりは、口に残った料理の味を酒を含むことにより一旦切り、味蕾細胞を軽〜く刺激したあとに改めて料理を口にすると、先の一口よりもさらに味わいを増す役割を果たす。よって同じ味を切るという役割でも、新鮮な魚の場合、アミノ酸の少ない、味の締まった辛口が求められるものの、山間部の地域で、漬け物や味噌などの濃厚な味付けと合わせる場合は、そうした料理に負けないような、アミノ酸の味がそれなりにしっかり残っている辛口の方が、淡麗なタイプよりも好ましい。
 そうした観点から、いろいろな地域の酒を考えてみるのも興味深いものだ。例えば京都であるならば、新鮮な魚が手に入りにくいという環境にあったため、野菜を利用した料理技術が発達した。そうした料理にあうのは、あまり個性が強調されないおだやかな味わいの酒になる。他方、琵琶湖を抱く滋賀県は、川魚が豊富だが、海の魚と比較すると癖が強く、さらに甘露煮などの貯蔵性の高い食品が多いため、気象条件にもよるが、味のやや濃い、個性の強い酒の方があう。こうした観点で考えると、例えば京料理の店の多くが地方の酒をそろえているのにはかなり違和感がある(郷土料理の店で、その地方の酒を置くのは好ましいと思うのだが)。
 もし皆さんが銘醸地で知られる地方に旅行に行き、食事しようとしたときに、その地元の有力銘柄ではなく、料理との必然性を感じられない他の地方の地酒としての全国銘柄や、焼酎が主力商品として並んでいたら、どう思うだろうか。日本を代表する観光都市・京都にいて、長らく考えていることである。
 多くの飲食店、そして飲食店に酒をすすめる、酒販店の方々に一度真剣に考えてほしい問題である。           (この項 一旦了)
 
【酒屋の見識、蔵の見識】(2006年5月6日)
 
 初期の地酒ブームを牽引したのは、新潟の本醸造酒であることは多くの人が認めることであろう。越乃寒梅が幻の酒と評され、その後、寒梅に未納税取引をしていたことなどが機に八海山が、特選街のコンテストを機に雪中梅が、そして久保田がプレミア商品化したのは、皆さんよくご存知だと思われる。ところが、ここに来てかなり流れが変わってきた。「攻めの経営」の結果、醸造石数が極端に増えた銘柄の場合、焼酎ブームのあおりで商品がだぶつき、在庫過多になった影響からか、市場価格の下落、そして、新規特約店が結構出てきたのである。今回は、最近見かけた、新規特約店についてのお話である。
 まず驚いた事例。京都市内にある、多くの地酒ファンが知っている、無濾過系統の生原酒を、エアコンの効いた程度の室温で管理していた(注)、某業界乞食の漫画家が管理がしっかりしていると絶賛された、通称「迷酒の館」に久々に足を踏み入れた時、雪中梅が定価で販売されているのに驚いた。同店では、少し前までプレミア価格で販売されていたからである(ちなみに同店では、以前、雪中梅の糖類添加の普通酒を本醸造としてかなり長期にわたり販売していたのも、知る人ぞ知るというレベルではなく、かなり知られている話である)。また、京都市北部で、通称ガソリン屋とされる某店で八海山が定価で販売されはじめたのにも驚いた(ここは15年くらい前だと、菊姫の山廃純米で7000円、天狗舞の山廃純米あたりでも6000円とかで売っていた所である)。
 私が疑問に思うのは、新規取引を受け入れた蔵(というか、お願いしたというのが正確か)、そうした新規取引の店で自分の蔵の商品を、つい先日までプレミア価格で購入し、その価格こそその商品の正価だと考えていた消費者が、通常小売価格に「値下げ」されていたのを見たら、どう思うか、考えたことがあるだろうか。また、どこでどのような経由を経たかもわからぬ、故に品質の保証も出来ないはずなのに平気でプレミア価格で販売していたような酒屋に、自社の商品をまかせられると判断したのだろうか。
 酒が売れないからといって、闇雲に販路を広げると、これまでに築き上げてきた「信用」が失われることになる。新規取引を拡大されるのは大いに結構であるが、まずは相手の顔をきちんと確認してからすべきではなかろうか。
 
 
注:最近はしっかりした生原酒ならば、室温でおいておいたらさらに味わい深くなるという、蝶谷初男チェンチェイもびっくり!の珍説が流布されつつあるので、その先取りをされていたのかもしれない。また、温暖化が進むとされる昨今、京都議定書が結ばれた土地で、率先して省エネにいそしんでおられたのかもしれないことを付記しておく。
 
【カップ酒ブームについて考える 1】(2006年2月5日)
 
 空前のカップ酒ブームの今日この頃である。カップ酒については、私が冬眠?(飲み過ぎでぶっ倒れていただけでは 編集者注)している間に多くの方がいろいろな意見を述べているが、とりあえずほとんど触れられていないことについて。
 小売店としては、集めてみたカップ酒が回転する、ということで、日本酒が売れているという手応えを感じる場合があるが、数量的に出ているかどうか。10人のお客さんが、カップ酒を2本ずつ購入したとしよう。店としては、結構日本酒が売れた、という感覚を持ってしまうが、実際に売れた数量は二升である。カップ酒が売れるということと、日本酒の消費が伸びる、ということは必ずしも一致しない。確かに、カップ酒がブームになることにより、日本酒に興味が無かった消費者が日本酒を手にする一つのきっかけになる、というプラス要素はあるが、そうした新規の消費者が、大きい容量の商品の購入に結びつかないと、消費回復にそれほどつながらないのである。
 また、地方のカップ酒特集として、いろいろ集めて販売されているが、調べてみると、地方の三増酒が結構ならんでいることがある。そうした商品、わざわざ引く必要があるのか、商品を引く問屋の方、そしてそうした商品を並べる小売り店の方には、きちんと考えていただきたい。
 もう一つ、ゴミの問題も考えたい。実は、カップ酒はかなり環境負荷がかかる商品である。もちろん、駅の立ち食い蕎麦での水の容器など、有効に再利用されている事例もあるが、基本的にワンウェイである。環境問題がささやかれる昨今、こうした視点が欠落している現状が、私には一寸理解できない。
 では、次回、私なりに考えていることを述べたいと思う。
 
 余談ながら、カップ酒といえば、自棄酒マン氏の存在を忘れてはいけない。氏はカップ酒に関しては世界の第一人者であるが、自棄酒マン氏のように、地道に調査されていた人に日が当たらず、にわかカップ酒ファンのライターが記事を書いたりコメントしたりする、という現状にこのブームの違和感を感じるのは、私だけだろうか。
 
 
【カップ酒ブームについて考える 2】(2006年2月14日)
 
 カップ酒ブームに対して、冷ややかな視線を送っている業界関係者は少なくない。その多くは、カップ酒は品質が劣化しやすいという視点から、疑問視している。例えば、中野繁氏は、その自己矛盾に満ちたコラム「多酒創論」にて、「カップ酒は構造的に欠陥がある」と、気密性に乏しく、またカップの口径が大きいことから、空気が入りやすく、それによる酸化による劣化の可能性を指摘されている。この主張は、一見正しそうで、実はかなりおかしい。(平気で馬鹿なことを述べる輩に一々突っ込みを入れるのは気が引けるが、例えば、氏は「カップの口徑が大きければ空気が入りやすいのは、誰にでもわかる真理です」とのたまっているが、氏は開封した商品、すぐに酸化すると認識しなかったのであろうか。きき猪口に注いで、しばらくおいておけば香味に変化が生じるのは、業界人ならばだれでも知っている真理である)。ただし、劣化しやすいのは事実である。カップに充填する際に、国産の缶ビールのように窒素充填をする事例はほとんどない。よって、どうしても酸素がカップ内に残ってしまい、条件は瓶詰め商品よりも悪くなる。そうした商品を、常温で長期保存すれば、容量の大きい瓶詰め商品よりも、劣化が早いのは自明である。
 「手軽さ」がイメージのカップ酒、「手軽」に手を出してもらえるように陳列してある場合が多いが、結果として光が当たることなどによる劣化が早く、結果として購入した消費者が、劣化したおいしくない酒を飲むことになることになる、品質の高い商品をわざわざカップにつめて、劣化させるなんてもったいないというのが、ワンカップ否定派の良識的一般論として、「真理」であろう。
 しかしながら、このような認識がまかり通ることが実はものすごい恥ずかしいことであることに、業界関係者は気が付かなければいけない。
 「ワンカップ」といえども、人様が口にする、販売する側にとって大切な「お客様」が口にする商品である。陳列する見栄えの良さ、販売数量が少しでも伸びれば良いという価値観のもと、劣化するとわかっていながら蛍光灯の紫外線にガンガンに当てながら、販売することに何ら問題意識を持たないのであろうか。いかなる商品でも、適切な品質管理が必要である。たとえで考えてみよう。どんなに安い肉、魚でも、冷蔵していなければ、ほとんど誰も購入しない。品質が劣化した肉や魚など、購入する価値がないからだ。酒にしても同様である。適正な管理がされていて、はじめて商品価値が存在するのである。これは実はカップ酒だけの問題ではない。私は常日頃述べているが、商品に応じての適正な流通管理がされている事例が、日本酒の場合、あまりにも少ない。きわめて多くの酒販店において、商品価値を失った商品が、平気で陳列され、販売されているのである。ブームに便乗して、品質のことなど全く念頭になく、ワンカップを大量に見映えよく陳列して販売して平気のおまいら、恥ずかしいとは思わないのですか(鮭野先生、NHKの見過ぎです……編集者注)。
 日本酒を醸造する側が、カップ酒を通じて日本酒の魅力を気軽に知ってもらいたい、と思い、品質の高い商品を詰めるのはいいことだと思う。しかし、その思いは販売されるまでの過程で、かなりの確率で踏みにじられているのが現実である。自分たちが伝えたい気持ちが、曲解されて伝わっているのである。
 カップ酒ブームは、一つの大きなチャンスである。醸造家の皆さん、このブームに便乗して、日本酒の商品管理について、特に遮光条件についてきちんと販売する側にものを申す必要があるのではないでしょうか。もし、少しでも美味しい商品を、ファンの皆さんに飲んでいただきたいという気持ちが少しでも残っているならば……。
 
【カップ酒ブームについて考える 3】(2006年2月18日)
 
 最後に、一寸補足などを。
 まず一点。前回編集者が注を入れている(京都ではNHKは2チャンネルです……編集者注)が、私は基本的に酒関係のネット掲示板は最近はほとんど見ていない。以前は、私が得ている情報がどの程度世間で認知されているか、確認するために閲覧していたが……。私はテレビも基本的に見ないが、NHKだけは聞くようにしている(梨元放送協会ですね……編集者注)。
 さて、前回書き損ねたこと。カップ酒が売れていることについて、「日本酒に興味を持っていない人が、この機会に興味を持つことはいいことだ」という見方はたしかにある。そうした意見、私のような一般消費者の視点から思うのはいいことだと思うのだが、酒販店や、日本酒ジャーナリストがそのように思っていたとしたらば、大いに反省してもらいたい。「お前等はこれまでなにをしてきたんですか」。何かにつけて述べてきた記憶があるが、良い商品を醸すのが醸造家の仕事であり、良い商品を伝えるのがジャーナリストや酒販店の仕事である。そして、良い商品を購入することによって支持するのが、消費者の役割であり、この三者の関係がバランス良く機能してこそ、健全なマーケットが形成される。過去を振り返ると、醸造家はそれなりに頑張ってきた所は多いはず。しかし、それがマーケットに直接結びつかなかったのはなぜなのか、ということをきちんと考える必要があろう。心あたりがある方は、真摯に考えてみてほしい。
 あと、ワンカップはあくまでも外見である。人間同様、酒も中身が大事である。中身がともなわないと、長い付き合いは望めない。醸造家の方には、さらなる精進を、そして流通に関わる方には、もう一度述べるが、心ある醸造家の商品がきちんと伝わるよう、つとめていただきたいものである。これはワンカップのみならず、他の容量の商品にしてもそうである。
 ワンカップは、あくまでも販売するための一つの手段に過ぎず、過度の期待をしてはいけない。ブームは、必ず下火になる。その下火になる前に、きちんと次の段階に進まないと、どうなるか。これまで地酒ブームを経て、それなりに痛い目にあわれた方は、よくわかっていると思う。このブームを通して、反省すべき点はきちんと反省し、次の段階に、ともかく「前」に進んで欲しい。
 
【きき酒の楽しみ】(2005年12月14日)
 
 過日、久しぶりにきき酒の依頼を受けた。名前を存じ上げない蔵から、サンプルが届いたとのこと。全く新しい出会いでもあり、サンプルの商品を口にし、簡単にコメントをしながら、なかなか楽しい一時だった。そこで、その時に思ったことなど、私なりのきき酒のこだわりを、いくつか。
 まず、きき酒をする際には、口にするまで一切、先入観を無くす。先入観があると、先入観に味覚が引きずられてしまうからだ。口に含んで、味わいを確認してから、過去に口にしたことのある商品の場合、そうした味を思い出すことにする。
 先入観を無くしてきき酒する、というのはあまり知られていないが、結構重要なことである。「この酒はこういう味がする」とか、「以前飲んだときに好きでない味だった」とはじめから思いこんで飲むと、味わいの変化に気がつかないことが多い。また、感情にも左右されるので、落ち着いた精神状態で口にしないといけない。楽しいときに飲む酒の味わいは格別で、不快な精神状態の時に飲む酒はそうではないことからもわかると思う。
 また、温度でもずいぶん違ってくる。ワインのように、飲む温度が約束事のようにきめられている場合は別だが、醸造酒の場合、一度の温度の違いが、ずいぶん味わいを変えてしまうことがある。口にした場合、温度が変化した時にどのくらい味がかわるかを考えたりする。余談だが、これはビールにしてもしかりであり、麦芽100%のビールはピルスナータイプでも、少しだけぬるい方が旨味が増すことがある。
 醸造酒のむずかしさの一つは、この温度の差による味わいの違いが、飲み手が認識しているか否かであろう。「あの店で出す酒は、他の店で飲む同じ酒と味が違う」という印象を持つことがしばしあるが、店に並ぶまでの流通、そして開封してから日が経過しているか、といった要素の他に、店で提供される際の温度の違いがあることも知っておく必要がある。
 一般の消費者の方に、どのお酒を購入していいかという相談を受けたときに私が気をつけるのは、自分にとってのお奨めの商品を推奨するのではなく、普段その人がどのお酒を美味しいと思うかをまずうかがった上で、そのお酒をどのようにして飲んでいるかを確認し、紹介することにしている。そうして紹介したお酒は、これまでの経験では大きなはずれはないようだ。一番注意しなければいけないのは、自分の美味しいと思うものが、かならずしも相手が美味しいと思うものではない、ということ。ブランド志向の、思い上がった酒販店や飲食店にそうした勘違いが多々見受けられる。読者の皆さんも、客として店に行ったときに同じ事を思ったことがしばしあるだろう。料理にしても、お酒にしても、「これ、美味しいですよ」と出されたものに限って、たいがい旨く感じないものである。それは、相手に「味覚を強要」しているからであり、同じ商品でも、「面白いものがありますが」とすすめられた場合では、ずいぶん味わいが違って感じられる。「味覚を強要する」人ほど、人間として思い上がりがある場合が多い、というのは私の経験が教えてくれる。故に、私も他の人に酒の味わいについて話す時に、一番気をつけていることである。
 
 
【ひやおろし再考 1】(2005年11月6日)
 
 秋といえば、日本酒は「ひやおろし」。
 「ひやおろし」は、ごく一部の例外を除いて、室温で飲むのが好ましいと思われる。これはニッポンの常識だと思っていたのだが、「ひやおろしは、ぬる燗で飲(や)るのがツウ」という、「誤った」認識が世にはばかり出しているので、一寸ここで触れることにした。
 もちろん、酒は嗜好品であり、「ひやおろし」をぬる燗で飲むのも別にかまわない。普通の消費者は、自宅に何本も酒を常備しているわけではなく、開栓しているのは通常一本だろう。室温で飲み、一寸あたたかいものを飲みたくなったときに、ちょいと燗酒をつけるのは、自由な飲み方である。日本酒は、そこまで懐の狭い酒ではない。しかしながら、この時期にぬる燗にするならば、「ひやおろし」の商品を、というのは大きな間違いである。
 「ひやおろし」とは、業界では実は現在の所、厳格な定義付けをしていない。規定がないために、「秋口に出荷をする際に火入れをしない酒」ならば、「ひやおろし」として商品化してよいようだ。事実、(春先の火入れがされていない)生酒のひやおろしも、結構多くの商品が出ている。しかしながら、文化的背景からして、これは一寸どうかと思う。そのことについてはまた後で触れるとして、なぜぬる燗にするならば「ひやおろし」、というのが間違いであるかについて述べることにする。
 「ひやおろし」の商品は、通常流通される商品と比較し、火入れ回数が一度少ない。現代の酒において、火入れの回数が一度少ないことのメリットの一つは、高温で揮発しやすいデリケートなエステル香成分、いわゆる吟醸香の損失がそれだけ少なくなる、ということである。換言するならば、ひやおろしの商品、二度火入れされる商品よりも、それだけ吟醸香が残っている。若い吟醸酒を燗にした場合、冷や酒で感じられた華やかなエステル香が、酒を口にする際にむしろ刺激的に感じられ、不快に感じられることが多いのは、読者の皆さんもご存知かと思う。同一スペックの二度火入れした商品と比較した場合、燗酒にどちらかといえば向かない、ということは、この説明でよく分かっていただけると思う。
 さらにいえば、高精米の「ひやおろし」が最近かなり市場にでているが、その多くは高級酒であるがために、かなりのものは低温(冷蔵)で貯蔵されている。貯蔵温度が低ければひくいほど、酒の場合は熟成が遅い。燗にした場合、熟成の不足した酒は、きちんと熟成した酒よりも舌に刺激的である。ぬる燗で、熟成によるまろやかな旨味をもとめるならば、(管理がある程度きちんとしているのが前提だが)同一スペックの二度火入れした、醸造年度が古い商品の方が旨いと考えるのが普通だし、事実そうである。
 さらにいえば、秋の味覚と、ひやおろしは食べ合わせて旨いのか。これもかなり疑問がある。よく、ひやおろしにお奨めの酒として、焼きサンマが挙げられるが、これはまったくの嘘。ひやおろしの酒に残る吟醸香と、焼き魚の香りは官能的に×だろう。その組み合わせで「旨い、旨い」と酒を飲む方は、この酒販店・酒造メーカーへの配慮のかけらもない、事実をありのままにしたためる顰蹙なHPではなく、見るからに乞食のような男の酒の本とか、金をもらって提灯記事を書く節操のかけらもないライターのHPでも読んでいた方が、同感できると思う。
 では、なぜそのような誤解が生じるのか。「ひやおろし」が珍重された歴史的背景をきちんと認識しないものが情報を発信し、自らの味覚を信じずに、知識・思いこみだけで酒を飲む人間がそれを鵜呑みにしてしまっているからである。(次回に続く)
 
【ひやおろし再考 2】(2005年11月23日更新)
 
 「ひやおろし」の定義が、世間でどのように認知されているか、まず確認しよう。「喫煙の間にきき酒をする」ことで高名なソムリエや、「仕事柄ワインを嗜むも、実は一番飲む頻度が高いのが焼酎」であったと自認するソムリエが発起人で、その合格者の多くの能力が疑わしい資格試験を行う営利目的団体・日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会のHPによれば、
 
冷卸し(ひやおろし)
 かつては樽詰めの際に加熱処理をせず、生のまま詰められたのが由来。夏場の熟成を経て秋口に入り生詰めされる清酒のこと。
 
 ということであり、最近、本当に活動しているのかよくわからない、日本酒造組合中央会のHPによれば、
 
ひやおろし(ひやおろし)
 昔は冬から春につくられ火入れして貯蔵した清酒は、秋になりその温度と外気温が同じくらいになると、貯蔵容器の大桶から樽に詰めて出荷した。これをひやおろし(冷卸し)という。この時期になると、新酒のあらさがすっかり消えまるみがでてほどよく熟成し、酒の最も飲みごろとされていた。
 
とある。日本名門酒会のHPは、いろいろと細かく書いているが(HP参照。ただ、つっこみどころも多い)、まあせいぜい、「貯蔵容器の桶から、樽にそのまま詰めて出荷した」くらいのことしか書いておらず、春先から酒の熟成が進んだことはわかるが、「ひやおろし」がなぜ珍重されたか、実はよくわからない。 珍重された背景、なぜかほとんど触れられることがないが、この要素をまず押さえたい。
 「ひやおろし」の言葉がいつぐらいから使われだされたのかはよくわからないが、珍重されたのは、江戸時代にはじまるはずだ。なぜならば、江戸期において「寒造り」が制度として恒常的になる前は、貯蔵性がよくなく、できあがった酒をすぐに飲んでいたからである。十四世紀以降、さまざまな工具が日本に伝来し、壺や甕では不可能な大規模な仕込みが可能となる、杉の大桶の製造が可能となり、「火入れ」の技術が発明され、さらに「寒造り」が定着したことによって、はじめて厳冬期に醸された酒が、夏場を越して多くの人々の口に入るようになったのである。
 では、当時、火入れはどのように行われていたのであろうか。手許にある江戸時代初期に著されたとされる「童蒙酒造記」(酒史研究8 日本酒造史学会翻刻本による)などをもとに確認しよう。
 火入れの時期については、同書巻五「火前時節を知る事」(いちいち断らないが、以下、時期が記されている場合は、旧暦である)に、
 
【一】 江戸積諸白 五月節半夏前。春造りを中過ぎ<に>、寒造りを半夏過迄に入へし
【一】 片白斗水位 五月節の中前に火入へし。其内春造りを先に入へし
 
などとあるように、大体旧暦五月半ばに行われていた。そうして一度目の火入れが行われた後、二度目以降の火入れについては、同書巻五「弐番火之事」に、
 
【一】諸白新桶 弐三年の中、弐番火に不及<候>。夫中も火の時節ハ、度々呑利合〔せ〕、足次第たるへし
【一】江戸積諸伯 大体壱番火より日数六十日程に火入へし。手引間、或ハ少手引(より)前にも入へし。但し壱番火大体(より)早くは、其日数程延て入〔る〕も不苦
【一】片白弐番火 諸白同前。兎角風味次第たるへし。但し片白は新桶にても火入へし。諸事足弱き酒の類、度々呑利合〔せ〕、日数三四五十日の中、風味好〔ミ〕次第に何ヶ度も火入へし。
 
とあり、三度目以降の火入れについては、同「三番火之事」に
 
【一】諸白 三番火に不及候。其故ハ、時分秋風立て涼敷き成故也
【一】片白 弐番火より日数六十日程に火入へし。但し度々呑利合〔せ〕、風味替〔る〕事なくハ、火に不及候。何事にても尻口薄く、小味ならハ、火を入れし。
<○足弱キ酒の類風味好次第、何度ニても火を入れし>
 
とある。
(ここまでの注 一読して、足とは何ぞやと思う方が居られるかと思うが、足とは同書巻一に「酒の足とハ、酒の性の事なり」とあるように、酒質を意味する)
 
 要するに、夏場越す貯蔵の場合、新桶でない場合は、酒質に応じて、何度も火入れが行われた、ということであり、「ひやおろし」は、秋風が立つ時期に火入れの必要がない、当初は酒質がしっかりしている、「諸白」の酒であったのであろうと考えられる。
 当時は、酒の精米歩合などまだ悪く、蒸米だけを飯米程度にした「片白」の酒と、それよりも贅沢な麹米も白米にした「諸白」の酒が両立していた。「片白」よりも「諸白」の方が贅沢な酒であることは、確認するまでもないことである。また、火入れ回数が少ないと、それだけ酒精の欠損も少なく、風味もかわらない。秋口に火入れの必要がない酒は、それだけ風味のよい酒であったことがわかる。
 さらに、夏場に詰められる酒の場合は、当然出荷する樽に詰める前に、火入れが行われた。火入れされた酒をそのまま樽に詰めるのである。当然、その酒には、強烈な杉の木香がついてしまう。ところが、雑菌の心配が少なくなる秋口ならば、これもまた雑菌の心配のない新樽に詰める場合、火入れの工程を経由せずに、詰めることが出来る。すなわち、木の香りが、夏場詰めて出荷される酒よりも、おだやかである。よって、貯蔵段階での火入れ回数のより少ない、火入れされないまま詰められる、木香のおだやかな(高級酒である諸白の)「ひやおろし」が珍重されるようになったのである。
 以上の記述から、「ひやおろし」が珍重された理由、多くの業界関係のHPや、だらしない飲み方をしているからであろうか、熟柿香がその行間から感じられるものの、教養のかけらも感じさせない無知無能なライターによってされる、単に「夏場を過ぎて、よりよく熟成されたので飲み頃云々」という主旨の説明では、ほとんど背景の説明になっていないことはよくおわかりいただけると思う。
 現代の清酒と、「ひやおろし」が珍重された時代の清酒とでは、酒そのものの質も異なり、また貯蔵条件なども違う。そうしたことを前提に、もう一度「ひやおろし」のありかたについて考え直す必要があるのでは、と思うのは、読者がその文章の行間から教養のかけらくらいは感じることのできる(それ以上に性格の悪さをうかがい知ることが出来る)、私の妄想に過ぎないのであろうか。【12月14日 補記 「童蒙酒造記」関連のことについては、編集者から多大な示唆を受けたことを記しておく】
 
 
【きき酒の前の注意〜きき酒テスト必勝法】(2005年9月20日)
 
 いよいよ秋本番、きき酒のシーズンである。
 きき酒といえば、しばし、「きき酒テストで的中させるコツはありませんか?」と尋ねられることがある。まあ、きき酒テストで成績が良かろうが悪かろうがたいしたことではないが、アマチュアの方は、成績が良ければ自慢できるだろう。そこで、誰も教えてくれない、誰でも出来る必勝法?をまず読者の皆さんに、こっそり伝授したい。
 きき酒テストは、多くの場合まず5点(以上の点数)ブラインドできき酒し、その好きな順番に順位をつける。そして、そのあとに同じ点数ブラインドできき酒し、また好きな順に順位をつけ、一致するか、そしてその一致する程度で点数を付ける、という方式で行われる。実際にテストで使用される酒は、差異がそれなりにはっきりするものを出すので、普通に考えれば間違えようがないのだが、間違える方が多いので難しい、ということになってしまう。
 間違える一つの理由は、記憶違いである。どれが何番目に好きだったか、などと考えるから、かえって間違える。だから、最初にきき酒をするグループ、何も考えずに、5点だったらば始めから1〜5と番号を付ける。ただし、樽酒が入っていた場合は例外で、それだけ5とつけておく。そして、きき酒をした時に、香りで、どのような店でどのような食事と飲んだかということを設定しておく。そして、後のグループでは、これは何番目の店で飲んだ酒か、と思い出せばいい。普通の味覚を持っている人ならば、この方法で大体満点、もしくは好成績が収められるはずだ。是非一度おためしいただきたい。
 ところで、通常のきき酒であるが、私なりのこだわりをいくつか述べておきたい。きき酒会が近づくと、私の場合はまず体調に注意する。きき酒会は秋口から活発になるが、京都の夏はきびしく、消耗する。微量ミネラルが不足した状態になっているので、九月に入るころからは亜鉛のサプリメントで意識して亜鉛を摂取することにする。また、食事にも注意する。にんにくなどはもちろんだが、バターやオリーブ油など、体に匂いの残りやすいものの摂取は敬遠する。基本的に私がパン食でない理由は、このあたりにある。基本が米食でかつ純米酒を飲み、料理酒も基本は純米、料理に使用するみりんも純米なので、米の消費量維持にも一役買っているはずだ。口先だけ「日本の農業は、米は大事だ」とのたまいながら、朝パンを食していたり、アル添の酒を飲んでいる連中とは大違いである。日本の農協は、私に感謝状を出さなければいけないと思うのだが、一向に連絡がこない。どうしたことか(余談ながら、ずっと昔、某県で行われた地酒の勉強会の予定表を見ていたら、昼食がカレーと出ていてあきれたことがあった。カレーを食べた後、繊細な味の違いが分かるのだろうか)。
 また、甘い物には気を付けないといけない。甘い物を食べると、その後しばらく味覚がかなり鈍感になる。昔東大路先生から教わったが、渋味、苦味と比較すると、甘味を感じた後の味覚の戻り方は遅く、強い甘味を感じた後に、もとに味覚が戻るのは3時間以上かかるとの実験が昔あったとのこと。私もかなり昔試したことがあるが、やはりその通りだった。コーヒーや紅茶に砂糖を入れる方は、きき酒の前は飲まないこと。
 きき酒会では、同じ藏の商品をまとめてきき酒するが、その際はスペックの低い商品からきき酒すること。燗酒、古酒はきき酒せずに、最後にまわす。ミネラル水で口を濯ぐのは、原則として一定のリズム(10点ならば10点おきに、あるいは一藏)ごとにするのが良い。
 以上、ごく一部を記した(ミネラル水によるきき水のトレーニングなどは、別にマネする必要はない)が、少しは参考になりますかね。
 
 
【ビール業界に望むこと】(2005年8月27日)
 
 発泡酒の次に,税率のさらに低い第三のビールという訳の分からぬ清涼アルコール飲料が市場に多く出回るようになり,酒税法上のいわゆるビールはかなり苦戦を強いられているが,最近喜ばしいことに高級ビールが動意づいてきたので、今後の展望などについて一寸考察したい。
 動きのきっかけは、まずはチルド配送が前提となるチルドビールをキリンが市場に提供したことによる。その後、豊潤、White Aleと後続商品が続き、それなりのシェアが確認出来た後、今年は大規模に広告を打ってきた。私見では、瓶内後熟成を想定してか(流通にやや問題があるかもしれない)、麦芽100%のビールとしてはややオフフレーバーが気になることもあるが、このような商品を他の大手に先駆けて提供したキリンビールの姿勢、高く評価したい。また、最近では、ブラウマイスターがとりあえず期間限定のようであるが復活しているのも喜ばしい。
 続いては、サントリーである。ザ・プレミアムモルツがモンデセレクションで金賞を受賞したとのことを、「広告のサントリー」ならでは?の仕掛けをかけ、増産体制に入っている。プレミアムモルツを、現在市場に流通している一般高級ビールとしては最高のものであり、日本が世界に誇るべきプレミアムビールと以前から評価している私にとっては、商品がなくならなくなったことが確実な情勢となり、まことに喜ばしい。個人的な希望としては、季節限定などの方式で、あの伝説の名ビール「千都麦酒」を復活させて欲しいところである。
 アサヒは九月に限定で「アサヒ酵母ナンバー」なるビールを市場に提供する。こちらは麦芽100%であり、これまで同社で出ていた「熟撰」やオフフレーバーが私にとっては強く、飲めない「こだわりの極」などのプレミアム商品とは一線を画する。今回の商品から、消費者の声をフィードバックさせて、新しい商品を開発しようとのこと。大いに期待したい。
 こうした動き、行きすぎた発泡酒などへの流れからの反発がその背景にある。膨大な開発費、そして宣伝費をかけながら、市場では単発でしか数量が出ず、トータルでは利益がほとんどでない。そうした不毛な商品に力をいれるよりも、値崩れを(エビス以外は)ほとんどおこしていない(つまり、それなりに売れれば、きちんと利益が出せる)高級ビールに力をいれよう、という訳であろう。 高級ビールへの流れ、これは一般の小売店にとってもメリットがある。DSやスーパーで、高級ビールは現在の所値が崩れていないため、消費者が買ってくれやすい、そして、単価が高いため、それだけ利益がとれる。
 また、全国各地で細々と地道に頑張っていた地ビールメーカーの努力もあろう。地ビール製造が解禁となり、どこも同じレシピで似たような味、という段階から、生き残った地ビールメーカーの醸すビールの水準が上がり、「ビールの味わいは違う。違うビールを飲むのも面白い」ということがある程度定着したからこそ、かような市場が存在する訳である。ここまで頑張ってきた地ビールメーカーには、改めて敬意を表したい。
 メーカーがきちんとした商品をつくり、消費者がそれを評価して購入する。そして、メーカーと消費者の中間にたつ小売店がきちんと販売することにより、メーカー、小売店が適正利潤を得られ、消費者は支出分以上の満足感を得られるのが理想だと私は常日頃から述べているが、高級ビールに関しては、こうした流れが加速するようだ。
 日本のビールメーカーは、世界でもトップの技術力を持っている。その世界に誇る技術力は、ここ数年「粗悪な原料でいかに飲めるものをつくるか」という方向でしか発揮されなかった。高級ビールの味わいを各社がしのぎあうことにより、その技術力の恩恵を受けるのは我々消費者である。今後の動きに期待したい。
 
【長いお付き合い】(2005年8月6日)
 
 自ら商品を発掘し、発信する努力をせずに目先のブームを追っかけるしか能がない酒販店、味わいがわからなくなるまで薄めて提供し、暴利を貪っていた飲食店、流行についていかないと不安な消費者をふりまわした、いかがわしい焼酎ブームも、すでに天井を打ったようだ。このいかがわしい焼酎ブーム、日本酒業界への影響も大きかったが、このおかげで、いわゆる新潟系の幻の酒の価格が、だぶついたせいで多くの地域でかなり値崩れをしたことはプラスと考えて良いと思う。流行に便乗して図にのっている焼酎メーカーにとっては、明日は我が身だが……。
 さて、この数年の日本酒の消費量の落ち込みにより、今後数年で、かなりの数の藏が淘汰されると予想する。酒を醸すことできちんと利益をあげて生き残りをかける、本物のプロの藏と、他に収入があり、趣味で酒を造る蔵が残ることになろう。酒販店にとっては、一応固定客をつけていた商品を出す藏が突然廃業してしまったりした場合、かなり困ることになる。換言すれば、淘汰の時代の後にきちんと残る本物のプロの藏の商品で、主力商品を固めなければならない。私が酒販店を経営すると仮定して、ベースにする商品を選択する条件を考えるならば、次のようになる。
 
1 特定名称酒を、一定の石数醸造している
2 数年きき酒して、一定のレベルを維持している
3 経営者が、向上心を持っているか
4 藏の設備
 
石数が極端に少ない藏の場合は、原則としてせいぜい隣県くらいまでの地元周辺。極端に石数が少ない場合は、ともかく地元がきちんと支援してこそ、地酒である。最近よく、差別化を図るために地方の石数の極めて少ない酒をあつめて、「この藏に頑張ってもらいたい」と喜んでいる酒販店が多いが、本末転倒である。石数の少ない酒は、まず地元の酒販店がきちんと努力し、地元で消費されるべきだ(藏の努力の足りない要素もあるが、もちろん地元の酒販店がどうしようもない要素があることは、否定しない)。余談ながら、京都旧市内の酒販店ならば、佐々木酒造の商品をとりあえず1銘柄は置くべきであろう。
 さて、条件の3と4であるが、これが結構重要である。今良い酒を出していても、経営者が慢心していれば、いずれ商品の品質に反映する。また、向上心のある経営者ならば、利益を設備に投資し、より良い商品を出荷することにより、消費者に還元し、さらに消費者の評価を高めようとする。そうした情報は、例えば藏のHPなどからも得ることができる(具体例:まんさくの花1  火入れ後の貯酒管理について)が、見学することが可能な場合、どのあたりに気をつけるか。私なりの見学のこだわりについて少し触れたい。
 例えば今年、石川県の手取川(吉田酒造店)の見学にうかがった。吉田さんの所は以前見学にうかがったことがあるが、再びうかがおうと思ったのは、新しい洗米・浸漬機を導入されたと知ったからである。私は原則として吟醸の仕込みをする時期には藏見学にはうかがわないことにしている(理由:緊張感が高まっている中、他人がうろつくのは藏にとって迷惑なだけ)が、洗米機の見学だけならば問題ないと考え、今回はあえてうかがうことにした。
 私がうかがった時は、ちょうど大吟醸用の山田錦の洗米作業中であった。詳細は記さないが、非常に良くできた機械で感心した。隆一氏(遅ればせながら社長就任、おめでとうございました)にうかがうと、前年度、どうも洗米にムラがあり、価格が極めて高かったものの、導入に決意されたとのこと。このムラがある、というのは、実はポイントである。人手による洗米の場合、同じようにしていても、蔵人によって差が生じることが多い。それが機械で洗米することにより、手作業による洗米よりもより安定した、仕上がりが可能になったとのこと。さらに、手取川の場合、吟醸の比率が高いため、蔵人の洗米作業にあてる時間が非常に大きかったが、その時間を削ぐことが可能になり、蔵人が他の作業に充てる余裕が出来、それが全体としての酒質のアップに繋がることが期待出来る、とのことであった。具体的には、例えば火入れの作業も平行して出来るようになる。早い時期に仕込んだ本醸造などの火入れが、吟醸の仕込みと平行して可能になる。どうしても手が回らず、結果として過熟した原酒を火入れする(結果として調合に苦心することになる)よりも、適切なタイミングで火入れする方が、流通段階での酒質は期待できるし、また、労力の大きい洗米の作業から蔵人が解放されたことにより、体力に余裕をもって製麹作業に取り組めるといったメリットもあるだろう。信頼できる息子を見るような目つきで洗米機の作業を眺める山本杜氏のにこやかな表情が印象的であった。
 酒販店が藏見学にうかがった場合、その藏のこだわりに注目することも大事だが、問題があると思われる点について、どのような努力をしているかにも配慮すべきであろう。完全無欠の藏など、ほとんど存在しない。ただ、問題がある点について、改善を考えずにはじめからあきらめている藏の場合は、真剣に付き合う価値はない。そうした藏とばかり付き合っていれば、藏が淘汰される前に、酒販店の方が淘汰されるであろう。及ばないながらも、何らかの改善策を真剣に考えている藏の場合、設備が多少悪くても、酒質がたとえ今一満足がいかなくても、お付き合いしたくなる。
 ことはついでなので、つい先週の週末にぶらりと立ち寄った御世栄(北島酒造)のことも触れておく。北島さんの所、仕込み藏の内壁に今年春、断熱材を吹き付けた。北島酒造の場合、夏場は仕込み藏のジャケットタンクに10度の冷水を巻くことで仕込み藏の温度を下げ、タンク貯蔵の酒はもちろん、冷蔵しない瓶詰め後の商品も低温管理をしていた(仕込み藏全体が大体16度くらいになる。普通酒でも吟香がほのかに残るのは、そうした徹底した酒質管理の結果)が、今後の異常気象を見越して、仕込み藏の温度がこれ以上上がらないようにとの配慮であった。酒を醸すことによって生き残りをかける藏は、消費者によりうまい酒を飲んでもらおうと、その努力を止めることはしない。
 
 
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